第15話 吸血鬼は微笑む――傷だらけになってでも
鳥羽高校の要塞化を終えたシュウと日傘は一階廊下で。
「むぅ……人質を手放して良かったのか?」
「四人も残せば十分さ、偽装人質な委員長もいるしな」
などと言いながら、強襲部隊員の半分を逃がしていた。武装解除された彼らは、今や裏庭から包囲網を形成する装甲車列へと駆けていく。
もちろん、善意ではない。これも計画の一部――悪徳生徒会の悪だくみだ。それが証拠に逃げていく強襲部隊員を見送るシュウの口端は釣り上がる。と、ワイヤレスイヤホンから雫の声。
『イカサマの仕込みは済んだみたいね』
「小悪党らしくな」
『こっちも終わってるわ。だから吸血鬼を生徒会室に連れてきて』
「ああ、悪だくみを始めようか」
言いながら、隣の日傘……未だに手に持つ現金入りのボストンバックを見た。
彼女の横顔に目を移しながら思う――これから、彼女を裏切るのだ。
それこそが生徒会裏会議でシュウが発案した悪だくみだ。シュウの呪符は今頃、雫によって生徒会室に仕掛けられている。その罠へと日傘を誘い込み、シュウの攻性結界により捕縛。逃亡資金に彼女の金を奪い、人質の半分――強襲部隊四人の装備で変装して脱出する。
吸血鬼を強襲部隊への餌にする、小悪党らしい悪だくみだ。
そう、自分と悪友たちだけを確実に救うための、悪だくみだった。
『……本当にシュウは|悪役≪あくやく≫でいいのね?』
「はっ、俺みたいな小悪党が道徳で悩むのは、牢屋で暇を持てあましたときだけさ」
そう交信を終わらせたとき、日傘に袖を引っ張られていることに気付いた。
「――、どうした?」
「悪者ではないよ、シュウは」
彼女は微笑んでいた。
「どういう話だったかは知らんが……シュウは自分を小悪党だと言った。確かに世界に悪役を任ぜられているのやもしれん。けれどキミは悪者ではないと、わたしは思うよ」
優しすぎる微笑と声音に目を伏せて、シュウは謝罪のようにつぶやく。
「それも……お前だけが信じてる、おとぎ話だ」
「む? 良く聞こえかったぞ、もう一度――」
小首を傾げる日傘の顔が一瞬だけブレて見えた。最初は彼女に対する感情が視界を歪ませたのかと思った。だが、違う。彼女だけでなく、その周囲の光景さえ動画のノイズのようなモノに埋め尽くされた。既視感。今夜、妹の小春と話す前にも見た、幻覚の予兆。
「――シュウ、大丈――か」
こちらを心配しているらしい、日傘の声も聴覚異常に妨げられた。視界が暗闇に閉ざされたかと思えば、またも真っ暗な背景に父親の幻影が立ち現れた。
「く、そッ、なんなんだよッ……!」
悪態にも父親の幻影は消えず、近づいて来て肩に手を置いてくる。感触と暖かみがあった。
(まさか……幻覚じゃねぇのか?)
