第17話 吸血鬼嫌いが見た夢
遠ざかっていく吸血鬼の背中に聞こえないように、シュウは舌を打った。
「また笑ってやがったな」
彼女は血まみれの顔で、微笑んでいた。
(また……あの、綺麗なだけの偽物の微笑だ)
内心で悪態をつくも、彼女の背中に目は引きつけられていた。
銀の炎の長剣に赤の炎をまとわせて、彼女は鎧武者に躍りかかった。鎧武者への苛烈な初太刀。鉄棍に阻まれる。しかし彼女は構わず連撃。あの鎧武者さえ下がらせていく。
彼女は鎧武者と共に、シュウたちから遠ざかろうとしている。
こちらを逃がすために、彼女は今、その命をかけている。
舞い散る火の粉が命の煌めきのように、彼女の背中を飾っている。烈火のように激しく、一振りの剣のように麗しく。
「ざっけんな」
けれど、だから、シュウは気に入らない。
彼女は今、彼女自身のために戦ってはいない。
だから、彼女は美しい。
だから、気に入らない。
――あの烈火のような美しさはきっと、彼女自身を燃やして灰にする。
彼女はだから、夢みたいに美しい。
彼女はだから、夢みたいに儚い。
「――、」
舌打ちをしかけ、制服の裾を雫に掴まれた。
「シュウッ!」
雫に止められたことで、シュウは自分が立ち上がっていると知った。その足が彼女へと向かおうとしていることを知った。
「――シュウッ、ダメよ! あんた気付いてないでしょうけど、身体……ッ」
雫の視線につられ、自分の身体を今更ながら視認する。
「悪党は血を流すもンなんだよ、知ってンだろ?」
「いつもと違って冴えないわね、自分の体を見ないさい!」
シュウの脇腹から太ももにかけて、制服が血に染まっている。
「シュウくんッ! 闇医者のところへ急ぎましょうッ!」
駆け込んできた琴音が珍しく表情と声を荒げた。
「そうよ、なに考えてるのッ! あの吸血鬼の言うとおり、金を持って逃げるわよッ!」
しっかりとボストンバックをつかんだ雫も琴音と同じことを、叫んでくる。
「……それが正しいよ、な。小悪党としては」
日傘を囮に生き延びて、妹との約束通り誕生日を祝われる。
日傘に全ての罪をなすりつける偽装工作をして、悪友たちを確実に救う。
そんなふうに生きてきた、これまでも。だから、これからも――
「そう、だな」
今までの自分に立ち返るように、シュウは踵を返すと。
「……シ、シュウ君」
息を切らせながら、楓が駆け込んできた。
「生徒会室に居てって言ったはずよ」
押し殺した声で、雫は告げる。
「わ、分かってるっ! わ、私が来たって、どうしようもないってっ! でも……」
楓の視線はシュウたちを通り越していた。きっと日傘を探している。見つからなかったらしく、楓はシュウを――その傷口を見やった。口元に手をやり、目を伏せて。
「わ、私、説得してくる。じ、自首すれば、もしかしたら、日傘さんだって――」
言いながら、楓はシュウたちの横をすり抜けようとする。
「自首なんて通じンのはな、普通の犯罪者だけだ」
楓の手を掴み、シュウが告げる。
「吸血鬼のあいつは、投降しようが殺される。あんただって知ってンだろ?」
「――でもッ! ほんの少しだけしか一緒に居なかったけど、それでも分かるのっ!」
泣き顔を向けて、それでも楓は告げた。
「日傘さんは、なにも悪くないって!」
「――ンなのは分かってンだよッ!」
抑えることのできない叫びが、シュウの口からはき出される。
「あいつが銀行強盗をやらかしたのもッ! あいつが吸血鬼で血を求めるのもッ! あいつが今、殺されかけてンのもッ! あいつ自身のせいじゃねェってコトはッ!」
「……シュ、シュウ君……?」
叫び終えてようやく、楓の目にある怯えに気づいた。
「とっとと逃げるぞ、俺らが今やンのはそれだけだ」
楓の手を強く引く、恨まれようが怯えられようが構わない。自らに課した誓い通りに吸血鬼を救わず、自分と悪友を優先する。それが彼女の望みだから、と思いかけて否定する。
(違う、俺が|小悪党≪クズ≫なだけだ)
かみしめた奥歯を軋らせていると――背後から轟音。次いで、
「まだ居たのか、シュウッ!」
遠のいていたはずの日傘の声を耳にした。その声に抗えず、振り返る。四、五メートル先、ひび割れた壁の前。壁に打ち付けられていた彼女が、剣を杖に立ち上がっていた。
「早く逃れてくれッ!」
言うや否や、彼女は迫っていた鉄棍を受け止める。片腕では分が悪いだろうに、彼女は鎧武者と鍔競り合った。
「頼む、逃げてくれ! もしシュウたちに死なれたりしたならば、もし吸血鬼のせいで人間たちが殺されるようなことがあれば、吸血鬼は人間を害するだけの怪物となってしまうッ!」
だから逃げろ、と彼女は言った。
「わたしに信じさせてくれ、吸血鬼と人間は共に生きられると! 昔のように吸血鬼が人間を、今のように人間が吸血鬼を殺す以外の縁があると!」
自分の信じるものを守るために逃げてくれと、彼女は言う。
「吸血鬼と人間のさだめのごとき争いを、わたしはだから否定するッ! それこそが、かつて人間に灰にされた吸血鬼――吸血鬼の犠牲になった人間への弔いとなろうッ!」
