第18話 期待と絶望

 




【水鳥 麗 三回目】


 私は約束通り、彼と別れたすぐ後に二年後に来た。彼が約束を守ってくれていてくれたら、事件を起こしていないはず。

 私は木村君の家を訪ねた。彼の家に洗濯物が干してあるのが見える。私はその日常の風景に少しだけ安堵する。そして表札をみて【木村】の文字を見るとさらに安心した。


 ――まだここに住んでるということは、事件を起こしていないということだ


「はぁ……これで……」


 何度も何度も夢見てきた。

 普通に話しができて、一緒に食事に行ったり、水族館に行ったり、図書館に行ったり、色々私には木村君としたい夢があった。

 木村君を法廷で抱きしめた時の感触は、未だに残っている。


 ――また……そうできる日が来る……


 インターフォンを緊張しながらも押してみる。


 ――お母様は今いるだろうか?


 私は落ち着かない様子で少し待った。やけに長く感じる。拘置所でいつも待っているときに緊張していた時と同じだ。

 落ち着かない気持ち。


「はい」


 女性の声。お母様だ。その普通の声にホッと胸をなでおろす。


「あの、日隈と申します。木村冬眞君いらっしゃいますか」

「日隈さん……!?」


 それから返事がなくなり、どうしたのだろうと私が思っていたらお母様が血相を変えて出てきた。

 一瞬で私は安堵していた気持ちが消え、嫌な予感がした。


「日隈さん……どうしてもっと早く来てくれへんかったん!?」

「え……」


 嫌な予感は増していく。

 どの方向に悪いのかまでは想像できないものの、いい方向ではないことだけは解る。冷や汗が出てくる。なんと返事をしたら良いのか解らず、固まってしまった。


「どう……したんですか……?」

「冬眞は……ずっとあなたのこと待ってたんよ」


 お母様はものすごく暗い顔をした。


 ――やめてくれ。これでうまくいってくれないと、私はもう手段が……――――


「あがりや。会わせたるから」


 嫌な予感が泡のように膨張する。

 知りたくない。これでハッピーエンドになっていてほしい。本当はその暗い顔は演技であってほしい。しかし、私は結果を確かめなければならない。

 恐る恐る家に上げてもらって、木村君の部屋の前までついていく。心臓が止まりそうだ。息も無意識のうちに止まってしまう。


「冬眞、開けるで」


 そう言ってお母様はドアを開けた。


 ――え……どういうこと?


 本人に確認を取るということは、生きているということなのではないか。

 なんだ、そんなに重篤なことにはなっていないのではないか。

 そう思ったのはほんの二秒程度の間だった。扉の中の様子を見て、私は愕然とした。


「冬眞……日隈さん来てくれたで」


 そこには呼吸器や生命維持装置をつけて横たわる木村君の姿があった。


 ――植物状態……? 


 その言葉が脳裏によぎる。私は咄嗟に木村君に駆け寄った。木村君の痩せている手を握ると、冷たい。


「木村君……! 木村君!!」


 私が呼びかけても、木村君は何も反応を返さなかった。薄い胸が呼吸で上下にかすかに動くだけだ。


「木村君……どうして……」


 私は言葉を失った。


 ――約束通り来たのに。どうして……どうしてなの……


 正常な意識が蝕まれる。彼の手を強く握るが、痛がることもなければ握り返してくれることもなかった。


「冬眞は……日隈さんに言われた通り、薬を飲み始めたんよ。学校にも行き始めたんやで…………でもな……そこでもイジメがあって……自殺しようとして、失敗してこうなってしまったんよ……」


 お母様は声が震えていた。


 ――どうして自殺なんて……君は生きたいって思っていたはずなのに……


 それを聞いた私も涙が浮かぶ。

 ひたすら木村君の手を握って彼の顔をじっと見つめた。


「冬眞は……日隈さんに会いたがってたんやで。でも、住所も連絡先も何も解らんと、何もできんかった。色々調べたりしたけど、結局どこの誰なんか解らへんかった……」


 私は色々な要因が重なって答えられなかった。窒息感、悲哀、後悔……。


 ――どうしてこんなことに……木村君は人生やり直したいって言っていたのに……。もしかして、統合失調症から治してしてしまったから? つらい現実を押し付けてしまったから?


