第26話 証拠品と父の顔
【水鳥 麗 再 一回目】
夕暮れだった。私の影が正面に伸びている。
左手には山の急な斜面があり、ボロボロの団地が右手にある。そのボロボロの平屋団地が幼い私が暮らしていた場所だ。
父親と顔を合わせるのは物凄く久しぶりだ。記憶の中にある父の顔もかすれてしまっているが、痩せていて、若い頃に日焼けをたくさんしたせいでシミやソバカスがあったことは覚えている。
父は幼い記憶をたどると、度々母と口論になっては怯えている私を撫でてくれた。そして難しい書類を持って自分の机に向かっていた背中を思い出す。
父が弁護士に会いに行っていたことは、今思えば解った。親権に関わることを弁護士に相談しに行っていたのだろう。
その弁護士に会いに行った帰りの父を私は待っていた。
――なんだか……全く落ち着かない……
そこに一人、くたびれたスーツ姿の中年男性がやってきた。痩せていて顔にソバカスがあるのが目立つ男性だ。
いくらうろ覚えでも、父の顔は見ればわかる。私は彼の娘だ。
しかし、今の私はそうではない。別の次元の別の生き物だ。だからそのように接しなければならない。
「あの、すみません。よろしいですか」
「なんでしょうか」
父は全く警戒心なく私に返事を返してくる。少し疲れているような顔をしていた。
これをなんと説明したらいいか、私には解らない。考える間もなかった。
「私がこれからいう事は、あなたの理解を超越したことかもしれません。しかし、あなたを信じてお話します」
嘘をつくのが苦手な私は、率直に話し始める。
変な小細工はこの人には必要ない。だって私の父なのだから。
「はい、どのようなことでしょうか?」
少しの訝しみを感じながらも、話を聞いてくれる姿勢を示してくれる。
「立ち入ったことで申し訳ないのですが、一つお願いがあります。それは、あなたの娘さんを、あなたが引き取って京都の×××小学校、○○○中学校へ通わせてほしいんです」
父は流石に驚いた顔をして、私の顔を見つめる。しかし、私の真剣な眼差しを見て、父は静かに続けた。
「どうして?」
「どうしても娘さんにはそれが必要なんです。…………今、親権争いをされているかと思いますが、通常、親権は母親に有利に働きます。しかし、これを使ってください。そして必ず親権をあなたが獲得してください」
私は持っていたビデオカメラを父に渡した。父は私が差し出したビデオカメラ本体を受け取った。それと私を交互に見つめる。
中身の再生の仕方が解らないのか、不思議そうにビデオカメラを見つめている。最新モデル過ぎたかと私は少し後悔する。時代にそぐわないものを持ちこんでしまっただろうか。
私はビデオカメラの再生ボタンを押して、その記録されている映像を見せた。父はハッとしたように私の顔を見た。
「これは……」
「これは、私にも関わることです。だから、必ずあなたに親権をとってほしいんです」
父は色々と聞きたそうだったが、私は黙って父の顔を見ていた。
父と共に生活すれば、私の希死念慮は根本からなくなるのだろうか。そんなことを考える。
「絶対に、×××小学校と○○○中学校です。そこに通わせてください。私が言っている意味が解らないかもしれませんが……私はあなたを信じています。難しいかもしれませんが、あなたも私を信じてください」
私が言っていることは一方的で支離滅裂だ。
父も流石に困ったような表情をして私の方を見ている。
「どうして×××小学校と、○○○中学なの?」
「そこで、あなたの娘さんがしなければならないことがあります。簡単に言うなら、人助けです」
「…………宗教か何かかな?」
「……宗教でもなんでも構いません。そのカメラに映っているものを裁判で使えば、親権がとれます。指定した小学校に通わせるのはそう難しい話でもないでしょう。そう悪い小学校でもないですよ。私立でもないですし」
言いたいことを一方的に言った。
時間がないことが私に焦燥感を抱かせる。いきなり現れて不審なことを言っている私が焦っているのは、父から見たら尚更不振に見えるだろう。
「どこかで……会ったことがあるかな? 懐かしい雰囲気を感じる」
「…………ありますよ。物凄く……気の遠くなるような前に」
私はそう言って、弱く笑った。
木村君が私を遺して颯爽と去って行ったように、私も父の前から姿を消した。父から遠ざかる途中、体力のない私はすぐに息が切れてきた。その最中、私はずっと考えていた。
木村君と私のような出会いではなかったかもしれないが、父と母は運命を感じて出会ったのかもしれない。
結果として歪んでいない過去でも歪んだ過去でも、両親は離婚することになってしまったけれど。
生まれた子共に罪はない。
それが親になるまでは。
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