混乱するシュウの耳に、凛とした声音が響いた。
「シュウッ! 落ち着け、わたしが傍に居るぞッ!」
霧が晴れていくよう視界が晴れる。目に入るのは彼女の眼差し。こちらの肩をつかんでいたのは彼女だった。
「聞いていないぞ、まさか退魔士もわれら吸血鬼のように――」
泣き出す直前のように日傘の顔が歪んでいたから、思わず、口が動いた。
「なんか俺、死ぬみたいになってるけど違うぞ?」
「……む? そうなのか? ならば、よいが……」
なんの飾り気のない言葉と微笑を彼女は見せてくれた――しかし、それも一瞬だけ。
「――二度は嫌だ。今夜、誰かを失うのは」
無自覚な悲しさで、彼女は目蓋を閉じる。
「しかし本当によかったぞ。吸血鬼の飢餓のように退魔士も宿命的な|死病≪しびょう≫が――」
言いかけ、彼女が唐突に背を向けた。
「あ? どうした? 俺の不思議発作のマネか?」
彼女は答えず、自分を抑えるように腕を抱きしめた。
「おい、どうした? なにしてる……?」
彼女は自らの腕に爪を突き立てた。肘から血が伝う。
「――おい」
さらには、彼女の背中から血がにじんでいた。その裂傷はシュウを庇ったときにつけられたものと同じ箇所。傷跡が再出血しているらしい。
「おい、お前再生するンじゃ……」
問いかけるも、彼女は無言。なぜか少し苛つく。彼女の肩に手を置いて強引に振り向かせる。
「お、お前、なにして――」
彼女は自らの唇に、その牙を突き立てていた。唇が血に|彩≪いろど≫られている。異変はそれだけではく――彼女の瞳が深紅に染まっていた。
「――」
背筋を伝う悪寒を、シュウは感じた。捕食者を前にした小動物のような戦慄。自らの血中に無い『抗体』。自分には吸血鬼から身を守る術がないのだと、強く意識した。
逃げるべきだと身体が告げる。
けれど、なぜか、飛び退けなかった。
仲間を失ったときの、彼女の微笑と涙。
【わたしはまた置き去りにされたのか】
彼女の声音が耳の奥で響いた気がして、立ちつくしていると。
「案じずとも、よいぞ。わたしはもう、平気だ」
静かに、彼女は口を開いた。牙が突き立てていた唇には既に傷はなく、瞳の色も元の蒼だ。
「だから……そのように、苦しそうな顔をしないでくれ」
笑いかけてくる彼女に、シュウは舌を打つ。
「俺の顔はいつも通りさ。ンなコトより、さっきのはなんだ?」
「……われら吸血鬼の飢餓を詳しく知らぬ退魔士も居るのだったな」
微笑みのまま、日傘は目を伏せた。
「われら吸血鬼はいつまでも血を啜らずにいると、飢餓に心身を蝕まれるのだ。他者の血への乾きに、砂がひび割れていくように」
「背中の傷跡が開いたのは、その?」
「……うん」
「瞳の色が赤くなってたのは?」
「飢餓の段階が進行したときに、われら吸血鬼はあのような瞳なるのだ。飢餓に心を奪われかけて、人間を獲物としか見られなくなる。あれは、そういうケモノの瞳だ」
だからね、と彼女がつぶやく。
「|人間≪キミ≫には見られたくなかったな」
寂しさと悲しさの入り交じった彼女の微笑。他人のための、偽物の微笑。それを止めさせたくなって話題をすり変える。
「さっきの勘違いはお前のその、発作みたいなのが退魔士にもあるって勘違いしたわけか」
「うん、退魔士には退魔士特有の死病があるのかと思ってな」
「病人仲間にすんじゃねぇ――って、待てよ。死病、ってコトは、お前……」
「ふふっ、理解が早いな。われら吸血鬼の飢餓は個体差があるのだが、わたしのそれは今さっき、飢餓の段階が進行した。人間の習いに従えば、末期とでも呼べばよいか」
「――お前……、」
「うん――わたしは長くない」
微笑みながら、彼女は自分の死を告げた。保ってあと数日だな、と当たり前に続ける。この世界は吸血鬼を殺すためにある。必然、彼女たち吸血鬼は殺されることが日常なのだ。
「なぁ、飢餓ってのを止めるには……人間の血を吸えばいいのか?」
言って、シュウは意識する。自分の血には『抗体』がないことを。さっきとは別の意味で。
「む、それはそうだが……言ったはずだぞ、シュウよ」
日傘の片眉が上がる。
「わたしは飢餓に殺されようとも、血を奪わぬと。『抗体』の有無にかかわらずだ」
「……死んじまうのに、か?」
「そうだ――それが、わたしなのだ。吸血鬼の本能になぞ、わたしの心を自由にはさせん」
間近に迫った死に正面から立ち向かうような、彼女の宣誓。
真夜中を住処とする吸血鬼にしてはまぶしく――けれど、どこか、もの悲しい。
