第29話 ノートと分岐点

 




【中学生の水鳥 麗・木村 冬眞】


 麗は保健室の先生がいなかったので、適当に怪我の手当てをすることにした。

 麗は外で元気に遊ぶタイプではなく室内で読書をする方だった。日頃役に立つような医療の本を読んだことがあった麗にとってはどのように手当すればいいかくらいは解った。

 棚を物色し包帯を取り出す。

 麗と冬眞はお互いに誰なのか解らなかった。しかし、互いに無視ができない状態になってしまったことがこの状況の要因だ。

 麗から見て、名札の色が一つ下の学年の男の子だってことと、木村冬眞という名前だと麗は知る。冬眞も名札を見て麗の名前を知った。

 冬眞にとって、麗は不良の怖い先輩だった。

 別に喧嘩をするわけではないのにもかかわらず、見た目の派手さと、教員も手が付けられないのだそうでかなり悪目立ちしている。名前は知らなかったが、何度か見かけたことくらいはある。

 冬眞にとって縁のない怖い人であることには変わりなかった。

 冬眞は手をすりむいていたので、麗は手についた砂を洗い流させる。麗が擦り傷を作った時に保健室の先生が塗ってくれた軟膏を適当に塗って、ガーゼを貼った。


「包帯まくね」

「すみません……ありがとうございます……」


 包帯を巻きながら、麗はさっきの光景について聞くかどうか悩んでいた。


「あのさ……これ、私の下駄箱にいれたのは木村君?」


 麗は下駄箱に入っていたメモを冬眞に見せる。冬眞はそれを凝視したが、首を横に振った。


「……そう。でも、止められて良かったけど」

「………………」


 ハッキリしない奴だな。と麗は思った。

 包帯を巻き終わって、冬眞の身体についている泥を軽く払う。蹴られたり殴られたりした部分が腫れていることに気づいた。


「顔、腫れてる。冷やした方がいいよ」


 保健室にあったクーラーボックスの中から保冷剤を取り、その辺に置いてあった清潔そうなタオルを巻きつけて冬眞に手渡した。

 受け取った保冷剤を顔に当てる。冬眞は痛そうに顔を歪めた。


「本当に……ありがとうございます」

「別にいい」


 麗は自分の鞄を持ちあげて、帰ろうとする。

 冬眞も慌てて帰ろうと鞄を持ちあげたら、手を滑らせて鞄の中身をぶちまけてしまった。冬眞が慌てて教科書やノートを拾っている姿を見て、麗は内心少し呆れながらも、拾うのを手伝う。

