第20話 いじめっ子とタトゥーシール
【水鳥 麗 五回目】
時間は夕刻。学校が終わる時間、私は校門の前にいた。
いつも私が現れる場所は本人の近くだ。ということは、木村君は学校に来ているのだろう。
中学生たちがふざけ合いながら校門から次々と出て行く。
自分にもこんな時期があったのかと、妙に遠くに感じる。
その一人ひとりの姿を目で追いかけ、木村君が来るのを私は待った。
私がなかなかこない木村君を待つ間に空の雲を眺めていると、声をかけられた。
見る間でもなく、その声は木村君の声ではないことは解った。私はその声の方向を首だけ動かして見る。
「お姉さん、誰か待っていてはるんですか?」
同じ中学の男子生徒だろう。
髪の毛が染められていて耳には一つずつピアスもつけていた。身長もまぁまぁ中学生にしては高い方。私と同じくらいか。
その後ろにはあまり派手ではない腰ぎんちゃくのような二人がいた。典型的不良グループという風貌。
――はぁ……中学生に絡まれるなんて……
粋がっていても、所詮は中学生。大したことない。
私は視線を外した。ピアスも物凄く沢山空いているわけでもなく、粋がってもまだ分別のつかない子供。まともに相手にすることも憚られる。
「そうですよ。待っています」
「誰を待ってはるんですか?」
「…………誰でもいいでしょう」
「俺たちとどこか遊びに行きませんか?」
ニヤニヤしながら、一番派手な少年が私の腰に手を回してくる。エロガキという言葉はまさしくこういう時に使う言葉のなのだろう。
私はその手を振り払った。
「やめて。はやく家に帰りなさい」
「いいやないですか」
周りの生徒たちが奇異の目で私たちを見るけれど、誰も私を助けようとはしない。
――……木村君もこうやって、見てみぬふりをされているのだろう……
少し脅かせば所詮中学生、委縮して逃げるだろう。
私は白蛇にタトゥーシールを私の肩腕一面に貼るように念じた。左腕に一面の龍の和彫りの刺青。代償の血液は手数料を込みで15ml。
首に白蛇が噛んだような痛みが走り、左腕に何かが張り付いたような感覚がした。チラリと見ると私の袖に隠れていた白い左腕には和彫りのタトゥーシールが貼られていることを確認する。
――このタトゥー、私なら絶対入れないな……
わざとらしくその左腕の袖がめくれるように腕を動かす。
すると、刺青をしているかのような腕が不良少年たちの前に見せつけられる。同時にシャランッ……とブレスレットの金属がこすれる音も響いた。
「気安く触らないで」
その少し見えた刺青のシールに、少年たちは驚いていた。
呆気に取られている。シールか本物かなんて中学生には解らないだろう。それに見えたのも一瞬だった。
私が不機嫌そうな顔をしていると、木村君が校門のところに暗い顔をして現れたことき気づく。
「木村君」
彼を呼んだ。
私を見ると彼は一瞬笑顔になったけれど、私に絡んでいる生徒を見ると顔が引きつっていた。着ている制服の腕のところにある紋章が木村君と同じだ。
他の生徒を見ると、色が違う者もいる。全部で3色だ。学年を分けているものだろうか。
だとしたら不良学生と木村君は同じ学年だということだ。
――まさか、こいつらがイジメを……?
「約束してる子がきたから、じゃあね」
私は木村君に歩み寄った。腕のタトゥーシールが木村君に見えないように隠しながら。
「木村君、行こ」
「え……はい……」
周りの視線を一身に受けて、それでも私は威風堂々と歩いた。木村君は周りを見渡して異質な空気を感じ取っていた。
「あの……何かあったんですか?」
「あの不良どもに絡まれたから、少し脅かしてやっただけよ」
「脅かすって……?」
「ふふ、あとで教えてあげるよ。そんなことよりもちゃんと学校行っていて偉いじゃない」
私は木村君の頭をポンポンと撫でる。
シャラシャラ……と左手の動きに合わせて音が鳴る。そのときにまた左腕の刺青のシールが見えた。周りの人には見えただろうけど、木村君には見えない。
周りの中学生や、民間人はそれをチラチラと見たり、凝視したりしている。
「は、恥ずかしいですから……その……」
「あはは、ごめんごめん。もし良かったら食事でも一緒にどう? 奢ってあげるよ」
「そんな、悪いですよ」
「中学生のくせに遠慮なんかしなくていいよ。私、今日また帰らないといけないから、しばらく来られないし……ダメかな? 私が君と食事したいの」
「……母に聞いてからでいいなら」
「うん、そうだね」
私と木村君は一先ず家に向かって行くことにした。
ある程度歩いて、人気のないところにきた。周りに人がいないのを確認して、木村君にネタばらしを行った。
「これでちょっと脅かしてやったら目を白黒させてたよ。所詮は中学生だね」
私が左腕をまくると木村君も驚いた顔をしていた。
「待って待って、これシールだからそんなに怖がらないで。触ってみて。シールだって判るから」
