第20話 吸血鬼は嫌いなままで

 うっすらと目蓋が開かれていって、シュウは現実へと帰還していく。

 最初に視認したのは、日傘の青い瞳。彼女の肩越しの窓に浮かぶ満月。壁際に寄せられた机と椅子。保健室とか知らない彼女だからか、空き教室に運ばれて寝かされているらしい。

 あの鎧武者が居ないと安心したせいか、遺言を見る前の現実を思い出す。

 彼女に視線を走らせる。彼女の負傷――欠損したはずの腕も再生している。次いで自分の身体の怪我を確かめようとして、気付く。

 日傘がその手に緑色の炎をまとわせ、シュウの腹部をなぞっていた。反射的に逃れようとして、止める。火傷を負うどころか、苦痛が逆に引いていく。

「……よぉ、共犯者。なにしてんの?」

「シュウの負傷を焼却している。そういう炎術だ」

「へぇ、熱くねぇんだな。便利ってか、戦闘中に使えよ……って、俺、上半身裸?」

「うん、わたしが脱がした」

「少しは照れてくれ、なんか男の名誉みたいなモンが傷つくだろーが」

「……い、意識させるな。炎術に集中できぬ」

 かすかに赤くなる彼女にニヤついてから、シュウは改めて脇腹の傷口へと視線を戻す。炎がなぞった裂傷がその内部の肋骨の損傷とあわせて消えていった。

「ちなみに戦闘中に使わなかったのは、緑の炎は他の炎と併用できないからだ」

 治療を完了させてくれた日傘に、シュウは苦笑する。

「なるほどな、都合良いだけの鬼道術はねぇーわなー」

 言いながら、思い出す父親の遺言。彼女が追い求めているモノの情報があったのだ。

「しかしな、お前ら吸血鬼にとって都合のいいもンはあるらしいぜ?」

 どんな顔をしてくれるだろうと思いながら、告げる。

「吸血鬼を人間にする血清は実在する」

 合わせていた彼女の瞳がゆっくりと、見開かれていく。

「………………それは、真実なのか?」

 疑うように、信じたいというように、彼女の瞳が揺れる。

「ああ、親父がその人魚姫って血清を完成させてたらしい。だから、まァ、間違いはないだろうさ。あのおっさん、鬼道術に関しては天才だからな」

「う、うん、日彰の才はわたしとて知っていた。だが本当にやり遂げてくれていたか……」

 死者に思うように、彼女は静かに瞳を閉じた。失ってきた同族をも悼んでいるのか、目の端からは一筋の涙がこぼれ落ちている。

「日彰が遺してくれた吸血鬼の希望を、日彰の血族のシュウと共に手に入れる、か」

 涙を指先で拭い去って、彼女は華やぐように笑った。

「やはり現実とて、おとぎ話のような幸福はあるものだ」

「……気が早いぜ。吸血鬼と人間の因縁は、きっとしっつこい。互いに生まれた頃から捕食関係で結ばれてンだ。その現実は俺らがおとぎ話を騙っても、すぐには誤魔化せねぇさ」

「ううん、頑固な現実など説き伏せられるよ、わたしとシュウならば」

 その声音も微笑も、シュウを信じ切っていた。

「ま、そうかもな。つか、無理矢理にでもそうするンだけど――」

 意外なほどに、彼女の信頼が嬉しかった。だから、苦しかった。

「ただ俺はな、そこまでお前に信じてもらえるようなヤツじゃねぇンだ」

 語り続けるのは、苦しかった。が、それでも言わねばならない。

「俺はさ、お前を裏切るつもりだったンだよ」

 どうしても耐えきれず、シュウは彼女から目をそらした。

「お前の金を奪うために、俺はお前と肩を並べていた」

 続きそうになる、謝罪は口のなかで噛み殺した。許されたいわけではなかったのだ。

 少しの沈黙の後に、

「――……そうか、そうだったのか」

 そうこぼす彼女に答えず、シュウは目を閉じた。彼女に恨まれ殺されるならば、良かったのかもしれない。けれど彼女はただ、ささやいてくるだけだった。

「けれど、これからは違うのだろう。だから、今までのことを話してくれたのだろう」

 やけに明るい彼女の声音に、目蓋を押し開ける。

「ほら、わたしが信じた通りだろう――やはりシュウは悪人ではない」

 変わらず信頼してくる、彼女の微笑があった。


「気付いていなかったのは、シュウだけだよ」


 あまりにも優しい彼女の声音と微笑に、シュウは思う。

(この女の言うコトはいつも間違ってる)

 彼女に見られないように、苦笑しておく。

(けど、なんでだろうな……この女の声をずっと聞いていたいって思っちまうのは)

 その感情とは裏腹に、口が勝手に悪態をつき始めた。

「お前、善いヤツ過ぎンぞ。お前のそういうトコ、俺は微妙に嫌いなんだよァ」

「ぬ、なんと言った? 今、なんと言ったッ!」

「――待て。裏切りよか、そっちにキレんのかよ」

「わたしとて分からん。しかし妙な憤りを――」

「嫌いなもンは、どうしたって嫌いだろ?」

「ふぬぅ、それ以上言うと、わたしもお前を嫌いになるぞッ! なっちゃうぞッ!?」

「なにそれ、脅し? 嫌われようが、俺はお前の嫌いなトコは嫌いなままだぞ?」

「――なぜだッ!? どうしてそうなるのだ……ッ!?」

 頭を抱えて悩む日傘が、シュウには良く分からなかった。けれど、うろたえる彼女の表情が面白くなってきたので、からかうことにした。

「俺は誰に嫌われても気にしねぇけど、お前は違うのかァ?」

「ぬぅ、前言を撤回……ではなく付け足そう。シュウは悪人ではないが、性悪だっ」

「おう、その通りだ。言ってなかったか? 俺は小悪党なんだ」

「ふぅぬぅ……ぬぅ……」

 苦悩する彼女にニヤニヤしつつ、彼女の言う通りに、これからのコトを言っておく。

「そ、俺が小悪党だから、お前の悪だくみに乗ったんだ」

 こちらが言わんとしていることを理解したように、

「……うん、なるほどな」

 今度は彼女が苦笑する。

「わたしの思い描いたおとぎ話が悪だくみに見えるもの、その性悪ゆえだったか――うん、よく分かったぞ。うんうん、金に執着するのは人間的にはアレだったな」

 呆れたように苦笑し続けて、彼女はこちらに背を向けて立ち上がった。

「うん、わたしに意地悪なシュウを、わたしは嫌い続けてやる」

 振り返らずに、彼女はしかし手を差し伸べてくる。

「おう、そうしてくれ。あまりに善いヤツ過ぎると、俺が苦労するからな」

 吸血鬼の手は人のそれと違って、鋭い爪があった。

 でも、どうでもよくなっていた。

「少しは悪どくなってくれよ、共犯者」

 言いながら、彼女の手を取って立ち上がる。

「必要ないよ、性悪な男がずっと隣にいてくれるのだから」

 顔を背けながら、彼女はこちらの手を少しだけ強く握ってきた。

「……――」

 答えるように、彼女の手を少し強く握り返す。吸血鬼の指先の、鋭い爪にかすかに痛みを覚える。


 けれど、それでも、彼女の手は人間と同じくらいに暖かかった。

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