第37話 突入返し
急な夜風にあおられて、手作り気球は軋みを上げていた。ギシギシと不安な音を立てるバスケットのなかで、シュウは舌を打つ。
「あーあ、なんか千切れ飛んでったな、やっぱ俺だけじゃ風を読み切れねぇか」
「案ずるな、いざとなったら飛び降りればよかろうっ!」
「はいはい、そのアイデアは是非、お前だけで実行してくれ……つか多少の計算違いなんぞ問題なかったぜ、俺たちの行き先が見えた」
前方――このオフィス街の終端に、ひときわ目立つ高層ビルがあった。
「高校でも一度言ったコトを復習すンぞ、日傘」
姉貴分の文書内容を思い出しながら、シュウは続けた。
「あのビルは小綺麗なオフィスに見せかけちゃいるが、姐さんの掴んだネタによれば外見だけさ。建設計画から久鬼征治朗の意志が反映されている、鬼道術の技術研究所だ」
姉貴分の文書内容を記憶から引っ張り出す。
「これから、俺らはあの技研ビルに突入する。目的は――」
「――甲一号ワクチンと人化血清『人魚姫』の二つを奪取することだな」
「ああ、その通りだ。甲一号ワクチンは雫たちを救うために、そンで人化血清は吸血鬼とその犠牲者をまとめて救うために、ってとこだ」
「付け加えるなら、人化血清はシュウの財布を救うためでもあるな」
「お、分かってきてンじゃねーか」
「ふふっ……それにしてもワクチンと血清の二つが同じ場所にあるのだな」
「あ、それ説明してなかったな。えっとな、甲一号ウイルスは、あの技研で作られたんだ。だから甲一号ワクチンもあの技研で作られている。んで、甲一号ウイルスの元になったっていう人化血清もあるんだわ」
けどな、と前置いてシュウは続けた。
「技術研究所といっても中身は手練れの退魔士だらけさ。ま、数は少ねぇはずだ。俺らの捜索で街中を走り回ってるだろうさ。ただ油断はするなよ、久鬼征治朗の城みたいなもんだ」
「敵の根城というわけか。いよいよ、おとぎ話らしくなってきたではないか」
言いながら、日傘は打ち合わせた通りに銀色の炎で鉄鎖を形成した。バスケットの外へと垂らした鉄鎖の先端には錨がある。
「はっ、そりゃどうかな? 要は押し込み強盗やンだぜ、しかも家主の留守中に」
「甲一号ワクチンはわたしとキミの悪友を助けるための希望、そして人化血清も吸血鬼の希望だ。皆の希望を勝ち得ることを、おとぎ話と呼ばずになんと呼ぶ?」
「……ま、確かにな。じゃ、悪ガキ向けのおとぎ話ってコトで」
「この世界に悪役を任された、わたしたちらしいな」
覚え立ての皮肉げな笑いを浮かべ、彼女が鉄鎖を振り回して投擲。鉄鎖が夜空を引き裂き、先端の錨が高層ビルの屋上を穿った。
即席のアンカーに、進み続けていた気球が停止。
震動を感じながら、シュウは降下地点たる屋上を見定める。屋上まで距離にして三十メートルほど。まだ高い。
が、悠長にしている間などない。錨での破砕音に敵が集まってくるはず。
「さて、運試しといこうか」
つぶやき、シュウは強襲部隊の拳銃を気球に向けて発砲。球皮に穿たれた弾痕から、熱気が段々と抜けていく。高度が下がっていく。
「悪運はあるみたいだな」
幸いにも、穴のあいた気球がパラシュートのように作用している。屋上まで緩やかに二十メートルほど下がったあたりで、それは起きた。
――屋上の隅、ひとりの退魔士が非常階段を駆け上がってきて、
「て、敵襲!」
無線機にそう怒鳴った。次いで、手にした小銃をこちらに向けてきた。
「あー俺はやっぱ不運に付きまとわれてンなッ」
「うん、お似合いだっ」
言い合いながら、シュウと日傘は即座に伏せる。直後、襲ってくる敵の銃弾。二人に当たることはなかった。が、流れ弾が気球の球皮を穿った。
シュウたちが伏せているバスケットの底部が傾く。
「このままじゃ的になるだけだッ――お前の飛び降り案を採用するぜッ!」
叫びながら、シュウは下方を確認。屋上の床まで十五メートル。
「で、飛び降り中に屋上を破壊してくれッ!」
短く指示し、彼女の腰に手を回す。
「わ、分かった――が、いきなり、くっつくな」
文句を言いながら、日傘もこちらの腰に手を回してくる。
互いが離れぬように、抱きしめ合って。
日傘は片手に銀色の炎で投槍を形成。纏わせるのは紅い炎。
シュウは球皮とバスケットを繋ぐワイヤーの全てを軒並み切断する。
必然、気球を象徴する球皮は夜風に浚われる。
足を支えていたバスケットを、シュウと日傘が同時に蹴り飛ばす。
浮力と足場を無くし、シュウたちは屋上に降下。
視界を埋め尽くすかの如く迫ってくる屋上。
「一歩間違えなくても、こりゃただの派手な自殺だなァッ!」
「せめて心中と言ってくれッ、わたしが喜ぶぞッ!」
紅蓮の炎を纏った投槍を、彼女は放つ。
屋上の床が穿たれ、砕ける。
コンクリート片をまき散らし、急造される突破口。
そこに殺到するのは、シュウの呪符。
投げ捨てた解除符を、ジッポの炎で斬りつけるように焼く。
攻性結界――爆炎結界の乱舞が、突破口を押し広げた。
屋上の床面に穿たれた穴の向こうから、かすかな悲鳴。
おそらく、こちらに向かっていた退魔士の増援。
機先は制した、あとは強行着陸を決めるだけ。
「悪い、着地衝撃は任せンぞッ!」
「詫びるな、わたしの身体能力が担うべきことだッ!」
剥き出した鉄骨に肩を掠らせながら、突破口を通過する。シュウは両膝を腹に引きつける。日傘の両足が最上階に降り立つ。衝撃に割れるコンクリート。
二人分の着地衝撃を請け負った彼女が、シュウの背後で膝をつく。
「休んでろ、日傘。こっからは俺の仕事だ」
彼女の代わりに、シュウは屋上の直下――最上階の通路を索敵。幅十メートル、奥行き二十メートルのコンクリート打ちっ放しの回廊だった。
前方、二十メートル先の曲がり角に人影。握りしめていた拳銃で二連射。敵二人を行動不能にする。降下点を確保して、シュウは両足を再生させている彼女を背負った。
「うし、人化血清と甲一号ワクチンのある地下研究所まで強盗らしく一直線だ」
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