第33話 吸血鬼は夢みたいな現実を歩く

 ――おとぎ話を歩いているようだと、日傘は思った。

(嘘みたいな、現実だ)

 無理矢理にひねり出した時間で、悪徳生徒会はゲリラ的に文化祭を決行してくれたのだ。案内役を担う彼に、手を引かれ、悪態をつかたりしながら、出し物を見て回る。

 もちろん、悪徳生徒会のみで急遽行われた文化祭、彼の言う通りの贋物なのだろう。遊園地の貸し切り気分を味わえと、彼は威張っていたけれど。

 やはり悪徳生徒会の文化祭は贋物らしく誤魔化しだらけ。出し物の屋台の店主は悪徳生徒会員それぞれの代行。楓のお好み焼きは絶品だったが、琴音の焼きソバはなぜか妙に辛く、雫の綿飴は小狡くて出来合いのモノ。彼が得意げに差し出したタコ焼きは外面だけ立派で、中身はとても酷かった。彼の得意な罠みたいだと、皆で笑ってしまうほどに。

 そう、魂を今まで以上に蝕まれる苦痛など、皆と一緒に笑い飛ばせたのだ。

(夢みたいな……現実だ)

 思ったままを彼に言おうとしたが、どうしてか、彼の顔さえ見れなかった。

口をつぐんでいる内に始められたのは、人魚姫の即興劇。雫と琴音、楓、シュウが役者。観客は自分だけ。これはだから、自分のためだけの物語。

(奇跡みたいな――現実だ)

 即興劇は五分にも満たなかったが、心に強く焼き付いた。王子役のシュウは人魚姫を泡にしようとする人魚の掟に敵対した。掟を覆すために、人魚の国に攻め入ってまで。

 が、そこでいきなりのカーテンコール。王子の戦果も人魚姫の命運は語れなかった。

 自分だけの物語の結末はどうやら、独りきりの観客に託されたらしい。けれど、拍手さえできない。涙を拭うのに、忙しかったせいだ。

(この現実は|吸血鬼≪わたし≫のための、おとぎ話)

 彼が言っていた通り、悪徳生徒会の文化祭はきっと、本物ではなかった。

 それはおとぎ話のように嘘ばっかりで、嘘の一つ一つが星々のようにまたたいていた。

 だから、この嘘は贋物なんかじゃなかった。

(この贋物の文化祭だけが、わたしたちにとって本物なのだ)

 世界に否定されたとしても、この記憶を思い出せなくなるとしても。

(皆が騙ってくれた嘘だけが、わたしの唯一の真実だ)

 そう感じ入っていると、彼が手を引いてくる。

「うし、そろそろ締めるぞ。俺らの伝統的な締めを屋上で見せてやる、むせび泣けよー」

 彼に少し笑いかけて、一緒に屋上への階段を上る。文化祭の終わりに近づいていく。それでも歩みは止めなかった。立ち止まってしまっては、彼の背中が遠のいてしまう。

「どうだ、日傘? 夢の名残とやらは、俺らの|文化祭≪ウソ≫で少しは騙せそうか?」

 彼の言いようにまたも笑いながら、答える。

「……うん。さきほどのような迷いは消えた。感謝するよ、心から」

 慣れない嘘を口にする。

 果たして、彼は騙されくれるだろうか。

「や、礼とかはいらねぇーよ、俺らも楽しかったし」

 彼の返事に、また少し、笑う。思い描いてしまった、この学校での陽だまりのような日々。夢の名残は消えるどころか、強くなってしまっていた。

 この高校には文化祭以外にどんなコトがあるのか、彼と一緒に見てみたいとか。彼にちょいちょいからわれていた腹いせに、悪友たちと結託して彼を振り回してみたい、とか。

 けれど、それは彼に言わずにおいた。困らせるのも嫌だったし。この贋物の文化祭には無粋な真実など相応しくないのだ。

「時間もちょうどいいな」

 言って、彼は屋上の扉を開ける。広がっているのは、まっとうな夜空ではなかった。包囲網の装甲車両から展開されている防御結界、その赤紫色の|天蓋≪てんがい≫に覆われた夜空だった。

「そろそろ、あの防御結界も消える」

 彼が歩いていく先、屋上の隅には悪徳生徒会の皆が居た。手すりの傍で、雫が片膝立ちになっていたり、楓が空を見上げていたり、琴音が手すりに寄りかかっていたりする。

 これが、文化祭の最後の光景だ。

「で、防御結界……あの小汚ねぇオーロラが消えたなら、俺らのおとぎ話の開幕だ」

 彼に答えられない。呼吸が上手くいかない。なにかが喉と胸を詰まらせている。

「だけどよ、日傘。敵の都合で始めるってのもつまらねぇ」

「――」

「俺とお前が一緒に見た夢を始めるんだ、その始まりはやっぱ俺たちが決めねぇとな」

 口ずさみながら、彼は雫たちへと歩いていく。雫が片膝立ちだったのは手すりに括り付けられた金属製の大筒をいじっていたからで、歩き着いた彼が雫の作業を引き継いだようだった。

