第45話 この思い出を、キミに贈る

 最高の思い出を、彼にあげられなかった。

 そんな後悔から、どのぐらいの時間を経過したのか分からない。

 幾年も経った気もするし、一瞬だったかもしれない。

 そういうものなのだろうと、日傘は感じていた。死後は生前には知らなかった不可思議が平然と存在するのだろうから。そう、今だって気が付けば、

「……む?」

 月を見ていた。地平線に近づいているせいで、燃え尽きるような月の色彩。血のような満月を、それでも美しい、と瞳が感じていた。

「死後に満月が美しいと気づくとは、わたしはやはりアホなのか……」

 吸血鬼なのにな、と彼のように苦笑してみる。

「……ん? んむ……?」

 苦笑することができたことに、首を傾げる。

 身体の感覚は生前のまま。

 いやいや、その前に死後の世界にも夜空があるものなのか。

「そうかっ! われらが思っていたよりも、地獄はいいところかもしれんなっ!」

 日傘はそう結論づけて、

「うん、シュウも早く死んだらよいのだ! 待ってるぞっ!」

 もう出会えない、彼に叫んでみた。

 すると、

「おいこら、吸血鬼」

 居るはずのない、彼が答えてくれた。

「……雫に背中でも刺されたのか?」

 なかば確信して、日傘は問うた。きっと金銭問題とかが原因なのだろうと。

 ――けれど。

「冗談にしても笑えねぇよ、つか前向きすぎンぞ、死んだと勘違いしたヤツにしちゃーよ」

 彼の安心したような、意地の悪そうなニヤけ顔が眼前にある。

 あってくれていた。

「う……ん? ここは地獄ではないのか?」

「当たり前だろ? 日傘はアレだ、地獄に入国拒否されるほどアホだからな」

「…………幽霊になっても、シュウはシュウだな」

「おいこら、いい加減に信じろって。お前はまだ死んじゃいねンだよ」

「わたしは甲一号ウイルスとやらに……」

「殺られる前に、俺が甲一号ワクチンをブチ込んでやったさ」

「それにしても、おかしいぞ?」

 日傘は自分の身体を見回す。

「どこにも傷跡さえないではない……ぞ?」

「あ、あー理解できるか分からねぇけどさ、甲一号ワクチンはお前の再生能力を阻害させたりしなかったってわけだ」

「……んん?」

「面倒くせぇが……あの地下に居た研究員に吐かせたコト、一応、解説するぜ」

 ちょっと困ったような苦笑を浮かべる彼。

「甲一号ワクチンは甲一号ウイルスだけじゃなくて、魂に干渉する他人の鬼道術を阻害させるらしいンだ」

「……ゆえに?」

「あぁ~要するに、日傘は日傘のまま生きてるってコトだ」

 彼の話を半分も理解できなかったが、どうやら自分はまだ死んでいない、らしい。やや苦労しつつ、首を巡らせる。軍用ジープの後部座席に、自分は寝かされている。     そしてジープが駐車されているのは、小高い丘だった。

「あぁ、ここは街外れの庭園、昼間はお父さんたちの憩いの場だ。深夜は入園禁止なんだが、今更だろ? ジープかっぱらってンだ。あ、言い忘れてたけど、あれから一時間経過してるぜ」

「そうか……わたしはキミに助けてもらったのだな」

「ああ……そう、だな」

 彼の顔が曇った。

 日傘はそれで、不意に気づいた。

 ――吸血鬼の飢餓で失われた、片眼はなにも見えていない。

 甲一号ウイルスによる飢餓の加速が止まっただけなのだ。

(血への飢餓は今も、|吸血鬼≪わたし≫を蝕んでいるのか。わたしはならば、)

 なにも、終わっていなかった。

 いや、違う。


(わたしはならば、飢えに殺される)


 終わりはそこまで近づいてきている。

 彼との別れが、本当に近づいてきているのだ。

 ……だから、

「そうそう後始末はさ、お前が寝てる間に済ませてある。俺の男前な姉貴分に依頼した」

 彼は今までの経過説明なんてしているのだろう。

「俺の姐さんが技研ビルに公安を焚きつけて手入れをやるンだ。俺の姐さんが仕切るンだ、気絶中の征治朗サンはもとより残党まできっちり捕らえるだろうさ」

 彼はニヤけた。

 どうしようもなく近づいてくる別れに刃向かっているみたいに。

 彼の得意な悪あがきも、けれど。

(ばかめ……キミは裏切れないよ)

