第33話 愛情と弊害
【木村 冬眞 十七】
麗さんがホテルに戻ってきたあと、何故か疲れ果ててまた仮眠をとるというので、僕はその寝顔を見つめていた。
器用なのか、不器用なのか解らない。素直に「好き」というときもあるのに、本当に気持ちを落とした言葉は直接語ろうとしない。
「白蛇……いいですか」
麗さんが起きない程度の声量で白蛇に語りかける。白蛇は麗さんの身体に巻き付いている状態で可視化した。
「なんだ」
「僕らの記憶が……なくなるって本当ですか?」
現れた白蛇に、一縷の望みをかけて問いかける。
「……そうだ」
「そうですか……」
その一縷の望みも絶たれた。自分で確認するために問うたが、実際にそういう返事が返ってくると落胆する。
「残してほしいか?」
逃した望みをチラつかせるように、その問いに含みを感じた僕は警戒する。魔の者の考えていることは解らない。
「残してほしいですけど、これ以上僕も麗さんも支払う訳にはいきません」
もうこれ以上、支払うものなんて何もない。麗さんに支払わせたくない。僕の言葉を聞いた白蛇は、考えるように僕を見つめた。
「……『愛情』などというものは、私には理解できないが、この女に憑いていると狂気とも激情ともつかぬ感情を感じる。今まで私が契約した他の誰とも違う」
「………………」
白蛇の言葉に、静かに耳を傾ける。
「様々な人間を見てきた。そのどの個体よりも不安定だ。……過去ではお前が人を殺したが、この女の方が余程殺人者の素質がある。それもその辺りにいるただの殺人者ではない。何十人、何百人と殺す素質だ」
そう言われ、麗さんの寝顔を見つめる。とてもそんな風には思えない。あんなに優しい麗さんが殺人者の素質があるなんて。
「この女がそうしないのは、己の狂気を自覚し、制御できているからだ。だから私との契約のときもこの女は壊れることがなかった。毒に耐性のない者は容易に毒に蝕まれる」
その話を漠然と聞いている中で、麗さんと僕の初めて出逢ったときのことを思い出していた。
気まずいのか、言葉につまる麗さんと格子付きのガラス越しでも、少しずつでも距離を埋めていった。
麗さんはいつでも僕の話を真摯に聞いてくれた。
それが妄想だったにも関わらず。
「……正直、何が悪かったのか考えても、ありすぎて解りません。でも、僕はひきこもってからずっと一人でした。友達もいなかったですし。ひたすら外に怯えて、狂気に苛まれ、事件を起こして裁判になった。人を殺めたことは十分に悔いています。……でも、麗さんと会うには、あれしかなかったんだって思います」
僕らは本来、会うはずもなかった。逢う訳もなかった。
「拘置所で独り、不安で、辛くて、苦しかった僕には……心の支えになってくれる人がいるって、幸せなことだなって思いました。結局、当時の僕は妄想が悪化し、暴力を振るったせいで懲役刑ではなく死刑を言い渡されましたが……『一緒に逃げよう』って言ってくれた麗さんに……心から救われたんです」
だから、この記憶は胸に抱いたままでいたい。やり直す機会をくれた麗さんにまだ恩返しできていないのに、記憶を失くしたらなにもかもがなくなってしまう。
「あなたにもやり直す機会をもらって、感謝しています。でなければ、僕は死刑になっていましたし、麗さんがその後どうなるはずだったのか……解りませんが……」
白蛇は黙って僕の話を聞いていた。
「最後になるので……僕の血液では不足かもしれませんけど、お礼にもらってください」
僕が左腕を差し出すと、白蛇は僕の腕をじっと見つめた。
「……そんなものはいらぬ」
麗さんの身体が動く。目が開き、身体を起こして目をこする。その姿を、どうか忘れないようにと願い、目に焼き付けた。
「おはよう」
「おはようございます」
ニコリと笑う。やはり、殺人の素質があるなんてそんな風に見えない。いつも通りの優し気な麗さんだ。
「おはよう」
白蛇の方を向いてそう呼びかける。
「…………ふん、くだらん」
白蛇は挨拶を返さなかった。そして再び姿をくらませる。
「何か話してたの?」
「……記憶を……残してもらえないかと……」
「それは期待しない方がいいよ。そう、都合よくはいかない」
「いいじゃないですか……いつも僕たちは『都合よく』なんて行かないんですから」
「そうだね……ねぇ、ロミオとジュリエット効果って知ってる?」
「聞いたことはありますが……」
「弊害が多いほど、絆が深まるってやつだよ。私たち、すんなり会って、何の弊害もなかったらとっくにお互いに愛想が尽きて離れてるかもよ?」
「………………」
「すぐに誰かと付き合ったり別れたり、そんな簡単な関係じゃないでしょ。私たち」
「そうですね……」
「まぁ、これがいいのか悪いのか解らないけど、行こうか」
麗さんは本当に何を考えているのか解らない。いつも方向性が定まっているように見えて滅茶苦茶だ。
しかし、その一貫性に欠けるような不安定なところが、個性と言えば個性なのかもしれない。
そして最後、卒業式の日に僕らは飛んだ。
魔の夢から覚めるべく。
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