第29話 悪だくみはおとぎ話のように

「……吸血鬼が心を持たぬ獣だったなら、まだ救いはあったのかもしれぬ。あの夜は悲劇ではなく、獣が人間を喰ったという惨劇で終われたのだ」

 その言葉を持って、日傘はひとりの吸血鬼の末路を締めくくった。彼女の表情にはあまりにも色がなく、それは永く永く哀しんでいたせいだと、シュウには感じられた。

「獣ならば満足を、犠牲者はただ恐怖を感じるだけってトコか?」

「うん、誰もが哀しみなど抱かなかった」

 思い出を閉じこめるように目を閉じて、彼女はシュウの疑問――自身のことを答えてくれた。

「初めての友人を失ったその夜。姉上が吸血鬼の本能に敗北してしまった、その夜。わたしが|吸血鬼≪あね≫も|人間≪とも≫も救えなかった、その夜――わたしは決めたのだ」

「なにを?」

「永く続いてしまった吸血鬼のさだめを、わたしが終わらせようと。ゆえにわたしは吸血鬼であることをやめるのだ。わたしが本当に望んでいる、わたしであるために」

 目蓋を押し上げた彼女の瞳は、魂を壊されかけたものにしては、ひどく美しかった。欠けた月の光に似ている。その、たおやかな光こそが、彼女なのだ。

「ああ、そうか――それが、日傘なんだな」

 思わず、シュウは天井を仰ぐ。

(……俺の魂を奪ったなら、きっと日傘は日傘でなくなっちまう、か)

 口端を上げて、彼女に向き直る。

「分かった、分かったよ。さっきの俺の、その、アホな献血志願は忘れてくれ」

「むぅ……茶化すことはなかろう? 嬉しくもあったのだぞ?」

「……変なプレゼントに愛想笑うのは、男をダメにすンだぞ? 覚えておけ」

 この話はそれで終わりとばかりに、シュウは気にかかったことを聞いておく。

「で? その姉さんたちってのは?」

「ふふっ、さきほどから妙に優しいな。言葉を濁すなど、らしくないぞ?」

「さっきから、うるせぇな。分かったよ、はっきり聞いてやる。やっぱ死んじまったのか?」

「いや、実は知らんのだ。その夜から間もなく姉上も霧花も、わたしの前から姿を消した。姉上の優しさだろうな。吸血鬼の霧花に痛む、わたしの心を庇ったのだ」

「もう一つ聞かせてくれ。もしかして今夜、学校に来たのは、その霧花って、」

「うん、シュウに助けてもらうため、というのもあるが……わたしが学校のなかを歩いておきたかった。壊れてしまった約束を、それでも果たしたかったのだ」

「……そっか」

「うん、そうだ」

「……」

「わたしのことで聞きたいこと、他にはあるか?」

「ん……と、逆に聞く。俺に忘れて欲しくないコトは?」

 問うと、日傘はかすかに目を伏せて。


「――今夜の、キミ自身」


 思い出に微笑みかけるように、彼女は答えた。

「ああ、すまない。言葉が足らないな。うん、今夜のシュウがわたしにくれた言葉と行動。特にそう、わたしが嬉しかったのはね、キミが――」

 言いかけ、少し声を上げて楽しそうに、彼女は笑った。

「人間と吸血鬼が共に生きられる世界を、わたしと一緒に夢見てくれたことだ」

「――――」

「あのときのキミはわたしにとって、奇跡そのもの……おとぎ話のようであった」

 伸ばされた彼女の指先が、こちらの頬に触れる。知らず、頬を伝っていた自分の涙が拭われていく。幾度も幾度も、彼女はそうしてくれた。

「だから、今夜のキミ自身をも忘れずにいてくれ」

 頬に優しく触れてくる彼女の手に、自分の手を重ねる。目を閉じる。少しだけそうしてから、彼女の手と自分の手を一緒に下ろす。

「……言われるまでもねぇな、俺は今夜のコト、なにひとつ忘れない」

 彼女の手を少し、強く握る。

「うん、そう言ってくれると思っていたよ」

 言って、彼女が手を握り返してくれる。

 後は言葉もなく、感謝と決意を視線で交わし合う。

 意志を重ね合わせるように、微笑を交わし合う。

 だから、分かった。

 彼女が夢見たおとぎ話は、叶えられるものなのだと。本当は、人間と吸血鬼は共に生きていける。

 だって自分と彼女はこうして同じ瞬間を、同じ想いで過ごしているのだ。

(そっか……俺が日傘に贈れるもンなんて、もう決まってたンだな)

 思って、口端を上げる。

(こいつと一緒に見つめた空想まみれの夢物語――おとぎ話を、叶えよう)

 彼女が大切な思い出としてくれた、自分自身をまっとうするために。

 それはきっと命を守られることよりも、彼女にとって貴いこと。

 それこそが、きっと――自分にとっても、夢みたいに貴いことなのだ。

「な、日傘。俺はさ、つか人間の記憶はどうやら永続しねぇらしンだ。だから、いつまでお前を覚えてられンのかねー」

「――……っ!?」

「ははっ、んな顔するな。そこでだ、俺がじいさんになってもお前を覚えていられるための悪だくみがあるンだ」

 ニヤニヤしながら、言ってやる。

「今夜を……吸血鬼と人間の停戦の始まりにしようぜ。そう、記念日さ。歴史の教科書とかカレンダーにずっと書かれてりゃ、俺がいくらボケようが思い出せンだろ」

「ふふっ、性悪な顔だな」

 彼女が笑った。笑わせることができた。それだけで、幸せだった。彼女にとっても幸いであってくれと願う。願いながら、これまで通りに、軽口を再開する。

「おう、もともとお前の夢にのったのだって、俺の個人的な都合だしな。俺と身内が住みやすい世の中にしたいっていう。そうそう自宅のリフォームみたいなもンだ、違法改造の」

 楽しそうにくすくすと、彼女は笑う。あまりにも楽しそうな彼女に、こっちも自然と笑ってしまう。互いに腹に手を当てるまで笑ってから。この瞬間を大切な思い出にしながら、告げる。

「今夜、俺はお前の共犯者であろうと決めた」

 大切な思い出を慈しむように、彼女はうなずく。

「うん、わたしは人間となろう。手はずは――」

「――任せろよ、共犯者。俺の小悪党な脳みそは気が早くてな、もう悪だくみは完成してる」

「ふふっ、聞かせてくれるか?」

「おう、今なら特別に無料だ」

 そう口火を切って、シュウは計画の大筋を語った。

 要点は二つ。まず、この高校に展開された包囲網からの脱出。

 次に、甲一号ワクチンならびに人化血清『人魚姫』を一挙に奪取することだ。

「……って感じの、なかなかに自信作な悪だくみなんだが、どうだ?」

「うん……キミらしくタチが悪くて最高だ」

 悪どい笑顔を、彼女と交わし合う。

 これはきっと、吸血鬼にまつわる現実――自分と彼女を苦しめていた運命への反乱だった。

 これはきっと、彼女と過ごす最後の時間を思い定めていくことだった。不思議と、悲しさは無かった。彼女も自分も、分かっていたのだと思う。

 ――二人で共に運命に挑む、この夜。

 たとえ今の彼女が消えてしまっても。子供の頃に聞いたおとぎ話のように、いつまでも胸に残るだろうと。

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