第41話 敵はウザい、なら、こっちもウザく

 五度目の爆炎結界が発現した直後。

「――桜塚ァァッ! 吸血鬼を殺さん退魔士など、俺は絶対に認めんッ!」

 ただならぬ気迫のこもった征治朗の咆吼を、シュウは聞いた。

 そして、見た。

 吹き荒れる爆炎のなかで、鉄棍が豪雨のごとく突き出されるのを。

 ――爆炎結界がひび割れていく、その光景を。

「ざっけンな……有り得ねぇぞッ!」

 シュウの眼前で、結界の外枠たる燐光がガラスみたいに砕けかけている。

(攻性結界の起点――呪符を貫いてンのかっ! 爆炎で視界がないはずだろうがよッ!?)

 戦況を分析しながら、理解。この爆炎結界は、父親から教えて貰った技だ。人化血清という父親の鬼道術研究を奪ったならば、攻性結界の弱点も知っていて不思議はない。

「日傘、もう下がれッ!」

 未だ前に立っている彼女に告げる。

「――しかしッ!」

 狼狽している彼女に、

「安心しろ」

 ニヤつきながら、シュウは言ってやる。


「――多重結界さえ、囮だったりするンだ」


 手にしていた呪符――解除符に魂を込めた。

 視界を埋め尽くす、燐光。その燐光が通路の壁、天井、床に梵字にも似た呪印を描く。立体呪印陣、攻性結界の境界だ。

 この攻性結界はこの通路の出入り口たる階段から始まり、征治朗のすぐ後方で終わる。その半球上の結界は、この通路の半分以上を囲っている。

 この攻性結界の起点。

 一つは、戦闘序盤に撒いた呪符だ。日傘にさえ『敵の増援への備える』と大声で喚いたのは征治朗を騙すための大嘘だ。

 一つは、先の多重結界で消費しなかった呪符。多重結界さえ囮にして潜ませた――意図的に残存させた呪符だ。

 これまでの戦闘全て、このためだった。多重結界さえ、この亡父から譲り受けた攻性結界を仕掛けるための陽動だったのだ。

(できるなら――とっと多重結界で決めたかったが、)