私が腕を差し出すと、木村君は恐る恐る私の腕に触れる。
「あ……本当ですね。少しベタベタします……」
「これで君についてる悪い虫が少し自重してくれるといいんだけど……」
木村君は暗い顔をして
腕にこんなに刺青をしている人と親しくしているとなれば、教師にも目をつけられるかもしれないが、なんちゃって不良には絡まれなくなるはずだ。
“その筋”の繋がりがあると思われたら、仕返しを恐れてイジメなんてできないはずだ。
「あのね、木村君。いじめっ子っていうのはね、卑怯者なんだよ。自分より弱い立場の人間にしか偉そうにできない弱虫なの。だから自分より強い立場の人間には絶対にナメた真似はしない」
「……………………」
「もしさっきの子たちが君に何かしているのだとしたら、もう何もしてこないと思う。刺青いれてる人と付き合いがあるような子をイジメたりしないと思うから」
「……別に……僕は……」
木村君は認めようとしない。認めたくないのだろう。事情は詳しくは解らないけれど、イジメに大義名分があるとは思えない。
どうせ、何の意味もなくイジメというものが発生して、その標的が木村君だったというだけ。
――確かに少し、変わっているというか……大人しい子だけど。それがイジメられていい理由になんて一つもならない。
「別に認めなくていい。……君が普通に生活できるなら、私はそれで……」
もう少し派手に脅かしておくべきだっただろうか。
でも、本格的に脅したら木村君の立場が今度は別の方向で悪くなってしまう。
私は考え事をしながら木村君の隣を歩いていた。それほど長い沈黙であったわけではないが、彼がそわそわしたような目で私の方を見てくる。
「どうしたの?」
「……あの……名前を教えてください」
「…………名前は……日隈弥生だよ」
偽名を名乗ることにやはり違和感を覚える。
「日隈さん……あの、どちらにお住まいなんですか?」
「私は群馬よ」
「群馬ですか……?」
驚いた顔を見せる。まぁ、それはそうだろう。関西と関東ではそこそこの距離がある。
「群馬ってどこにあるか知ってる?」
「たしか、長野の隣の……」
「そうそう。一応関東圏なの」
拘置所で同じ会話をしたことを思い出す。これで、君は拘置所に入ることもなくなるのだろうか。
「どうして京都に……? なんで僕のこと知っていてはるんですか?」
「…………そうね……なんていったらいいのかな……」
私は嘘をつくのが苦手だ。
まして、好きな相手に嘘をつくことはしたくない。名前を言いたい。
私の本当の名前は麗っていうんだよって言ってしまいたい。本気で君のことを愛しているからこそ、本当の名前で呼んでほしいい。
「まぁ、そのうち教えてあげるよ。何が食べたい?」
無理やりに私は話題を変えた。
◆◆◆
木村君のお母様に木村君が断りを入れて、そして食事に行くことになった。
木村君は私がふざけると、その度笑ってくれた。中学での出来事はあまり触れなかったが、どんな勉強をしているのかとか、何の教科が得意なのかとか、そんな話をした。
木村君は歴史が得意なようだった。私は歴史はまったく駄目だ。理科なら勉強しなくてもそこそこ覚えていられるが、歴史というと何一つ覚えていないというほど覚えていない。
「歴史が得意なんて、すごいじゃない。私全然わかんない。もう覚えてないよ。応仁の乱とかね」
「日隈さんは理科が得意なんですね。僕は……理科はなかなか難しくて。植物の葉緑体の話とか、なかなか覚えられないです」
拘置所で話をしていた時も、なんだかいつも堅い話ばかりしていたのを思い出す。
楽しい時間はあっという間だ。
私は木村君の元から去らないといけない。
幼い木村君と、あの時の木村君は明らかに雰囲気が違う。
――君が死刑宣告される前も後も、ずっとずっと同じ気持ちだった。君が許されないなら、私が代わりに命を差し出したって構わなかった。なのに、命を払うのは君の方だった。そして私も命を支払った。これが終わったら私は死んでしまう。別にそれは後悔なんてしてない。君が助かってくれるなら……
食事がすんで、木村君を家まで送り届けている途中、木村君が明るい声のトーンで聞いてきた。
「日隈さん、次はいつ京都に来はるんですか?」
その質問に、嬉しさと、そしていわれのない悲しみが折り重なる。私に会いたいと思ってくれている事実と、それが叶わない悲しさ。
なんと答えるべきなのか、考えている最中に遠くの街灯の明かりの列をぼんやりと目で追った。
「……木村君、私……もう、またしばらく来られないの」
「え……そうなんですか……」
残念そうな木村君の声。私もそんな顔を今しているのだろうか。
「木村君が中学を卒業する日に、また来ようかな」
「そんな先になってしまうんですか……」
寂しそうな顔。辛そうな顔。そんな顔をされると、私は胸が張り裂けそうになる。もっと木村君と一緒にいたい。命を払ったその分、ずっと。