 冬眞が粗方ノート類を鞄に詰め終わって、頭を下げて逃げるように去るとそこには静寂が訪れた。


「なんだあいつ……そそっかしいな……」


 麗が視線を落とすと、ノートが一冊まだ落ちていた。

 それを拾い上げると追いかけようかとも思ったが、面倒だったので次の日に渡すことに決めた。

 拾ったノートは歴史のノートで、中を興味本位で開くと綺麗な文字でしっかりとまとめられていた。


「字、綺麗だな……」


 ノートの端に、麗の好きなマイナーゲームのキャラクターらしき落書きがしてあった。字は達筆なのに絵心はあまりないようで、要点は掴んでいるがあまりうまいとは言い難い。


「あのゲーム知ってるんだ。に、しても絵は下手だな……」


 笑いながら麗は帰路についた。




 ◆◆◆




【次の日】


 麗は昼休みに、冬眞が何組なのか適当に聞いてクラスを回っていた。冬眞のクラスをつきとめたところで、冬眞のクラスメイトから


「木村君なら休みですよ」


 と怯えたような口調で告げられた。麗の見た目が怖いのだろう。

 麗は気にする様子もなく続けた。


「そうなの? 体調不良とか?」

「そうみたいです」


 ――なんだよ、せっかくノート届けに来たのに……


 麗は落胆した。

 机に入れて帰ればいいやと思い、冬眞のクラスに入り、冬眞の机を教えてもらう。席は真ん中の列の一番後ろだ。やけにその机は目立っていた。冬眞の机を見た麗は目を見開く。

『死ね』『キモイ』『消えろ』『帰れ』などの暴言が机に油性ペンで書かれていたからだ。すぐに虐められていることを理解する。


「……なぁ、これ書いたの誰か解る?」


 隣の席にいた冴えない男子にそう問いかけると、その男子は戸惑ったように目を泳がせた。そして、一方向を向いて目で訴えてくる。

 その方向を向くと、校舎裏で冬眞をリンチしていた3人が麗を見ていた。

 麗と目が合うと、その三人はすぐさま視線を逸らす。

 教室は異様な空気に包まれる。ざわめきなども一切ない。完全な静寂だった。麗は何も言わず、その机の様子を校則に違反する形で持ってきている携帯電話で写真を撮り、ノートを返さずにそのまま冬眞のクラスを出た。


「………………」


 麗はイライラしていた。くだらない情を感じてしまった自分にも、あんなくだらないことをするあの3人にも。

 そこから逃げるようにしている冬眞にも。




 ◆◆◆




【一週間後】


 麗はまた冬眞のクラスを訪問した。


「木村君、来てる?」

「ず、ずっと休んでます……」


 特徴のない男子生徒はビクビクしながらそう答える。

 インフルエンザになるような時期じゃない。

 これは登校拒否だ。麗はそう感じた。またあの3人と目が合う。やはりすぐに目を逸らして気まずそうにしていた。


 ――なんだよ、私には強く出られないくせに弱い者いじめは得意なのか……


 麗は呆れた。

 冬眞のクラス担任に冬眞の忘れていったノートを届けるという名目で、住所を聞こうと職員室に行く。

 職員室は嫌いだった。何かにつけて注意を受ける。自分が素行不良なせいでそうされるのは理解していたが、それを到底直す気にはならない。

 中学生だ。ここは学校だ。軍隊ではない。そう規則で縛り上げられる筋合いはないと麗は思っていた。


「須賀先生、木村君ずっと休んでますよね。彼のノート届けるついでに様子が見たいので、住所教えてもらっていいですか」


 目が異様に大きいまだ若い教師だ。校則にうるさく、麗は嫌いだった。


「水鳥、その前に服装を正しなさい。指輪もネックレスも外して……」

「木村君がいじめに遭っているの、知っていますよね? 机にあれだけ酷い落書きされていましたし。何か指導しているんですか?」

「虐めなんて……」


 教師が口ごもると、麗は更に苛立った。


「……イジメがあったらどうするとかってガイドラインないんですか? 自分の職務を全うしない人間に服装がどうのこうのとか言われたくないです。早く教えてください。教育委員会に教師の職務怠慢をチクりますよ」

「なんだその口のきき方は!」

「論点をずらすな! 校舎裏で木村君が暴行を加えられて怪我をしていた事を、サツに告発して事を大事にしてもいいんですよ? 今なら彼の身体や手にはまだ傷が残ってますからね」


 麗が詰めると、須賀教員は更に口ごもった。

 周りの教員も警察沙汰にはしたくないようで、それ以上何か言ってくることはなかった。『イジメ』や『警察沙汰』というものに学校は敏感だ。教師の責務怠慢が大々的にニュースになり責め立てられるのは珍しいことではない。