彼女の声が、シュウの心に突き刺さる。
――吸血鬼の犠牲者。彼女はきっと、吸血鬼に血を吸われた者たちを言っているのだろうが、それは違う。吸血鬼に何かを奪われた人間も同じ犠牲者だ。それはシュウ自身であり、母親であり、妹であり、弟を殺されたという琴音であり、おそらく父親だ。
「わたしが世界を変えよう。わたしが吸血鬼の宿命に打ち勝つことでッ!」
吸血鬼の本性に打ち勝つこと。彼女が自らに突き立てた牙。あるいは銀行強盗までして、手に入れようとした胡散臭い|血清≪マーメイド≫とやら。
今、この時のように、人間を逃がそうとすること。
それら全てが、彼女の戦いなのだ。
「そうすれば、これより先は吸血鬼も人間も――おとぎ話のように誰も彼も救えるのだ!」
彼女の声音に、シュウは呼吸が止められた。もしも彼女の言うとおり、吸血鬼と人間の闘争の宿縁が終わったなら――
「――ははッ、小春や母さん、ついでに俺にとっても優ッしい、おとぎ話になるなァ……」
誰にも聞こえぬように、シュウはつぶやく。
「あいつ、ほんとアホだな。今の演説は俺には逆効果だって」
次いで、雫たちに早口に言った。
「俺が一騒動起こす。それに乗じて、楓を連れて逃げろ」
ニヤけながら、シュウは視線を移す。鎧武者――否、彼女に。
あの吸血鬼を否定する、愚かで高貴な吸血鬼へと。
「楓、ありがとな。たぶん、殺し合いなんぞできる俺よか、お前は強いぜ」
足を踏み出す。重傷だというのに、やけに力強く。
「雫、ありがとな、俺の悪だくみに付き合ってくれて」
足を踏み出す。力強さに加える速度。
「琴音、悪い。俺さ、もうお前と一緒に吸血鬼を憎めねぇッ!」
足を踏み出す、駆ける。
吸血鬼の背中に並ぶべく。
最中、炉心を鼓動させる。懐からジッポと呪符を引き抜く。幸いにも、傷だらけの身体は動いてくれる。ジッポを着火し、解除符を焼却。
――即座、天井を轟(とどろ)かせる震動と爆音が起こった。
それは包囲網から逃れるための陽動策の一つだったモノ。校舎の三階廊下に並べたプロパンガスを、攻性結界で着火させる簡易爆弾。今頃、硝子片が包囲網に降り注いでいるはず。
逃げるための罠を、戦うために使い捨てる。
「そこの戦国武将気取り、聞け!」
もう一枚の呪符を引き抜く。
「ついさっきお前の仲間に、今のと同じ仕掛けをして解放したッ!」
そこまで言って、鎧武者の動きが止まった。
「……もう分かるよな、戦国武将ォ?」
口端をつり上げて、最高に卑劣な笑顔をしてやる。
「俺の鬼道術で、そいつら人間爆弾になってンだ」
解放した特殊部隊員らにはそれぞれ呪符を仕込んでいた。ゆえに彼らは無自覚に、シュウの攻性結界を仲間の元へと運搬しているのだ。
「俺がこの呪符を焼却すると、装甲車車列に帰還したあんたの同僚は吹っ飛ぶ。野次馬連中まで巻き沿いにならなきゃいいなァ、おい?」
鎧武者の鉄棍を肩に預けて、口を開く。
「要求は?」
「だからさ、もう分かンだろ?」
鎧武者の妙に冷静な反応を訝しみながらも、脅しを続行する。
「俺と吸血鬼の逃避行を、手でも振って見送れよ」
鎧武者は思案するようにこちらを伺っている。
緊迫していく空間で、彼女は顔だけを振り向かせた。
「シュウ、なぜ――」
揺れる彼女の瞳に、言ってやる。
「お前のおとぎ話に、俺も出演させろ」
彼女の語った、吸血鬼と人間が共生する。そんな夢物語は空想だけで、出来ている。吸血鬼を人間となせる手段――彼女が語った血清とやらも、嘘かもしれない。
そもそも吸血鬼がその本能に抗うことなど、叶わないのかもしれない。
そしてまた吸血鬼が人間となって全て解決するほど、現実は誰にも優しくない。
……けれど、それでも。
彼女の空想まみれのおとぎ話は――その夢は騙されもいいくらいに美しかった。彼女自身のように、暗夜にしか輝けない月のように。高鳴る己の心臓が、そう叫んでいた。
「俺はさ、お前のおとぎ話……いや、お前の悪だくみの共犯になってやるって言ってンだ」
彼女の夢を自分の言葉で上書きして、口端が釣り上がっていく。
「あぁ、そうだ。吸血鬼と人間の年中行事みてぇな、バカげたケンカを終わらそうなんて……俺たちに都合よく世界を弄くろうなんて――壮大な悪だくみのな」
彼女の夢が自分のモノにもなっていくようで、なぜか、笑ってしまった。
「もちろん、慈善事業じゃない。人間にしてやる全ての吸血鬼から法外な代金ふんだくってやる。あ、配分金は応相談だからな? 忘れンな?」
言い放ったそのあとの彼女の顔を、シュウは忘れない。
一筋の涙が頬を伝って、本当に嬉しそうに笑った。今までのような、悲しさを秘めた笑顔ではなかった。彼女は一筋の涙を流すことで、吸血鬼の悲しみから自由になれたのだ。
「はっ、吸血鬼だろうが笑顔は俺らと大差ねーな」
だから、シュウもごく普通に笑ってしまった。
悪友に向けるものと同じ笑顔で――親愛を込めて。
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