まるで銀色の月明かりのようだと、シュウは感じて。
(今更、気づいた――この女は、こんなにも綺麗だったんだな)
彼女の瞳から目を逸らす。今はなぜだか、目を合わせられない。誤魔化すように、口が自然と動いた。
「なぁ、お前はどうして人間の血を吸わない……ああ、友達にしてぇからとか言ってたな」
「うんっ、覚えていてくれたか」
「ああ、いや、そういう確認的なコトじゃなくて……その、アレだ……」
頭をかきながら、シュウは言いよどんだ。
「ああ、そうだ、どうして血を拒んででも、お前は人間と友人になるって決め――」
ついに言えた彼女への質問も、最後まで続けられなかった。突如として起こる轟音と震動に、妨げられた。
「――伏せろっ!!」
日傘に言い放ち、シュウは身を伏せる。視線の先は、崩落した高校の廊下の壁――おそらく爆薬か鬼道術による破壊侵攻。
「質問への答えは、後のほうが良かろうな」
すぐ傍で伏せていた日傘がつぶやく。
「戦闘中にでも、分かりやすい回答を考えてくれ」
言いながら、シュウはニヤける。
(俺らしい悪運だ。もう少しだけ、この吸血鬼と戦うハメになっちまった)
懐の呪符にかけながら、敵の侵攻路を見つめる。
視認するのは、粉塵が立ちこめるなか瓦礫を跨ぐ、異様の姿。朱色の鎧兜をまとう大柄な姿。籠手に握られる長大な鉄棍。重装の武具に浮かぶ呪印の燐光。
「……――ッ」
敵を視認した途端、背筋に悪寒が走った。あの鎧武者は亡者に近しい。|佇≪たたず≫まいが死を連想させる。先ほど無力化した強襲部隊とは別格だ。それゆえに、刹那で意識を改変した。
|始動≪しどう≫するのは、戦闘展開の未来予測――戦闘思考。
(敵との直線距離、十五メートル)
敵戦力の分析。敵の姿形から推察。
(|鉄棍≪ぶき≫から殺傷範囲は三メートル。甲冑と体つきに挙動。近接格闘系の高位退魔士)
次いで、戦域の情報分析ならびに己の戦力解析。この廊下に仕掛けてある呪符――攻性結界の殺傷範囲。攻性結界の種別とともに三次元イメージで視界に上書き。
(俺の勝利過程)
いくつもの戦闘を、脳裏で完了させる。
(おおむね、四、五ルートぐらいか)
――戦闘思考、シュウのそれは迅速。実際、ここまでの思考は一呼吸にも満たない。攻性結界の使い手に必須なのは、敵の戦闘思考を上回ること。質、量、速度において完璧に。来たる戦闘を想定しきらなければ罠たる攻性結界を効果的に運用できないのだ。
つまり攻性結界の|使い手≪シュウ≫は――戦闘前に、敵に勝利せねばならない。
「俺が先に仕掛ける。とどめは任すぞ、吸血鬼」
「うん、信じるよ。闘志に満ちた、その眼差しに」
その返答に口端を上げ、構築した戦闘思考を現実にしていく。
(さァ、初手はコレだ)
攻性結界の解除符を取り出す。ジッポは着火済み。残るは、焼却タイミングのみ。
「……」
視線の先で、鎧武者が歩を進めた。無造作に間合いを詰めてくる。
(見たまんま防御力に自信か――)
戦闘思考を、戦況で裏付ける。平行し、鎧武者を観測。その脚甲が潜在させた攻性結界の圏内に鎧武者が踏み入った。
(その自信、試させて貰うぜッ!)
内心で吠える。連動する戦闘行動。攻性結界の解除符を焼き払う。文化祭の看板や広告の裏に潜ませた呪符が即応。立体呪印陣を形成――鎧武者を捕らえる。
直後、爆炎が鎧武者を呑む込む。骨さえ焦がす熱量の|焼夷≪しょうい≫結界。吸血鬼の再生能力さえ凌駕する威力。その戦果を目にしようとして――
「――ッ」
爆炎のなかで動く人影。投手の如く鉄棍を振りかぶっている鎧武者。
「吸血鬼、跳べッ!!」
日傘に叫びつつ、後方へ飛び退く。
数瞬後、爆炎を突き破ってくる鉄棍。
砲撃のごとき風音と共に、鉄棍が床に着弾。
コンクリート片が巻き上がり、衝撃の余波で窓が割れる。
着弾地点は巨大な|顎≪あぎと≫に喰われたように、高校の廊下の一部が消失していた。
「……拍手でもしようかね」
数瞬前の立ち位置の惨状に、シュウは舌を打った。鉄棍の投擲を読んでいなければ、自分も肉体は粉みじんになっていた。けれど臆することなく、思考は巡る。
(敵戦力、上方修正)
爆炎から現れる鎧武者。瞬時に、敵の損害を観測する。
(鎧武者は無傷。甲冑の呪印が俺の鬼道術を無効化したか――いや、呪印組成が違う)
構築していた勝利過程を二つ破棄。書き換える。
戦況分析も続行。鎧武者は緩慢に歩を進めるのみ。
(距離九メートル。近接格闘系ならすぐに詰めてくるはず。舐められてンのか?)