「私がメディアに言いますよ。私が木村君の担当教員や他の教師にイジメがあった、暴行があったと言ったのに教員はなんの努力もしなかったって。早く住所を教えてください」


 殺伐とした空気の中、麗は冬眞の住所を手に入れた。


「あと、木村君の机の落書き、写真撮ってありますんで早急に消しておいてくださいね」


 そう口添えすると、職員室を出た。




 ◆◆◆




 麗は放課後に冬眞の家に向かった。麗の家からそんなに離れていない距離だったため、すぐに解った。表札を見ると【木村】の文字がある。麗はインターフォンを押した。


「はーい」


 インターフォン越しに母親らしき人の声が聞こえてくる。


「冬眞君の学校の生徒ですが、ノート届けに来ました」


 少しして玄関が開く。綺麗なお母様が出てくると、麗は少し緊張した。身ぎれいな服を着ていて、髪の毛も綺麗だった。


「クラスメイトの子?」

「いえ、学年は違いますが……しばらく登校していないようだったので、ノートを届けがてら様子を見に来たんですけど……」

「あぁ……そうなんや。ありがとう。あがってや」


 麗は冬眞の家に上がった。

 リビングに通され、ひとまず座る。


 ――なんで私がここまでしないといけないんだ……


 麗はそう思っていたが、表情には出さずに母親が来るのを待つ。

 階段を降りる足音が聞こえる。二人分。麗が目をやると、ボサボサの髪の冬眞と目が合う。

 この状況に麗も冬眞もなんと挨拶したらいいか解らなかった。


「こんにちは……」


 冬眞が気まずそうに麗に言うと、麗は立ち上がって冬眞に近づく。冬眞よりも背が高い麗は、必然的に見下ろすような形になる。


「ノート、保健室に忘れていったでしょ。これ」


 鞄から出されたノートを冬眞に差し出すと、それをおずおずと受け取って会釈した。

 自分が口を挟むところではないと麗は解っていたし、そんな面倒なことはしたくなかったが、どう言っていいか解らず無言で目を泳がせた。


「あのさ、ちょっといい?」

「はい……」

「外でも、部屋でもいいけど。どっちがいい?」

「……部屋でいいですか?」


 心配そうに素行不良の麗を見つめる母親を横目に会釈し、麗は冬眞の部屋に入った。

 普通の男子の部屋だ。変わった点は何もない。麗はあいているところに胡坐あぐらをかいて座った。冬眞はベッドに腰かける。


「こんなこと、聞きたくないけど……イジメられてるでしょ?」

「……………………」


 冬眞はつらそうな顔をして顔を背けて黙った。無言が長い。


「あー……なんつーか……私はそういう経験ないから、解らないけど……やり返さないの?」

「…………」


 冬眞は何も答えない。


「…………あのさ……最近、私の周りでおかしなことが起きてて、こんなものが下駄箱に入ってたりしたんだ」


 麗は自分の鞄から、法律について書かれている紙面を取り出した。

 告発の仕方や証拠の残し方、内容証明文の作り方・使い方、その他色々な資料が出てくる。その中にはボイスレコーダーまで入っていた。


「なんで私の下駄箱に……って思ったけど、この資料と一緒にメモが入ってて……『木村冬眞君を助けてほしい。あなたにしかできない。もし見捨てたら、想像を絶するような後悔をすることになる。必要であれば必要物資を提供するし、いくらでも手を貸す。しかし、姿を見せることはできない。』って……内容なんだけど……正直、意味が解らない」

「………………」


 冬眞は麗の顔を見たり、その法律の資料を目で追ったりしながら話を聞いていた。


「一番意味が解らないのが……筆跡が私の筆跡とそっくりなこと。私が書いたみたい……SF的な、未来の自分が会いに来たのかな? なんて思ったりして」


 麗は苦笑いをする。しかし冬眞は笑わない。


「今日もその資料みて覚えた事、教師に向かって言ったら完全に黙ってたよ。ざまぁみろと思った」


 冬眞は笑いながら話をしている麗を見て、ようやく口を開いた。


「……あの……水鳥さんのこと……誤解してました。すみません」

「どんなふうに?」


 麗は解り切ってはいたけれど、敢えてそれを冬眞に聞いた。


「えっと……怖い人だと思っていました」

「まぁ……よく言われる。し、別に間違ってないと思うけど」

「でも……傷の手当してくれて……あのとき助けてくれて嬉しかったです。ありがとうございました」


 麗はそんな風に言われると思わず、気恥ずかしいと感じた。それと同時に冬眞に対して『こいつ、いいやつだな』という印象を受ける。


「なぁ、ノート見ちゃったんだけど、ルナってゲーム好きなの? 私大好きなんだけど」

「えっ、ルナ知っているんですか⁉ 知っている人初めて見ました……」


 冬眞が目を輝かせてそう言ったのを見て、麗は少し緊張がほぐれた。冬眞も麗が自分の好きなゲームを知っているとは思わず、純粋に驚いていた。


「もうアイテムコンプして、完クリしたんだよね」

「凄いですね。僕はまだ始めたばかりで、城跡地で止まっています。あそこ、難しくないですか?」

「えー、そう? ていうか、いまあるなら一緒にやらない? コツをおしえてあげるよ」


 時間を忘れて麗と冬眞はゲームをして遊んだ。

 冬眞は誰かとそんな風に遊ぶのは初めてだったので、新鮮でとても楽しく感じていた。しかし、夜も更けてきてしまった頃、麗の携帯電話が鳴る。時間は午後六時を回ったころだった。


