第3話 危篤と自殺
【木村 冬眞 三】
結婚式まであと一週間に迫ったある日のこと、僕の携帯が振動し始めた。それを手に取って確認するとメッセージが入っていた。
差出人は同じ研究室の松島だ。
〈関野教授が危篤だ。来られたらすぐに×××病院までこい!〉
それを見た僕は慌てて、最低限の荷物を持ってその病院に向かった。
行く途中でタクシーを捕まえ、病院まで走ってもらう。
落ち着かない気持ちでタクシーに乗っている中、僕は外の景色が過ぎていくのが嫌にゆっくりに見えた。
――教授……
タクシーは法定速度を守りながら、病院へと向かっている。僕はずっと落ち着かない気持ちで乗っていた。
しかし、僕の焦りとは関係なく病院に辿り着く。
死の匂いがする病院は、どうにも好きになれなかった。
消毒薬の匂いというか、薬品の匂いというか、あの独特の匂いはやはり好きになれない。
そんなことを感じながら、僕は関野教授の病室へ急いだ。
個人の病室にたどり着くとそこには既に研究室の他の人が数人集まっていた。松島と、あと二人。峰岸と山下。
僕が入ったことに気づくと、三人は道を空けてくれた。
「木村、おせぇよ!」
松島が僕に対して焦ったようにそう言う。
関野教授はベッドを半分起こしていて、意識はあるようだった。危篤などと言われた僕は、てっきり意識がないものかと思っていただけに少しだけ安心する。
教授細い身体に、上品な顔立ちをしていて、優しい表情で病室に入った僕を見た。
僕は関野教授に足早にかけ寄った。
点滴に繋がれた細い腕は触れると驚くほど冷たい。
「冬眞君……来てくれたのか……。今しがた少し落ち着いたんだ。心配かけて悪かったね……ゴホッ……ゴホッ……」
「教授……」
苦しそうに咳混む教授が、僕には痛々しかった。
死にゆく人間というものは、どうしてこうも儚げに映るのだろう。
「冬眞君……君に……そろそろ言っておかないといけないことがあるんだ……」
「なんですか……?」
「すまないが……冬眞君以外席を外してくれないか……。私は大丈夫だ。拓哉君も、少し発作が起きただけで大騒ぎするんじゃないぞ」
松島が注意されて肩を落として謝罪する。
――松島のやつ、危篤だなんて言って脅かすから……少し発作が起きただけじゃないか
僕はホッとして胸をなでおろす。
松島たちは頭を下げて病室から出て行った。
教授と僕以外誰もいなくなって静寂が訪れる。
傍らには松島たちが差し入れたのか、名前は解らないが美しい花が飾られていた。
僕はおずおずと教授に話を伺った。
「なんですか、教授。お話とは……」
教授は真剣な目をして僕の目をしっかりと見つめていた。
その目の輝きはもうほぼ失われかけているように見えた。僕はそれを見ていて胸が苦しくなり、目頭も熱くなってくる。
「冬眞君……私と初めて会ったときのことを覚えているかい?」
「勿論ですよ、あのときは――――」
教授に出会ったときのことを僕は思い出した。
そこで僕は言葉に詰まる。
――…………なんだ? よく思い出せない。……上京したときに出会ったはず。なのに……
何故上京したかの理由もよく思い出せない。
「……思い出せないだろう。無理もない……。私も『あの時』は……訳が解らなかった」
「どういうことですか?」
「言って良いものかどうか……ずっと考えていたんだ。君を託されたあの日から……」
――託された……? 誰に?
僕が疑問を口にする前に教授は次の言葉を話しだした。
「しかし……死期が近づいて……ずっと煮え切らないことがある。それが唯一心残りなんだ……ずっと私が調べていた事件を……君に託したい……」
「事件……ですか?」
「あぁ、おそらく……君にも関係がある事件だろう。私の推測でしかないが……ゴホッ……! ゴホッゴホッ……!!」
激しく咳き込み始めた教授を見て、僕は慌ててナースコールを押した。
咳が止まっても教授は苦しそうに肩で息をしている。
「どうしましたか?」
ナースコールから看護師の声が聞こえてくる。
「激しく咳き込んでる! 早く来てください!!」
「解りました。すぐ伺います」
咳き込みながらも、関野教授は僕に対して話し続ける。
僕は教授の冷たい手を握った。
「冬眞君…………ゴホッ……ゴホッ……! 事件の名前は『高崎魔法陣猟奇殺人事件』だ……私の研究室の机の……引き出しの一番上の鍵を…………」
――高崎ってどこだ?
