第2話 ウェディングドレスと中年男
【木村 冬眞 二】
結婚式までもう少しだった。
段取りもかなり進んできている。
ただ、最近ふと何か違和感を覚える瞬間が多い。
美那子のことは好きだし、不満も何もない。きっと幸せになるのだろうと感じる。
これがいわゆる、マリッジブルーというやつなのだろうか。
僕は美那子と二人で街のウェディングドレスを扱っているお店へ訪れていた。美那子は物凄く楽しみにしていた。
僕は……楽しみだったのだろうか。
「冬眞ー! こっちこっち」
楽しそうにする美那子。僕も杞憂を振り払って笑う。
「そんなにはしゃぐとまた転ぶよ、美那子」
「そんなに転んだりしてないもん!」
子供のようにわざとらしく頬を膨らませてこちらを見てくる。それに僕は苦笑いをしながら応える。
「悪かったって。ソフトクリームでも奢ってあげるから」
「もう! あたし子供じゃないから!」
そういうところが子供なんだよね。
なんて言ったら余計に怒ってしまいそうだから、僕は笑って誤魔化した。
――でも、あれ? 美那子ってこんな人だったっけ……?
と疑問が浮かぶ。
もっと大人びた人だったような気がした。優美に振り返っては、色っぽさを感じさせるような。
付き合いだしたときは初めての彼女だったから、きっとそう見えたのかもしれない。今は僕の方がずっと大人びている。
ウェディングドレスを何着も試着している間、僕は待っていた。
楽しそうにする美那子に、僕は「似合ってるよ」「可愛い」などと相槌を打ちながらその代わる代わるウェディングドレスを試着する美那子を見ていた。
彼女は2時間程度僕を待たせてやっと気が済んだようだ。
――なんだか……いつも僕、待たされているような気がする……
美那子が無邪気に僕の腕に絡みついてきて笑う。
まるで小動物のようだった。僕らはドレスを選び、外に出た。
「ねぇ、ペットショップがあるよ冬眞。見ていこう?」
颯爽と吸い込まれるように入っていた美那子の後に続いて僕はペットショップへ入った。
子犬や子猫が可愛らしくガラスケースの中ではしゃぎまわっている。
「可愛いね。冬眞。この子すっごい可愛い! ペット飼おうよ」
明るい笑顔で美那子が目を輝かせて言ってくる。
それを見て、違和感を強く覚える。
「美那子って、ペットとか好きだったっけ?」
「うん! 猫可愛い!」
気のせいだろうか。
胸に、まるで雨が降りそうに暗い曇天のような違和感を覚えるのは何故だろう。
「結婚したらスコティッシュフォールド飼いたい!」
笑顔ではしゃぐ美那子を見て、僕は笑い返した。
結婚式まであと数週間。これから先の未来を考えた。
研究者として成果をあげるか、それかその経験を他の仕事に活かすか……家族ができるということがどういうことなのか、僕には釈然としないものがあった。
そもそも、未来のことをこんな風に考えた事なんてあっただろうか。
◆◆◆
【水鳥 麗 二】
次にその不思議な救世主に会ったのは、小学生低学年のときだったかな。
私は学校が終わると、暗い顔をして歩いていた。
帰り道はいつも一人だ。
友達はいるけれど、家の方向が違う。
家に帰るとヒステリックなお母さんの機嫌を伺いながら家の玄関を通らなければならない。
凄い剣幕で「お前は何をしても駄目!」「うるさい!」「黙れ!」と言うお母さんの姿を思い起こすと、帰る足取りが重い。
「お嬢ちゃん……独り?」
クラスでは一番背の高い私でも、大人の男性を見る時は見上げなければならない。
男は何やら息が荒く、顔が油でギトギトしている。典型的中年体型で、お腹がでていた。
「一人……だけど……」
「おじさんの家に来ない?」
「家に……?」
私は帰りたくない一心で、その言葉に心がゆらぐ。
――でも、帰りが遅くなるとまたお母さんに叱られる。
「お菓子もあるし、ゲームもあるよ」
「本当?」
お菓子など、ろくに食べた事のない私はその言葉に釣られて中年男性の方へ一歩踏み出したとき、
彼はどこからともなく現れた。
彼が中年男性と対峙すると、中年男性は何も言わずにどこかに消えていってしまった。
「お兄ちゃん……だれ?」
お菓子が食べたかった私は、少し残念な気持ちでそう言った。
「……ごめんなさい。言えないんです」
その言葉を聞いた僕は、小さい頃に同じことがあったことを思い出す。
「……あ! あの時のお兄ちゃん!」
私は彼に気を取られて中年男性のことはすぐに忘れた。彼は私の目線の高さまで腰を下ろした。
「私ね、水鳥 麗っていうの。お兄ちゃんお名前は?」
彼はばつの悪そうな顔をして、名前を名乗らなかった。
相変わらず長い髪の毛が風に揺られて揺れていた。毛先が痛んでいてまとまりがない。
「なんで髪、長いの?」
子供の純粋な問いかけに彼は一向に答えようとはしない。
なにやら答えづらそうな表情をして私の方を見ているだけだ。
「麗さん、気を付けないといけませんよ。知らない人に話しかけられたら、すぐに逃げないと駄目です」
「じゃあ、お兄ちゃんからも逃げないといけないの?」
私の問いに、彼は目を逸らして何度か瞬きをした。
長い睫毛が瞬きで震えていたのがやけに印象に残る。
「……そう……かもしれませんね」
「でもお兄ちゃん、昔から知ってる気がする」
私がそう言って笑うと、彼は一瞬辛そうな、泣きそうな顔をしたように見えた。
「お兄ちゃん?」
「いえ、なんでもありません」
「お兄ちゃん、私…………お兄ちゃんに悪いことしちゃった……?」
お母さんに叱られるときに顔色をうかがう癖がついてしまった。
私は彼に対して何か気に障るようなことを言ってしまったのではないかとビクビクと顔色を伺う。
「してないですよ」
「……じゃあなんでそんな顔するの……」
「私は、昔から麗さんを知ってます」
なんで? と聞こうとするも、彼は立ち上がって私の手を取る。
「とにかく、気を付けてくださいね」
「? うん」
彼はそう言って、私を家に送ってから去って行った。
私はまたすぐに彼のことを忘れた。
私は家についた後、現実から逃れる為にしたいゲームのことで頭がいっぱいだったのだ。
ゲームをしているときだけは、現実世界のことを忘れられたから。
友達から借りたゲームに、私は現実世界など忘れてずっとのめり込んでいた。
今思い返せば、あの中年男性が私にどんな汚らわしいことをしようとしていたのか解る。
彼は私を助けてくれたのだ。
当初の私はそんなこと気づくわけもない。彼が表情を暗くした原因も、結局解らないままだ。
彼が去った後、夕闇だけが鮮やかに残っていた。
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