「あ、父さん。ごめん。友達の家に来てるんだ。そろそろ帰るから心配しないで」


『友達』という言葉が麗の口から自然と出て、冬眞は物凄く嬉しく感じた。またこうやってゲームをして遊ぶことができたらいいのにと強く願う。


「あー、ごめんね。もう遅いから帰るわ。父さん心配してるから。……学校来なよ。昼休みとか、話さない? 学校でまた何かあったら私がシメてやるからさ」

「…………はい。明日から行きます」

「これ、渡しておくから。参考にしてみて。木村君なんも悪いことしてないなら、私も一緒に戦うからさ」


 資料を冬眞にすべて渡し、麗は冬眞の家を後にすることにした。

 冬眞の母親に挨拶を済ませ、玄関で冬眞が見送っている最中に、冬眞の母親は麗にクッキーを渡してきた。


「来てくれてホンマありがとうな。これ、良かったら食べてや」

「あっ、すみません。ありがとうございます」


 深く頭を下げ、手を振って玄関の扉から麗は出て帰路についた。


「なんや冬眞、彼女? 随分見た目派手な子やなぁって思ったけど、いい子やね」


 母が笑いながら冬眞に言うと、冬眞は顔を赤くしてそれを否定した。


「ちゃうよ! 友達やって!」

「冬眞もついに彼女かぁ……お母さん、少し複雑やわ」

「だからちゃうって!」


 暗い気持ちで押し潰されそうになっていた冬眞の心に光が差した。




 ◆◆◆




【次の日】


 冬眞が勇気を振り絞り、学校へ行く決意をもって通学路を歩いていた。

 いざ行くと決めたものの、それでも強い恐怖感が冬眞を襲う。

 ポケットにボイスレコーダーを忍ばせ、お守りのように持っていた。


 ――大丈夫、うまくやれる。大丈夫……


 自分にそう言い聞かせるが、足取りが重い。前に進むのが怖い。恐ろしい気持ちでいっぱいだった。


「木村君、おはよう」


 その不安を振り払うように、後ろから声が聞こえてくる。


「……おはようございます」

「通学路一緒なんだ。家そんな遠くないし、そうよな。今まで気づかなかったわ。偉いじゃん。ちゃんと学校行くの」

「…………正直、足取りが重くて……」


 冬眞は素直に麗に打ち明けた。親にはこんなこと言えなかったのに、麗には不思議と素直に打ち明けられる。


「そうよな……私も学校行くの嫌だよ」

「えっ、そうなんですか?」

「そりゃそうでしょ。私、教師に目つけられてるし、学校なんて苦痛でしかない」

「……じゃあなんで、学校行ってはるんですか?」

「んー……なんでだろうね」


 麗が左手で自分髪の毛を直しているときに、包帯を巻いていることに冬眞は気づいた。


「その腕……」

「あぁ……これ? ……自傷行為の傷隠しだよ」


 自傷行為という言葉を隠さずに言う麗に、冬眞は言葉を失った。麗が包帯を少しずらすと、生々しい傷が顔をのぞかせる。冬眞をそれを見て思わず息をのんだ。


「正直、学校行く意味どころか、生きる意味自体解らない。毎日苦痛だよ」


 一つも変わらない声のトーンで麗は言う。そんな麗を見て、冬眞はかける言葉が見つからない。


「痛く……ないんですか?」

「痛くない……かな。肉体の痛みより、心の痛みの方が強いっていうか……いつ死んでもいいやって思っているし。先のことなんか考えられない」


 別に、真剣に悩んでいる風でもない言い方とのアンバランスさが、現実感を失わせる。


「僕は……水鳥さんと話をしていて、楽しかったですし、今日学校に行こうって思えたのも水鳥さんのおかげなので……なんというか……死んでほしくないです」


 そう言う冬眞を、麗は横目で見る。


「…………別に、今のところ自殺しようとは思ってないから」