 述懐をすぐに終わらせ、シュウは口を開く。

「日傘、今ならこの結界を抜けられるから――」

 言いかけたとき、シュウは知る。

 敵を侮っていたことを。

 予想よりも早く、

「貴様は、俺が手ずから殺してやるッ!!」

 征治朗は囚われていた爆炎結界を破壊。

 即座に爆炎の残火を振り払い、突進してくる。

 それはあり得ない光景だった。連発された爆炎結界は臓腑までも焼いているはず。すぐに動くなど征治朗の身体強化、その治癒能力を持ってしても不可能なはず。

「クソッ、嘘だろッ! 身体の損傷を気力だけでねじ伏せてンのかッ! これだから根性満載の体育会系は面倒くせぇんだよッ!!」

 ぼやく間に、日傘が動いた。

「わたしがヤツを押さえる、シュウだけでも退けッ!」

「ざっけンなッ! 解除符を焼くまでは結界外に出れるが、できるわけねぇだろうがッ!! 逃げンなら、お前もだッ!」

「シュウこそ、ふざけるなッ! ここに来た理由を忘れたかッ!」

 刹那、日傘は立ち上がりつつある攻性結界を見渡した。

「この通路一帯に仕掛けた攻性結界を発現させて――わたしもろとも、久鬼征治朗を倒してくれッ! それが、わたしたちの悪だくみのためになるッ!」

 駈けだした日傘の背中が、そう叫んだ。シュウが答える間もなく再び始まる、鉄棍と長剣の激突。だが拮抗はしない。鉄棍に弾き飛ばされた長剣が、天井に突き立つ。

「邪魔するなッ、吸血鬼ッ!」

 振り上げていた鉄棍を、征治朗が突き下ろす。

「日傘ッ! 避け――」

 叫び終わらぬうちに、

「……うぅッ!」

 半回転し垂直に落下した鉄棍の先端が、日傘の左腿を貫通。

 それでも鉄棍は止まらず地を穿つ。

 鉄棍に縫い止められた日傘は、刑に処されたようであった。

「喜べ、吸血鬼――貴様は桜塚に殺させてやる」

 鉄棍を手放した征治朗の脚甲が霞んだ。床が剥離。破片が舞う。

 それらを視認したときには、

「悪あがきは止せ、桜塚」

 征治朗の籠手が解除符を持つ、シュウの手首を握りしめていた。

「この通路一帯を囲う、貴様の結界範囲から貴様自身を逃がさん。それだけで、貴様はこのバカでかい攻性結界を発現できまい? 貴様自身が巻き沿いになるのだからな」

 征治朗に掴まれた手首が引っ張られる。

 交差して突き出されるもう一方の籠手が、腹にめり込む。

「……ぐッ、ァッ!」

 こちらの苦鳴を殺すような、膝の追撃。

 肋骨がいとも簡単に砕けた。

「これは教育だ、桜塚ッ!」

 征治朗の肘に、顎を跳ね上げられる。

「退魔士は吸血鬼を殺すッ! 殺すしかないッ! それが退魔士の責務だッ!」

 敵の当て身が嵐の如く襲来する。視認は不可能だった。ただ身体が訴える苦痛を感知するのみ。その感覚さえも曖昧になりはじめる。

「吸血鬼を殺戮することが、退魔士の使命ッ! 宿命だッ! その|仕来≪しきた≫りになぜ、桜塚の退魔士は抗う……ッ!? 吸血鬼と人間は相容れないと、なぜ理解しないッ!!」

 久鬼征治朗の叫びと拳の乱舞に、現実感を奪われていく。

 悪夢のなかにいるみたいに、意識が曖昧になっていく。

(はっ……だよなァ、征治朗サンよ。確かに、あんたは正しい。吸血鬼と人間は相容れない。敵対し合うように神様に作られてンだ)

 そう思うと同時に、

「シュウッ、シュウぅ……ッ!」

 彼女の声が聞こえた。

 それで、それだけで、

「――ははっ」

 口端が吊り上がった。

(でもよ、アイツは嫌だって言ったンだ。どうあっても人間を殺すしかできねぇ吸血鬼のクセにさ、それでも人間と友人になりてぇって吠えてみせたンだよッ!)

 だから、と声にならぬ声が唇から漏れた。

(だからよ、俺も騙されたくなっちまったンだ、アイツの夢物語にッ!)

 敵の声が、聞こえる。

「吸血鬼は古来より人間を糧にしてきたッ! だからこそ、俺たちのような退魔士が生まれたのだッ! 喰われる前に、殺すしかないッ!」

 自身の心が叫んだ。

(そういうのが嫌だって思っちまったンだよッ! 人間達を――自分と身内しか救わなねぇなんて、吸血鬼を救わねぇケチな小悪党なんぞ――|小悪党≪オレ≫自身が一番飽きてンだよッ……!!)

 そう思うと、征治朗の声がはっきり聞こえた。

「吸血鬼は死ぬことでしか、救われないッ!」

 気がつけば、征治朗によって床に打ち付けられている。

 肺から絞り出された空気が喉を鳴らす。

「ならば、せめて貴様があの吸血鬼は殺してやれッ!」

 更なる追撃、征治朗の脚甲に腹を踏みつけられる。

 臓腑を潰すように、ゆっくりと体重をかけられる。

 それでも、悲鳴は上げない。

「……吸血鬼は殺すしかないだァ?」

 否、ニヤけてやる。

「馬鹿も大概にしとけや、現実に飼い慣らされた|退魔士≪オッ≫さんがよォッ!!」

 ニヤけながら、理解する。

 おそらく、今、このときが唯一無二の好機だと。

 そう、床に打ち付けて踏みつける際に、征治朗はミスをした。取り返しのつかない失敗。解除符を握りしめる、こちらの手首を征治朗が手放している……ッ!

「――日傘ァッ! 耐え切れよォッ!」

 叫ぶと、彼女からの返答。

「――案ずるなッ、シュウの攻性結界になど、わたしはやられやしないッ!」

 勇ましい彼女の声に、シュウは解除符を爪弾く。

 中空の解除符に、ジッポの炎を奔らせる。

「馬鹿な、俺と相討つ気かッ!」


 見上げていた征治朗が叫んだ。それも当然。身体能力――治癒能力をも人間離れした征治朗に相討ちは有り得ない。相討ちを狙う敵が、先に死んでしまうのだから。


 それでも、シュウはニヤニヤしてやる。

「ま、俺だってアンタと心中は嫌だけどなァ」

 解除符が焼き払われていくのを見届ける。

「親父の|攻性結界≪形見≫を、アンタと一緒に受け取るのも悪くはねェーだろォッ!」

 言い放つと同時に、攻性結界が発現した。

 征治朗はもとより、シュウと日傘をも巻き込む大規模な攻性結界。

 シュウの視界をくすんだ鈍色が埋め尽くす。

 異次元に迷い込んだような情景だったが――しかし。

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