 眼振する。視界が定まらない。握っている手に涙が落ちる。


「……遺書が残ってて、日隈さんのことが書いてあるから……来たら見せようと思ってたんやで……」


 お母様が言葉を失っている私に、木村君が書いた遺書を渡してきた。

 それを読んだら、私が自殺してしまいそうで読みたくなかった。けれど、それを読まなければならない。読まないわけにはいかなかった。


 〈遺書

 私が生きてきた二十二年間、それは全く無駄だったのだろうか。

 先が不安で仕方がない。

 そう思うことが多くなってきた。けれど、こんな私によって助けられたと言った人がいた。

 突然現れた女性はヒスミヤヨイさんと名乗った、

 私の統合失調症の症状を理解した上で私に投薬を促した。当時、酷い妄想を抱いていた私も徐々に回復し、自分が抱いていたものが自分の妄想だったと徐々に気づいた。

 ヒスミさんは二年後に再び会いに来ると約束してくれた。


 人生をやり直そうと定時制の高校に行ったが、そこでまた不遇な扱いを受けることとなった。

 結局、私は学校に行くことをやめた。

 ヒスミさんが会いに来たとき、こんな姿を見せたくはない。

 彼女は私によって助けられたと言っていたが、助けられたのは私の方だ。


 最期にもう一度、話がしたい。

 こんな私のことを解ってくれた人。

 いくら調べても、私との関りを明らかにすることはできなかった。

 本当に2年も待って、きてくれるのか解らない。

 もう疲れてしまった。

 先立つ私を許してほしい〉


 その神経質な字で書いてある遺書を抱きしめ、私は泣いた。

 どうして待っていてくれなかったのかと。私は木村君の身体を抱きしめて涙を流す。


 ――こんな結末、嫌だ……


 死刑にはなっていないけれど、こんなの納得できない。もっと早く会いに来るべきだっただろうか。しかし、私がいない状態でも立ち直ってくれないと、うまくはいかない。

 泣きすぎて頭が痛くなっていて、まともに考えられない。脱水症状だ。


「許さないよ、木村君。こんなの許さないから……」


 これは私のエゴだ。

 死刑を免れたけれど、木村君が幸せにならないこんな結末納得できない。私は涙を拭ったその手で木村君の白い頬に触れた。

 お母様は私に「同級生っていうのは嘘やったん?」と疑問をぶつけてくる。しかし、私は泣きすぎて胸の苦しみによって答えることができなかった。

 また私は君を救えなかった。




 ◆◆◆




 絶望的な気持ちで私は公園のブランコに座っていた。

 ぎぃ……ぎぃ……とゆらす。

 他に誰もいない。夕闇が空を包み込むが、私の目にはその美しい夕焼けなど映っていなかった。目が泣きすぎて腫れている。どこも見ていない目をしている。

 ぎぃ……ぎぃ……とブランコの揺れる音が私の鼓膜を振動させるが、私は何も聞いていなかった。

 木村君がいない世界は、何もかもが灰色に見えた。死刑が決まったときも、私は何もかもを失ったような気がした。

 身の回りの全てが自分を見捨て、何もかもが敵に見えた。

 植物の緑すら憎らしく思えてくる。小鳥のさえずりすら敵意を感じる。空の青さすら自分をあざ笑っているかのように見える。虫のさざめきも嫌味に聞こえる。

 それは、地獄の中だった。


「もう契約の回数は終わったぞ。現世に戻り、あの男のことは諦めることだな」


 背後で白蛇が囁く。


 ――これが現実……?


 心のどこかでこの結末を知っていた。きっとこうなるってこと。そんなうまくいくなんて、思っていなかった。

 それでも、それでも私は木村君を助けたい。木村君がいない世界は全部、自分を排除してくる世界に見えた。

 それなら、もう私がこの世界から排除されるのではなく、私がこの世界を排除してしまおう。


「血液と……、命が契約の代償だったよね……ずるいなぁ。こうなるってこと、解っていたでしょう」


 絞り出すように私は白蛇に向かって語り掛けた。


「なんのことか、わからないな」

「……私が必ず命を差し出すって解っていたくせに」

「ほう? 命を差し出すというのか?」


 わざとらしく聞こえたその言葉に、私は苛立ちを隠せない。


「白々しいな……」


 なんのことはない。

 ずっと捨てようとしていた命だ。ずっと狂気に沈めてきた人生だ。もうこんなもの、捨ててやる。


「命なんてくれてやる。命をかけるんだから、あと十回過去に戻す契約にしてよ。それから……終わったら私のことを木村君の記憶から消してほしい」


 どうせ死んでしまうなら、情など移らないようにしないといけない。

 木村君が幸せになるには、死にゆく私の存在は邪魔でしかない。

 白蛇は私の首にまとわりつき、締めるように絡みついた。


「いいだろう」


 ――こんな命ひとつで君が救われるなら、私はいくらでも差し出す。私は君の為なら、君が幸せになるなら命なんて微塵も惜しくない


 私は木村君の為に、魔に命を差し出すことにした。




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