 けして明るいとは言えない話題を話しながら、冬眞と麗は学校についた。校門のところに生徒会の人間と、教師が数人立っていて挨拶をしていた。


「はぁ……朝からご苦労なことだな……」


 麗はネックレスが見えないようにファスナーを上げ、指輪が見えないようにポケットに手を入れて、やり過ごそうとする。

 傍から見たら異様な光景だっただろう。素行不良の麗と、至って真面目な冬眞が一緒に登校しているのだから。冬眞の担任の須賀が冬眞に声をかける。


「木村、体調はもういいのか?」

「あっ……はい」

「ちっ……白々しい……」


 麗はわざと聞こえるように吐き捨て、なんとかそれをやり過ごし下駄箱についた。


「じゃあ、昼休み食べ終わったら教室行くわ」

「はい、解りました」


 二人は別れてそれぞれの教室へ向かった。

 冬眞はやはり怖かった。しかし、麗の言葉を胸に教室へ足を踏み入れる。すると、冬眞へ視線が一気に集まる。それを感じた冬眞は冷や汗が出てくる。


「木村! 三年の水鳥先輩とどういう仲なん!? 付き合ってる!?」

「俺も気になって気になってしゃーなかってん。どうなん?」

「えっ、意外や。どうやって知り合ったのか教えてや」


 普段あまり話さないクラスメイトが、冬眞を質問攻めにする。

 冬眞は驚いて口ごもるが、朝のホームルームが始まるまで麗とのことを話した。校舎裏で会ったこと、怪我の手当をしてくれたこと、ノートを家に届けてくれたこと……


「えーっ!? 部屋で二人でゲーム? 嘘やろ! ちゅーとかしたんやろ!?」


 クラスメイトの一人が興奮気味に冬眞を問い詰める。


「してへんよ! 友達やって!」

「ホンマに? 信じられへん。絶対ビッチやんあの人」

「年上の男と遊んでそうやんなー」


 冬眞はそれを聞いていてとても嫌な感じがした。水鳥さんはそんな人じゃないのにと。そんな中、須賀が入ってきてホームルームを始め、いつも通りの一日が始まった。

 冬眞を校舎裏に呼び出した三人は当然快く思っておらず、苛立ちを募らせていた。

 給食の時間を終えて片付けをしている最中、いつものクラスの不良3人に絡まれた。冬眞に酷く緊張が走る。髪を染めているのが和田、後ろの二人は佐藤と宮下だ。


「木村、お前調子乗ってるやんな? ちょっとツラ貸しぃや」


 冬眞は震える手でポケットのボイスレコーダーをONにする。


「嫌や。約束があるから」


 和田が冬眞を突飛ばす。

 冬眞は後ろの机に当たり、バランスを崩して倒れ込む。

 ガシャーン! という大きなお音がした。周りの生徒は悲鳴を上げたり、走って逃げたりするが、誰も冬眞を助けようとする人はいない。


「なんやて? 俺にいつからそんな口きくようになったんや。先輩とつるみだして調子乗ってるさかい、ヤキ入れたるわ。こっち来や!」


 冬眞の髪の毛を乱暴に掴み、引きずる。


「痛い! 離してや!」


 その声は届かず、和田はずるずると冬眞を引きずり立たせ、腹部を蹴りつけた。冬眞は腹部に強い衝撃を受けて先ほど食べたものを吐瀉した。


「うわ、きったないなぁ……マジありえん。キモイわぁ……」


 和田たちは笑っている。冬眞は苦しくて涙がこみ上げ、激しく咳き込む。立ち上がれない。


「水鳥先輩に言うたれや、お前みたいなブス願い下げやってな……」

「誰がブスだって?」


 先ほどまで笑っていた和田は固まる。声のする方を見ると、麗が携帯のカメラで動画を撮っていた。そして和田がこちらを向いた瞬間、その録画を辞める。

 携帯をポケットにしまって堂々と教室に入り、麗は小柄な和田の前に立ち、見下す。身長差は10cm程度はあるだろう。和田の胸ぐらを左手で掴み上げてもう一度麗は問う。


「私に喧嘩売ってるの?」


