第19話 ブランコとソフトクリーム
【水鳥 麗 四回目】
私は木村君が中学でイジメに遭ったという時期までに戻ってきた。少し肌寒い。
携帯の画面で自分の顔を確認すると、案の定酷い顔をしている自分と、その日の日付が画面に映る。目の腫れについては治っていた。
かといって目が死んでいることには変わりがない。
「はぁ……酷い夢を見ている気分だ……」
命を捧げた実感はない。いつも通りだ。いや、時間を遡っているのにいつも通りなんてないけれど。
場所は木村君の家の前。もうすっかり夜の
木村君の家は住宅街の一角。
目の前に私が先ほどまで絶望に打ちひしがれていた公園があった。比較的に大きな公園だ。その公園を横目に少し歩くと、私が白蛇と命のやり取りをしたブランコがあった。
――死ぬのなんて……全然実感わかない……
そこに少年とも青年とも判断できない子供が座っているのが見える。
まるで、泣いているようなシルエット。ブランコの鎖に手をかけてうつむいている。身体中、砂で汚れていた。服から出ている四肢は怪我をしているのも確認できた。
幼い顔は、木村君の面影があった。
「……木村君?」
私がその少年に声をかけると、涙を浮かべた無垢な
先ほどまでの私と同じだ。その姿を見て、私はやはり胸が痛む。
――なんて……残酷なんだろう……どうしてこんな小さい子が……
「…………木村君だよね?」
「…………」
黙って涙をこぼし、何も答えない。その姿を見て尚更心が痛んだ。脆い精神であることが見て取れたから。
「……隣、座るね。木村君」
木村君が乗っているブランコの隣に僕も乗った。やはり、大人が乗るには少し低い。
何を話すでもなく、何を放したらいいのか解らず、泣いている彼になんと声をかけていいか解らず、ゆっくりと私はブランコを漕ぎ始める。
木村君は私に何も言わない。たまにすすり泣く声が聞こえるだけだ。
ただ、逃げだしたりする様子はない。なんとその傷だらけの少年に声をかけたらいいか、私は解らなかった。
「木村君、怪我してるところ……洗わないと雑菌が入っちゃうよ」
そんなもっともらしいことしか言えない。
自分も子供だったのに、子供にどう接したらいいか解らない。まして、木村君は私にとってただの子供ではない。
命を捧げるほどの大切な相手だ。
幼いその容姿でも、やはり私はその面影に胸が押しつぶされそうになる。
「……おいで。そこの水道で洗ってあげるから」
できるだけ優しく、警戒されないように促す。
木村君は泣きながらも、私の差し伸べた手をとって、ついてきてくれた。
水道で木村君の手と、膝を洗った。痛そうな顔はしていたが、黙って我慢している。私は白蛇に念じて、自分の血液と引き換えに軟膏と傷に貼るフィルムとマスキングテープ。包帯を出してもらった。
消毒は細胞組織にも刺激が強い為、使わない方が傷自体は綺麗に早く治る。ガーゼは傷口に張り付いてしまうために、傷に張り付かないフィルムを使うことにした。
再びブランコに座らせ、私が
「…………木村君、つらいなら……無理しなくていいんだよ」
木村君は、泣いているのも大分落ち着いてきて、私の話を黙って聞いていた。私はそのまま続けて言葉を紡いだ。
「学校で嫌なことがあったんでしょう? 私も……学校行くの辛かった。嫌だったし……でも、家にいるのも嫌だった。……この世のどこにも自分の居場所はないって思ってた」
ぎぃ……ぎぃ……ブランコの揺れる音。木村君は不思議そうな顔をしているようにも見えた。
「木村君、あのね……私。君のことずっと前から知ってるんだ。木村君は私のこと、誰か解らないと思うけど。……今日、君が泣いているのを見つけて……なんとかしてあげたいって思った。何かしてほしいこと、ある?」
――やっぱりなんとかしてあげたい。何かしてほしいこと、ある?