鎧武者の面貌によって、表情では読めない。
「シュウよ、わたしが――」
鎧武者に向かおうと、傍らに控えていた日傘が歩み出る。
「――アホ提案は生徒会長が却下してる。ってか、お前の突撃だけじゃやれねぇンだ」
腕を掴んで彼女を止めながら、続ける。
「あの焼夷結界、お前の炎術の威力偵察でもあったンだよ」
敵から視線をそらさず、戦闘思考も止めず、口端を上げる。
「ま、任せろよ。お前が信じた俺の闘志はまだ死んでねぇから」
「ふふっ、その微笑も信頼するとしよう」
日傘が隣に戻ってくる。それを視界の隅に捕らえつつ、思う。
(今の会話を見逃す、か)
彼女との会話は、敵への誘いもかねていた。けれど敵の歩行速度は緩慢なまま。しかし油断ならない。飛び込んでくるかもしれない。その速力を、近接格闘系ならば有しているはず。
ただ歩み来る敵の意図は依然として読めない。だが予測可能な敵の所作があった。
そう、敵は必ず立ち止まる。
――0.5秒後、その思考が現実になる。
床に穿たれた鉄棍に、鎧武者が手をかけたのだ。
「琴音ッ、やれッ!」
ワイヤレスイヤホンに、シュウが叫ぶと同時。
割れていた窓ガラスから飛来する一矢。鎧武者の籠手、その隙間へと鏃が突き立つ。
「あとでなんか奢るぜ、琴音」
言う間にも降り注ぐ無数の矢。全てが甲冑の継ぎ目へ突き立つ。流血が甲冑を染め上げる
『マンションを所望します』
「どこのキャバ嬢だ、お前は」
ニヤけつつ、シュウは動いていた。狙撃によって生じた好機を逃すつもりはない。日傘との会話中に握り込んでいた呪符を投擲。放たれた呪符が、鎧武者を包囲する。
「血まみれ甲冑が仇になれ」
口端を上げながら、解除符を焼き払う。
途端、紫色の閃光が眼前を埋め尽くす。
直後、腹に響く重低音も発生。
|過剰殺傷力だと敷設しなかった攻性結界――|紫電≪しでん≫結界。
落雷と同じ六億ボルトの電圧に生物ならば抗えない。|直撃雷≪ちょくげきらい≫を浴びた生物はその神経、脳随、重要な内臓を焼かれることとなる。
なおかつ、敵の電導率は高い。甲冑は無論、琴音の狙撃での出血が大きい。
(だが、まだだ。奴の防御力、その正体は依然として不明だが――)
敵を倒し切るには追撃が必要だ。
「シュウ」
不意に目があった日傘も、こちらと同感らしい。
「おう、頼――」
言いかけた言葉を断ち切り、シュウは叫んだ。
「――いや、待てッ!」
鎧武者へと向かおうとしていた彼女の手を掴む。目に止めたのは、紫電に照らされ壁に伸びた影。その人影は未だ直立。否、平然と鉄棍を引き抜いたように一瞬見えた。
「むぅ、慎重すぎやしないか? 戦闘では頭は頭突き専用なのだぞ?」
「お前の頭と一緒にすンな」
言いながらも、シュウは戦況情報を更新。
(これで倒れてねぇとすると、敵戦力の想定が甘すぎたか)
戦況の情報更新――勝利過程の九割を破棄。
(おいおい勝つどころか、逃げンのも怪しくなってきたぜ)
舌を打つシュウの眼前で、紫電結界は終焉。
電磁力で舞った粉塵を、鎧武者が鉄棍で払った。
面貌の瞳が灯籠のように、ほの暗く輝く。
「――はっ、もう笑うしかねぇな、クソッ」
口端を上げつつ、敵の防御力を解析。
(鬼道術の無効化じゃねェ、甲冑に散った血も蒸発し――待て、あの呪印組成に、あの馬鹿力)
辿り着く結論に、思わず叫ぶ。
「鬼道術の身体強化。馬鹿みてぇな治癒能力で、損傷をねじ伏せてンのか!?」
こちらの叫びに鎧武者は無反応。歩みを再開するのみ。
(……鎌かけには応じてくれなかったが、おそらく正解だろう)
舌打ち混じりに、シュウは戦闘思考を継続した。
(なんつー力業の防御……だが甲冑自体の耐久性はどうかな?)