「君は、決して強い子ではないけれど、繊細で優しい子だから私は心配だよ……でも、ごめんね」
「じゃあ、僕が群馬に遊びに行きます。夏休みとか、冬休みとか――――」
「木村君……」
私は堪えきれずに木村君を抱きしめた。
幼さを残しつつも、大人の男性へ変わりつつある身体。細身だけれど、筋肉が相応についている男子中学生の木村君の身体。
「支えてあげたいけれど、私には時間がないの……」
「時間がない……?」
「…………『このまま……二人で逃げちゃおうか……』」
『あのとき』のセリフをもう一度、私は君に伝えた。
――君の隣にいたい。君とずっと、一緒にいたいのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私は強く、木村君を抱きしめる。
「日隈さん……?」
身体を離し、私が泣いているのを木村君は見て狼狽していた。
「困らせてばかりで……ごめんね……」
消え入りそうな声で謝罪する。
今の木村君にそんなことを言っても、理解できないのは解っているのに、言わずにはいられなかった。
「君のこと……大好きだから…………幸せになってほしいの……私は……私はどうなってもいいから…………」
ボロボロと涙が零れて地面を濡らす。どうして私が泣いているのか、木村君には解らないだろうけれど、私は心が溢れて上手く言えなかった。
殺人を犯してしまった彼の幸せを願うことが、そんなに罪深いことなら、私はその罪から逃げたりしない。その罰も受ける覚悟もしている。
なのに……
なのに涙は止まらない。
「あはは、ごめん。君の前で私は泣いてばかりだね……本当はこんな泣き虫じゃないんだよ」
涙で濡れた手で、木村君の戸惑っている花のかんばせをなぞる。
そのまま手を首筋から襟の方へだらりとおろすと、襟でかくれていたネックレスが月光でキラリと光った。
「あ……つけてくれているんだね」
「はい。勇気をいただいたので……お守りにしてます」
「…………そんなものでいいなら、いくらでもあげるよ」
私が君にあげられるものなんて、ほんの僅かな物しかなかった。
木村君は暗い顔をしていた。家につくまでの間、私が彼の手を引いて歩いた。木村君の足取りは重い。私もなかなか足が前に進まない。家についたら一時のお別れだから。
それでもなお、家につく。
「じゃあ、また卒業の日に会おう」
「……絶対、きてくれますか?」
「もちろん、約束だよ」
私は深い傷痕のついている左手の小指を木村君の前に差し出した。
そっと、小林君も小指を差し出してくる。それを絡ませようとしたとき、木村君の家の扉が開く。
「冬眞! 随分遅かったやん。心配したんやで」
お母様が心配そうに玄関から出てきた。お母様と私は目が合う。私にとっては3回目の体面だが、今の彼女にとっては私は初対面だ。
「すみません、遅くまでお子さんを連れ回してしまいまして」
私は深々と頭を下げる。
「え、冬眞お友達とご飯行くゆうてたやん。この方がお友達?」
木村君は頷く。
「あっ……その、別に如何わしいことは一切しておりませんので!」
不純異性交遊だと思われたら困るので、私は真っ先にそう言ってしまった。
――しまった。かえって怪しいだろうか?
ばたばたとせわしなく私は両手を前で振る。
「あははは、そんなこと疑ってあらへんよ。面白い人やねぇ。冬眞、お母さんに紹介してや」
「お母さんは家戻っててや……話の途中やねん。邪魔せんといて」
木村君の関西弁を初めて聞いた。
――なんだ、やっぱり標準語以外も話すじゃん。私には頑なに敬語の標準語で話すくせに。
私は微笑み木村君を見た。その様子を見たお母様は何かを悟ったようだ。
「はいはい、ごゆっくり。ふふふ」
お母様は家の中へ戻っていった。気まずい空気が流れる。
「面白いお母さんだね」
苦笑いでそういうと、木村君は気恥ずかしそうに顔をわざとらしく掻いた。
「これ以上話していたら、名残惜しくなっちゃうから。私はもう行くよ。お母さんも心配するし」
「何で帰られるんですか? もう夜中ですし、新幹線も動いていないですよね……?」
「え……まぁ、その……車で帰るから」
「そうですか……」
木村君はシュンと落ち込んだ。私はその垂れた
「大人になったら、もっと楽しいこと沢山あるよ。じゃあね。卒業式の日にまた」
私は木村君の頭から手を離して、走った。
私は木村君に嘘をついた。
大人になったって、別に楽しいことなんてない。
毎日、誰が死んだとか、殺されたとか、横領があったとか、事故があったとか、暴力があったとか、そんな話しか入ってこない。
――これが本当に楽しいことだろうか?
私はふり返らなかった。
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