あの時の記憶が蘇る。今なら、あのときよりは何かしてあげられる気がした。
「………………」
木村君は何も答えない。
「言いづらいこともあるよね。私も言えなかった。言いたくても、言えないんだよね」
「……っ……うっ……」
再び泣き出した木村君を、私は立ち上がり抱きしめた。
「辛かったよね……苦しかったよね……ごめんね…………」
私の目からも涙が出てくる。暫くそうやって抱きしめていた。まだあどけない小さい彼の姿。あの時の最期の姿とは違う。
木村君が泣き止んだ頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。木村君は大人しい子供だった。子供というのには中学生なら難しい年ごろだろうが、やけに落ち着いているように見える。
人見知りがあるのだろうが、私に対して何も聞いてこない。
そんな彼を私は見つめた。彼も私もつぶらな瞳で見つめてくる。会話がない中、私はなんとか間を持たせようとした。そんな中、妙案を思いつく。秋口で少し肌寒い中、私はふとソフトクリームが食べたくなった。
「ねぇ、ソフトクリームは好き?」
木村君は無言で頷く。
「じゃあマジック見せてあげる」
私は白蛇に語り掛け、血を代償にソフトクリームを出してもらった。私が手を背中に回すと、その手にソフトクリームを手渡してくる。
これは悪くない。便利だ。血液の量に気を付ければかなりいい。
「はい、これあげる」
それを手渡すと、木村君の表情は少し明るくなった。
「……どうやったんですか?」
少年らしい顔つきに戻り、初めて普通に話してくれた。私に目を輝かせて聞いてくる。こんな時期もあったんだな……当たり前だけれど。
少し立ち直ってくれて良かったと私も少し笑顔になる。
「ふふ、秘密。もう夜になっちゃったから、お家帰ろうか」
私は左手を木村君に差し出した。けれど、先ほどは取ってくれたその手を、木村君は気恥ずかしそうにして取ってくれない。思春期の少年らしい反応だった。
家に送り届けてその日はもう帰ろうかと思ったけれど、ここでよく話をしておく必要があった。ここが一番の分岐点だ。
「木村君、あのね……もし、今辛いことがあるなら無理しなくてもいいと思うんだ。でもね、逃げたらいけない。いつか、大きな代償を払うことになってしまう」
木村君は黙して
「学校行くの嫌になっちゃっても、行っておけば良かったって思う日が来る。大人はみんなそう言うけれど、私も大人になってそう思うよ……」
私は別に、登校拒否をしていたわけではないし、成績もどちらかと言えばよかったけれど。進路はもう少しきちんと考えておけばよかったような気もする。
「木村君は頭のいい子だから、学者さんとかに会うと思うな。研究職が向いていると思う。まぁ……まだ先の話だし、ピンとこないと思うけれど」
私より少し背の低い彼の頭を撫でた。
「君なら立派な学者さんになれるよ。私が保証する。今負けちゃったら、もったいないよ。君が素直ないい子なの、私は解っているから」
木村君は心底恥ずかしそうにしていた。本当に純粋な子だなと私は痛感する。こんな風に髪に触れたいと、拘置所にいた時に何度思ったことか。
「繊細なのは木村君のいいところだと思う。でもね、時には傷を負っても戦わないといけない時があるんだよ。私もね、何度もくじけそうになりながら生きてきたけど、それでも負けるのは悔しくて……だからってわけじゃないけど、木村君にも負けないでほしい。これ、君にあげるよ」
私は何年も肌身離さずつけていたネックレスを外し、木村君の首にかけた。
細い銀のチェーンにひし形の一センチ程度の大きさのトップがついている。トップには十字架のマークがついていた。
「そのネックレスはね、私がくじけそうになったときに、何度も支えてくれたバンドのヴォーカルがデザインしたネックレスなんだよ。私がずっと身に着けてたものなの。くじけそうになったら、そのネックレスを見て。負けないでほしい」
「……そんな大事なもの、もらっていいんですか……?」
「うん、君はそういうのつけないだろうけど」
「でも……学校は……装飾品禁止です……」
「あ、そうだった……。まぁ、家に置いてもいいし、うまく隠してもいいし、任せるよ」
木村君がネックレスを外そうと首の後ろに手をやるが、なかなかそれがとれない様子で苦戦していた。私はそれを見て微笑ましく思う。
不器用なところも、私からしたら木村君の良いところだと思う。
「外してあげるよ」
私が彼の首に手を回して外そうとしたとき、急に声をかけられた。
「ちょっと君たち、なにしてるんや」
そちらを見ると警官が二人こちらに歩いてきていた。まずい。この子は中学生だった。片や私はもう大人。これは犯罪の匂いがする。
「あー……まずいな。木村君、1カ月後また会いに来るから。負けたらダメだよ。じゃあね!」
私はそう言って走って逃げた。
そして振り切ったころ、息を切らして前かがみになって心臓の鼓動を感じていた。
不思議と笑えてきた。これは本当に現実なのだろうか。でも、もしこれが夢でも、木村君が幸せになる道を見つけてくれるのであればそれでいい。
私はその1カ月後に飛んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます