第43話 脱獄
征治朗の右腕の骨を粉々に砕きながら、
(すげぇ綱渡りだったな、実際)
シュウは心中で吐き捨てる。
多重結界を陽動に、仕掛けた亡父の攻性結界で決める。筋書きとしては本来、落第点だろう。最初から強奪結界を発現すればいい。しかし、それはできなかった。
強奪結界はすぐに発現できない。この攻性結界は強奪する鬼道術を記憶する時間を必要とするのだ。必然、自分自身を|囮≪エサ≫とした。征治朗の攻撃を喰らう可能性が高い以上、多重結界で消耗させたのだ。
そして仕上げに、征治朗との相討ちを装った。日傘にさえ全てを言わなかった。相討ち狙いに信憑性を持たせるつもりだったのだ。
それは失策だったと、
【シュウ、シュウッ!】
自分を必死に案じてくれる、彼女の悲痛な声で思い知った。
「――ッ」
征治朗から強奪した籠手を握りしめる。
経験したことのない力が右腕にある。
「アンタにゃ悪友どもをボコってくれた借りがあったな」
征治朗は右腕を砕かれ、のけぞっている。
「|一括≪いっかつ≫返済してやるぜ、利子つけてなァッ!」
装甲された右拳を、征治朗の腹に叩き込む。
征治朗のくぐもった苦鳴。
躊躇わない。容赦もしない。
顔面に、右拳を叩き付ける。
「がァッ!」
征治朗の表情に余裕はない。
奥歯を軋らせるように、犬歯を剥き出しにしている。
だが、それでも。
「強奪結界……確かに日彰らしい奇特な鬼道術だが」
征治朗は、強奪結界の欠点を言い当てる。
「不完全だッ、鬼道術を断続的にしか奪えないのだからなッ!」
――強奪結界の最大の欠点。
それは、鬼道術を一気に奪えないことだ。
そう、征治朗の鬼道術たる大鎧、その右の籠手しか奪えていないのだ。
ゆえに、敵が動揺しているうちに勝負を決めるしかなった。
だというのに、
「惜しかったな、桜塚ッ! 貴様では、俺を倒せんッ!」
征治朗はもう冷静だった。
未だ奪っていない左の籠手を振るってくる。
その拳打の終着点は、こちらの左胸。
(さっすが天才クソ親父を葬ったおっさんだ、いちいち正しいぜッ)
そう、征治朗の思考はこの期に及んで正確無比。
その拳打も正確で迅速。
その威力もすなわち、こちらの心臓を抉り出すには充分以上だろう。
「――、」
迫り来る敵の一撃に、死を実感する。
絶対的な力の差に、残酷な現実を実感する。
いや、久鬼征治朗の存在が運命の悪意そのものだ。
だから……けれど。
「そう、俺だけじゃアンタに勝てない」
死の向こう側にあるものを見て、口端を上げる。
「だから、出会ったんだ。|吸血鬼≪じぶん≫に抗うアホな|吸血鬼≪やつ≫にさ」
言い放つと同時、征治朗の左腕に銀色の鉄鎖が巻き付いた。
「――あ、アホとはなんだっ! こうしてアドリブで助けた、わたしに向かって! わたしに|強奪結界≪切り札≫を教えなかったシュウこそアホではないかっ!」
征治朗越しに見える、彼女が悪態を付いている。
床に串座された身体で、それでも聖女のように彼女は口端を上げた。
「わたしにこれ以上罵倒にされたくなければ――」
「――分かってるぜ、日傘」
ニヤけ返しておく。
強奪結界に欠陥があろうが、知ったことではない。
亡父の遺産に頼り切るのも、つまらない。
だから、彼女に言い放つ。
「俺が決めてやる」
強く強く、右の拳を握りしめる。
向かう先は無論、己の宿敵。
運命の如く立ち塞がり続けた、久鬼征治朗だ。
「なぜだ、なぜ貴様らは退魔士と吸血鬼の宿命に抗う!?」
銀の鎖に囚われながら、それでも征治朗が吠えた。
「親切に答えてやるわきゃねェだろうがッ!」
己の宿敵に、吠え返す。
全ての力と想いを込めるように、右の拳を握りしめる。
「いいから、俺らのおとぎ話に|平伏≪ひれふ≫しとけやァッ!」
征治朗に倒れ込むように振り下ろす。
曲射軌道にて敵に着弾。
敵のほお骨、顎を立て続けに砕く。
構わない。
振り抜いてやる。
悲鳴さえ上げさせず、征治朗を地に叩き伏せる。
床が抉れ、コンクリート片が舞い上がる。敵は転がることもない。意識を一瞬で寸断したからこそ、しばらくは動かないはずだ。
「……、」
今まで立ち塞がっていた敵を、倒した。
一気に、目の前が開けたように思った。
「――やっと抜け出せた」
不意に、つぶやく。
包囲されていた高校から脱出したよりも、確かな解放感が胸のうちでわき上がった。
ずっと閉じこめられていた、気に入らない日々からの脱獄した。そう、実感した。
彼女が忘れないでと願うような、自分自身をまっとうできた。
そんなふうに思ったのは、
「……格好悪いね、その右腕だけの甲冑姿」
開けた視界の先、彼女の微笑が迎えてくれたからだ。
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