 麗の右手には指輪が四つつけられていた。これで殴ったら素手で殴るよりも相手は重傷を負うだろう。

 それだけではない、右腕にはタトゥーが入っているのを和田は見た。和田は震えあがり、何も言わない。


「ちっ……腰抜け野郎が……」


 乱暴に和田を突飛ばすと、麗は警察と救急に連絡をした。和田は真っ青になって電話の途中で何度も麗に「警察だけはやめてくれ」と懇願する。

 最終的に掴みかかって「やめろ!」と大声で言うが、麗はそれを無視して電話を続けた。無理やり麗の携帯を取り上げようとする和田を、麗は容赦なく腹部を蹴り上げて膝をつかせた。冬眞と同じく、和田も強く腹部を蹴られ、嗚咽し先ほど食べたものを吐き出した。


「うっわ、きったな。舐めるように床を綺麗にするんだな」


 電話を終えた麗は冬眞を保健室へ連れていき、警察への対応をすべて済ませた。

 教師も集まり、何もなかったことを説明しようとしたが、麗が撮った動画や、冬眞のボイスレコーダーが功を成して現行犯となった。

 結果として、和田は警察に身柄拘束をされ連行されることとなり、メディアにもこの情報は露出した。

 麗は容赦なくメディアに情報を流した。これは大々的に報道され教師のイジメへの態度の怠慢が叩かれる結果となった。

 学校にメディア関係者が殺到するという最悪の事態になり、教員はますます麗を刺激しないようにという方針が決まった。




 ◆◆◆




【二日後】


「水鳥先輩、ありがとうございました……僕一人ではどうしたらいいか解らなかったです……」


 家の近くの公園のブランコで、二人は話をしていた。肩の荷が下りた冬眞は明るい表情で麗に話しかける。


「別に。私のことブス呼ばわりしたあのクソガキが許せなかっただけ」


 風がふくと、麗の長い栗毛色の髪の毛が揺れた。日に透かすとかなり明るい色に見える。


「良かったね、悩みの種がいなくなって。あいつら停学だか退学だかになったんでしょ?」

「はい。そうみたいです」

「ふーん。自業自得だよね。しかし、タトゥーシールの件で教師やら警察に散々絞られたなぁ……たかだかシールなのに、大げさだよね」


 興味なさそうに麗はブランコを漕ぐ。


「あの……水鳥先輩は――――」

「麗でいいよ。先輩って、一年か半年かくらいしか歳変わらないんだから」

「えっと……麗……さん……」

「なに、冬眞」


 下の名前を呼ばれた冬眞は恥ずかしくなって顔を逸らした。冬眞は麗に憧れと一緒に、別の気持ちも感じ始めていた。


「麗さんは……どこの高校に行くんですか?」

「んー? 特に考えてないんだけど、適当に近いところの公立高校にでも行こうかなって」

「適当にって……この辺だと×××高校が近いですけど……結構偏差値が高いところですが……」


 冬眞が楽観的に述べる麗を見て、心配そうな顔をした。それを見て麗は目を細めて反論する。


「……もしかして私のこと、バカにしてる? 内申点はマイナスかもしれないけど、テストは九十点台いつも取ってるよ」

「えっ……」


 心底信じられないような顔をして、冬眞は麗を見つめた。明らかに素行不良で勉強なんてあまりしていなさそうだと冬眞は思っていたのに。


「あー、やっぱり馬鹿にしてた。冬眞は何点くらいとってるのさ」


 そう返されて、冬眞は平均点をとっていることを言う事を躊躇った。


「……六十点くらいです……」

「じゃあ高校は別々だね」

「が、頑張ります!」

「ふふ、そう」


 もう涼しくなり始めた頃、麗の常に涼しい横顔を見て冬眞は公立高校を目指すことにした。




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