聞きなれない土地の名前だった。
そしてその後に続く『魔法陣猟奇殺人事件』という一度聞いたら忘れることのできないような名前の事件に僕は眉をひそめた。
教授は力を振り絞るように、自分のキーケースの中からその鍵をとって僕に手渡してきた。
「私の大切な教え子だった子が殺された事件だ…………鍵をなくさないよう……ゴホッゴホッ……君のしているネックレスにでもつけて……ゴホッ! ゴホッガハァッ……はぁ……はぁ…………」
苦しそうに僕のつけているネックレスを見る。小さなダイヤ型の中に十字架があしらわれたネックレスだ。
「そのネックレスは……――――」
教授は言いかけて意識を失った。
看護師が来て、応急処置を始めるのに僕は外に出された。
鍵を握りしめ、その事件はなんだかものすごく胸騒ぎのすることで、とても嫌な感じがした。
――僕に関係のある……猟奇殺人事件……? 教授の教え子が殺された……――――
考えを巡らせていると、外にいた松島たちが慌てて僕に声をかけてくる。
「関野教授は!? どうしたんだよ、本当に危ないのか!?」
恰幅の良い松島に肩を揺さぶられ、僕の身体と頭は前後に揺れた。
「酷い発作をまた起こしたんだ……」
その後、一時間もしないうちに教授は亡くなってしまった。
あまりにも僕には受け入れがたい事実だった。
◆◆◆
【水鳥 麗 三】
その次は、小学校高学年のとき。
私は、自殺しようとした。
――もうこの世に希望がない。もうだめだ。耐えられない……
うつろな目で部屋にあるカッターナイフを手に取って、自分の手首に突き立てたときだ。
自分の部屋にいたはずなのに、どこからか彼が現れ、私の手を掴んで止めた。
――どうして?
扉の開いた音も、他に何の音も、何の前触れもなかった。
玄関の鍵も閉まっているはずだし、そもそも私の部屋は二階にある。
私は素直に驚いた。
「うわぁっ!?」
女児らしからぬ酷い悲鳴をあげて、私は椅子から立ち上がって部屋の隅に後ずさった。
怖いという気持ちが強かった。
見た目が長髪で顔も隠れがちになる容姿も、ガリガリの身体も、まるでお化けが出たのかと思った。
「な、なっ……」
「麗さん、落ち着いてください。あのっ……」
彼は焦っているようで、落ち着きのない様子で私を落ち着かせようとした。焦っているのは私の方も同じだ。
何もかもが不可解だ。
「あなた、一体何者なんですか!?」
私は突然部屋に現れた彼にそう問い詰める。
当たり前だ。
もう訳が解らない。
しかし、やはり彼は何も言おうとしない。
幸いにして、お母さんは家に居なかった。大きな声を出しても怒られる心配がない。
「……死のうとした原因は解っています。悲しいでしょうけれど、こんなことは……麗さんらしくない」
――どうして解るの? この人は本当に何者なの?
私は得も言われぬ恐怖に硬直する。でも、けして危害を加えてくる様子がないことは理解できた。
理解できても、私はそのときそれどころではなかった。
「なんで私が死のうとした原因が解るの!? ふざけないで! 放っておいてよ!!」
彼に冷たく言い放ち、私は泣き崩れた。
そのときは、私の大切な人が亡くなった後だった。
見るも無残に事故死だった。
――かけがえのない大切な人だったのに、心の支えだったのに……
何も考えたくなかったし、こんな世界に生き続けるのも嫌だった。
何も見たくなかった。
私の大切な人は、私を置いて死んでしまったのに、なぜ私は生き続けないといけないのだろう。
彼は困ったように私を見ていた。
別段何か言ってくるわけでもなく、励ますこともなく、泣き崩れる私を、ただ見守ってくれていた。
「麗さん、あの…………」
私が泣き止んできた頃、やっと口を開いたかと思ったら、口ごもって何も言わない。そのまま数分が経過しただろう。
私も落ち着いてきて、ただ目の前にいる彼を見つめ返した。泣いて腫れている赤い眼で。
「……どうやって……入ってきたんですか?」
私もやっと口を開き、彼に問う。
「…………」
やはり何も言わない。
「あなたは人間なの?」
「一応、人間です」
ハッキリと、澄んだ声でそう答えた。
まだあどけなさの残る青年の声。
どうしてこれはハッキリと答えられるのだろうかと私は思っていた。
「……名前、教えてくれないの?」
「それは……答えられません」
「どうして答えられないの……?」
「………………」
また何も答えない。
答えないときは目を逸らしてどこかを見ている。
私が泣き腫らした目でじっと彼を見つめると、彼は悲しそうな顔をした。
「あの……こんなこと言うのも気が引けるんですけど……私、帰らないといけないので、帰ります」
男なのに『私』という上品な一人称に違和感を覚える。まだそんな歳でもないだろうに。
突然現れて私が自殺するのを寸前で防いで、何も質問に対して答えずに帰るだなんて、随分勝手な人だと私は思った。
私が呆気に取られていると、彼は私の方を向き直りぎこちなく手を振った。
手を振ったことが無いのだろうかというほど、ぎこちない手の振り方だった。
「時間がないので……お話しできなくてごめんなさい。でも……どうか生きていてください」
彼はそそくさと急いで扉を開けて出ていってしまった。
――なんて勝手なことを言うのだろう
そう思った。
私は彼を追いかけてドアを開けたけれど、もうそこに彼の姿はなかった。
何が起きたのか解らない。
――これは大切な人を失った悪夢の続きなのだろうか
そう漠然と考えながら私は自分の座っていた机を見ると、むき出しのカッターナイフが置いてある。
「…………どうして……」
もう一度そのカッターナイフを手に持った。
――どうして…………死なせてくれないの……
私は手に持っていたカッターナイフの刃をゆっくりとしまった。
彼が現れた後、私は自殺する気持ちも失せていた。
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