第30話 過去と未来
【木村 冬眞 十六】
僕が思っていたよりも、順調に中学時代の僕と麗さんは仲良くなっていて、高校も麗さんと同じところへ行くと勉強も頑張っている。
勉強も麗さんに教えてもらいながら、学力も順調にあがっている様子で、母も喜んでいる顔を見たりもした。
まるで、全く違う人生を歩んでいる自分が他人のようにすら見えた。この様子なら、大丈夫だろう。クラスでも今まで話さなかった人とも、麗さんを間に挟んで話をするようにもなった。それをみて、自分ながら羨ましいと思う。
麗さんが疲弊していた様子で、10分程度仮眠をとっている間に僕は『永遠』の続きを読むことにした。附箋のはってあるページ。
55ページ。
〈小夜は、窓の格子に手をかける晃のやせ細った手に、自らの手を重ねようとした。しかし心の中に渦巻く迷いがそれを隔てる。
「私とあなたは名の通り、決して交わることはない。私は闇で静寂を与える夜、そしてあなたは光で優しく包む朝。触れることすら
晃は窓から悲嘆を吐露する小夜の、
「あなたの曇りのない美しい目が、どうして皆解らないのでしょう」
小夜から流れるその雫が月光を反射し、煌めきを晃に与えた。晃は言葉を失い、言葉を胸の内にとどめる。これ以上、言葉を交わすことも触れることも意味をなさない程に美しく、浮世に降り立った名もなき二者。
「死んでもいいわ……」
そのか細い声の灯が、晃の胸を焦がし尽くす紅蓮の炎となり、晃は苦しんだ〉
小夜が言った「死んでもいいわ」という言葉に、僕は引っ掛かりを感じる。麗さんも何度も言っていた。何か、別の意味があるのだろうか。
ページをめくろうとした矢先のこと、麗さんは目を覚ました。少し伸びたように感じられる肩までの髪を、鬱陶しそうにかき上げる。
「そろそろ、次行こうか。今のところ順調みたいだし……」
本を閉じて、麗さんが要点を書いた紙を再度見つめた。
次は中学の卒業式のとき。麗さんがいなくなった後の自分の経過観察。後は僕が麗さんのいる高校に入学できるかどうか、入った後の状態を見て問題がなければ、次は大学。
僕が統合失調症を発症した二十歳の辺りからが問題となる。このまま発病しなければいいけれど……。
「わかりました。行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。待ってるよ」
僕はその後の経過観察に向かった。
◆◆◆
【水鳥 麗 十六】
木村君を見送って、私はまだ眠い目をこすった。あくびをして数回強めに瞬きをする。
「……ねぇ、あなたの夢をみたよ」
白蛇にそう語りかけると、私の服の中から顔を覗かせた。相変わらず白く輝き、赤い鋭い目で私を射抜いてくる。
「どのような夢か言ってみろ」
「あなたが木村君の死刑の……首つりの紐に巻き付いてるの。全くいい夢じゃなかったけど。私はガラス越しの立ち合い席にいて、あなたに助けを求めるの。そのとき名前を呼んだ。『ヤハウェル』って、夢の中であなたを呼んだ」
どれだけ大きな声で呼ぼうとしても、声が出なくて全く木村君に声が届かない。かすれた声で、やっとの思いで白蛇の名前を呼ぶ。
「ヤハウェル? ……天使の名前に近いな」
「『ヤハウェ』って、神の名前だよ。それに天使の『輝けるもの』の意『エル』がついて、ヤハウェルなんじゃない? どう? 善でも悪でもない崇高なあなたには、神の名前でも名前負けしてないと思うけど」
夢で見たなんて、まるで信託を受けたみたい。でも、もう少しいい夢だったら良かったけれど。
「……ふん、名など私には必要ない」
「あっそ」
私が白蛇と会話をしていると、木村君が戻ってきた。あまり、穏やかとは言えない雰囲気に、私は眉を
「さしずめ、なにかあったんでしょ?」
「……高校で、また問題がありました」
「本当に私たちは波乱万丈だね」
笑っている場合ではないようだった。
木村君は私のいる高校に無事入学し、平穏に生活していたが木村君が高校二年になったころに、私を好きな病的な男に目をつけられ、酷い嫌がらせに遭っていると。
家に猫の死体を放置したり、無言電話がかかってきたりして、私が守れば守るほどその病的な男はエスカレートし、その程度では警察も頼りにならず。
最終的に木村君はその男に刺されて重症を負い、一度心肺停止。
息を吹き返すものの、私はその事件が引き金となり自責の念に堪え切れず自殺。それがトラウマとなり精神を病み、統合失調症を発症した後重症化し、木村君も自殺するという話だった。
「酷いな……。その男って、学生? じゃないよね……その感じだと」
「中年男性でした。警察はまるで動いてくれていませんでしたね」
苦虫をかみつぶしたような顔をして、木村君は悔しさを滲ませる。私もけして明るい顔は出来なかった。あまりにも凄惨な話だ。
「じゃあ、その男を殺すか?」
「えっ!?」
「嘘だよ」
とは言ったものの、どうしようか考える。
警察がダメということになると、自分たちでなんとかする他ない。私はあと2回。木村君の時間も、あと5時間、ないし4時間程度だろう。
「…………なんとかしに行くか」
「麗さん待ってください……何か策があるんですか? 万が一のことがあったらどうするんですか」
「万が一って? 強姦されたりとかってこと?」
私が率直に訪ねると、木村君は気まずそうに視線を逸らした。彼の顔を見つめると、やはり長い睫毛が瞬きで震えていた。
「そ……そうですよ。それに、どうするんですか?」
「私たちがそのストーカーをなんとかするのは簡単だけど、それじゃあの二人がいつになっても駄目だから……武道の心得を木村君に叩き込む」
「また滅茶苦茶な…………そもそも過去の僕らを助け続けて、最終ってあるんですか? 今から記憶を保持したまま戻れば、それでなんとかできるんじゃないですかね?」
一番恐れていた質問が木村君の口から紡ぎだされる。
無論、いつかは話さなければならないとは思っていたが、いざその質問に対して明確に答えなければならないとなると、答えたくない気持ちが募る。
しかし、言わなければならない。
「…………木村君、あのね……私と、君の記憶は…………戻ったら消えてしまうんだって」
「え…………?」
「……だから、今までの記憶はなくなるって……つまりそれって、私たちの意識は『死ぬ』ってことと変わらないと思うの。……記憶を失って見守っている彼らに戻っても、その見てきた状況は解決しない」
告げることを躊躇い、喉元につかえていた異物を吐き出す様に私はそう答えた。しかし、その異物を吐き出すと必ずと言っていいほど、胃酸で口内が侵されるのだ。
木村君が目を逸らして、何度も瞬きをして考えている姿を見るのは、私も望むところではなかった。
「私は回数が終わったら、木村君は時間が終わったら戻ることになると思うけど、でもその時はもう私たちは……『私たち』ではないんだよ」
木村君は言葉を失って私の方を絶望に溺れた目で見ていた。
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