 思い返すのは、彼の言葉。

『今夜はお前の共犯者であろうと決めた』

 わたしがそれに頷いたときに、決まったのだ。


 別れることを、ふたりで決め合ったのだ。


 ――だから。

「ねぇ、シュウ」

 彼の代わりに、日傘は口にする。

「人化血清は奪取しているのだろう?」

 ――人化血清。

 吸血鬼を人間に転生させるための血清。

 それは都合がいいだけのモノではなく吸血鬼の能力と大切な記憶を失わせる、|吸血鬼≪じぶん≫を殺す血清。

「……ああ、くすねてきてるぜ。俺の手癖の悪さが火を噴いてなァ、見せてやりたかったぜ」

 無理矢理はしゃぐみたいな彼の声音。

 その無理にひずむような、彼の口元。

 それら反して正直すぎる、彼の滲んだ目元。

「ねぇ、シュウ」

 日傘は彼に微笑みかける

「どうして、わたしに人化血清を使わなかったのだ?」

 責めるつもりは、微塵もない。

 本当にただ、聞きたかっただけ。

 彼の言うことならば、なんでも聞きたかった。

 これが最後だから、彼の全てを知りたかっただけだった。

「や、その、アレだ……打ち合わせはしてたけど、よ……お前の意志が必要だろ?」

 謝罪みたいな彼の言葉に、

「――ふふっ」

 思わず、微笑んでしまう。

 彼には悪いが、ちょっとだけ嬉しい。

 いや、ちょっと、どころではない。

(わたしとの別れを惜しんでくれているのだな、シュウは)

 泣いてしまいそうになるくらいに、嬉しい。

 実際に涙は流れ落ちてくれなかったが、それでも。

「謝るな、シュウ」

 こんな言葉では伝えきれないほどに、嬉しかった。

 彼はきっと、願っている。

(わたしが|吸血鬼≪わたし≫のまま生きて欲しいと――)

 彼はきっと、願ってくれている。

(これからずっと、わたしと一緒に生きていきたいと)

 ――奇跡だと、思った。 

 これ以上にないほどの奇跡だと。


 彼はきっと、わたしのためだけに存在してくれた奇跡なのだと。


「……ふふっ」

「な……なにがおかしいンだよ、日傘?」

「分かったのだ、やっと」

「なにがだよ?」

「わたしが生まれたのはきっと、キミに出逢いたかったからだ」

 彼が固まった。

 頬が紅潮している。

 舌打ち混じりに言ってくる。

「しょ、正気を取り戻せ」

 照れて慌てるなんて珍しい彼の顔を、瞳に閉じこめるように目蓋を閉じて。

「ううん――嫌だね。正気でないわたしはだから、|吸血鬼≪わたし≫を終わらせるのだ」

 目蓋を押し開けて、彼を見つめる。

 忘れないように、彼の姿を瞳に焼き付けようと。

 生まれ変わろうが、忘れないようにと。

 絶対に、絶対に、彼だけは忘れないように。

「……そっか、人間になるって決意は揺るがねぇンだな? 人化血清に、お前は殺されてもいいってンだな?」

 彼の言葉は始まりだ。

 別れの始まりだった。

「シュウの悪だくみには、人化血清の成功例は必要なのだろう?」 

 躊躇せずに、告げると。

「……ああ、よく覚えてたな。それが俺とお前の悪だくみの必要条件だ。じゃぇねーと馬鹿みてぇに吸血鬼と人間が殺し合う世界は変わりゃしねぇーンだわ」

 彼も躊躇せずに、答えてくれた。

 彼の言葉に寄り添うように、こちらも告げていく。

「吸血鬼と人間が殺し合わない世界――キミと夢見た世界。そのために人間になった吸血鬼が必要というなら、わたしが担いたいのだ」

「――」

 彼と別れなければならない――その悲しさを振り捨てて。

「うん、キミと一緒に見た|世界≪ゆめ≫に――わたしは殉じるよ」

 この声音が、彼に優しいことを祈る。

 明日、彼のそばに自分が居なくなっても、彼に優しく残響するようにと。

 今夜、彼のそばに自分が居られたことが、彼のおとぎ話であるようにと。

 今の自分こそが、彼に遺していく最高の思い出であって欲しいと。

「はっ――アホだな、最高の」

 彼がそう答えた瞬間。

 彼を取り巻く風景が、不意に綺麗に見えた。

 いいや、今ならば、この瞳に映る世界の全てが綺麗に見えるのだろう。

 吸血鬼を殺すためにあるこの世界が、それでも美しく見えるだろう。

(キミがそばに居れば、きっとだ)

 そう思ったから、彼に最高の笑顔を贈ることができた。

「頃合いだね、シュウ」

 彼と出会えたことで勝ち取れた自分を、終わらせる。

「わたしを人間にしてくれ」


 たとえ、彼のことを忘れ去ったとしても、彼がわたしを忘れない。

 彼に遺してあげられる、ちょっとした嫌がらせ。

 わたしが残してあげられる、彼への思い出にはやっぱり、ふさわしい。

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