 遠ざかってしまった彼の手と背中を見ていると、自然と手を伸ばしていた。気恥ずかしくて引っ込めようとしたその手を、歩み寄ってきた雫が取ってくれた。

「笑ってるほうが似合うわよ、日傘」

 雫の言葉が嬉しくて、自然と口元が緩む。

「心に留め置くとしよう」

 雫との握手をそれで終わると、雫の後ろに隠れるように立っていた琴音が口を開いた。

「善き死に様を、吸血鬼」

 それは別れの言葉にしては皮肉めいていたが、悪意が感じられなかった。

「うむ。感謝するよ、わたしの決意を認めてくれて」

 無言で背を向ける琴音に微笑みかけていると、いきなり楓が抱きついてきた。

「わ、わたしっ、なんて言ったらいいか……っ」

 分かんないよぅ、と泣き声混じりに叫ぶ楓の背中に触れる。

「言葉にせずとも、充分以上に伝わっているよ」

 背中をさすり続けていると落ち着いたのか、楓は一歩下がって笑って見せてくれた。まるでこちらが望むものを感じ取ってくれたみたいに。

「幸いであってくれ、楓」

 あらん限りの感謝をその声音に乗せて、楓と琴音の顔を順に見つめた。

「雫に琴音も、だ。感謝するぞ」

 言われるまでもない、と言いたげにニヤっと笑う雫。

 聞いていないふりをするかのように顔を背ける琴音。

 またも涙ぐんで、顔を伏せてしまう楓。

 彼女たちは人間の敵対者として生まれついた吸血鬼の傍に立ってくれた。

 隣り合うことを、許してくれた。

(本当に、嘘みたいだ)

 またも涙が流れ落ちそうので、彼女たちに見せぬように顔を上げる。その直前に自然と、彼の姿を目で追っていた。彼は大筒から伸びた導火線にジッポで火をつけていた。

(そういえば、この大筒はなんなのだろう?)

問うより先に、大筒が爆音を響かせる。

「さて、防御結界の継続時間を読み違えてなきゃいいが――」

 彼のつぶやきを聞きながら見たのは、大筒から放たれた|火球≪かきゅう≫。

 それは流星みたいに、けれど重力に抗い、光の尾を引いて空を駆け上がっていく。まるで彼と誓いあった夢のように力強く。己を焼き尽くしながら、それでも高く高く舞い上がっていく。

 そして防御結界の赤紫色の天蓋へと、火球は到達。同時、敵の防御結界は霧散。赤紫色の敵意を焼き払うように、火球は爆ぜた。

 

 文化祭の終わりを告げるのは――季節外れの打ち上げ花火。


「おいおい、タイミング良すぎたな。まるで花火が結界を消したみたいになった」

 花火の残響音に混ざる、嬉しそうな彼の声。連なるのは、やはり嬉しそうな自らの声音。

「こんなにも――こんなにも美しかったのだな、花火とは……」

 夜空に狂い咲く、打ち上げ花火。色とりどりの火花の一つ一つが嘘みたいに、星みたいに、またたく。悪徳生徒会の――彼の得意な贋物の星空だ。

「ああ、もともとは無許可で使うつもりのもんだったんだけどな、本番の文化祭で。ま、生徒会の裏予算で買ったんだ。俺らが勝手に今、使ってもいいだろ」

「うん、見事な小悪党の正論だ」

「お、今のはいい悪口だな」

「キミの傍に居れば嫌でも覚えるよ」

 彼の吐き捨てるような笑い声を耳にしながら、花火が月明かりをかき消していくのを見ていた。月光がこの瞳に見せてくれた、叶わないこの学校での日々――夢の名残は粉雪みたいに花火の熱で溶け消えた。

「……終わるのだな」

 自分の声は、妙に晴れやかだった。

「いや、終わらせるのか」

 気づけば、傍に居てくれた彼の背中が答える。

「おうよ。俺たちだけの文化祭なら、やっぱ俺たちが葬らないとな」

 彼の背中に声をかけそうになったが、結局止めた。

 代わりに、誓うことにした。

 ――彼との別れは潔く美しくしてやろうと。

 救えなかった霧花と姉への、そしてこの学校へのサヨナラを、わたしは上手に告げられなかったけれど、だからこそ。

 自分が消えてしまう思い出が彼を傷つけないように。

 救えなかった霧花と姉の記憶に痛み続ける自分のようにはしないように。

 たとえばこの花火のように、最後の自分の姿を彼の心に焼き付けてやろう。

(うん、幾度も思い返してくれるような、わたしであろう)

 声もなく、彼の背中に誓い終えて。

(願わくば、わたしの思い出が、キミの胸の内にある陽の光で在るように)

 一方的な約束のように心の内で、そう祈った。

「この花火は夢物語のプロローグでもあるわけだ」

 消えていく花火の残響音と彼の声音がこの文化祭を葬っていく。

 一つの夢を終わらせて、彼は、わたしとの夢を始めていく。

「さァ、俺らの|夢物語≪ウソ≫でこの世界を騙くらかそう」

 彼に寄り添うように、この文化祭を葬るに相応しい言葉を――華を手向ける。

「うん、この文化祭のように、本来ならあり得なかった空想を現実に解き放とう」

 彼との夢への祝砲のように、自らの声音を歌わせる。

「うん――わたしたちは今夜、いつか望んだ自分自身を勝ち取るのだ」

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