内心でニヤけるのと同時に、
「――あたしにもなにか奢りなさいよね、負け犬手前っ!」
後方から響く、雫の声音。振り向かずとも、シュウには分かる。後方――四、五メートルの昇降口に仕掛けられた秘密通路、その出入り口からだ。
(雫は手ぶらでは来ねぇ!)
鎧武者に視線を据えたまま振り向かず、背後に手を突き出す。
「よこせ、雫っ!」
「派手にやりなさいッ! 弾丸は奢るわっ!」
背後に突き出した手のひらに、重い感触がぶち当たる。握りしめる。短機関銃のグリップだ。雫が投げてくれたのだ。
「お前は最高の生徒会長だ!」
短機関銃の安全装置を解除しながら、腕を前に回す。
「どの高校の生徒会長よか、気前とコントロールがいいぜ!」
鎧武者に照準。引金を絞る。短機関銃が|咆哮≪ほうこう≫。吹き荒れる銃弾の嵐が甲冑に火花を散らせる。
(うしっ、甲冑の呪印を物理破壊できれば)
と、駆けつけてきた雫が腰のホルスターから短機関銃×2を抜き、膝射で火線を重ねてきた。
「この高校での生き方を分からせてやるわよッ!」
銃声に負けない雫の生徒会長命令に、思わずニヤける。
「あいよーやっぱ袋だたきっていいよなァ!」
三つの銃火が鎧武者に集束。瞬時に胴鎧に弾痕が刻まれる。数瞬後には、硝煙と粉塵が立ちこめた。
「もう待てぬっ! わたしも袋だたきに参加するのだっ!」
今まで大人しくしていた日傘が、その手に銀色の炎を纏わせていた。銀色の炎は手の内で、優美な槍――否、穂先に重心がある投げ槍に変貌する。
「なんだ、その炎術!? 珍しいんだけどッ!?」
問いつつ、雫のホルスターから盗った弾倉をグリップにたたき込む。
「この銀の炎はあらゆる武具となる。空間を焦がすゆえに頑強だっ!」
「空間を燃やす……って、お前の炎術って炎色で燃やせるモンが違うのかっ!?」
「うむ、理解が早いなッ」
振りかぶった銀色の投槍に、紅蓮の炎が螺旋状に絡まる。
「|鎧武者≪ヤツ≫でも貫けようッ!」
赤と銀の投槍が鎧武者へと投擲された。弾幕のなかを疾走した投槍。鎧武者へと着弾。直後、鎧武者の姿を炎が包む。無論、シュウたちも全弾叩き込む。
銃弾をはき出し終え、短機関銃が沈黙。
床を跳ねていた空薬莢の音色が止む。
硝煙と粉塵、爆炎の残火が晴れていく。
廊下は紛争地帯のように、弾痕と焦げ痕だらけ。
けれど――鎧武者はそれでも、まだ立っていた。
「あれはきっと戦国時代の怨霊だぜ、雫っ! 坊さん連れて来いッ!」
「対戦車ロケット砲弾が必要か。シュウ、中東までおつかいに行って来てっ!」
「われら吸血鬼にも、ああまで頑丈な奴はおらんな」
どこか合わない軽口を、言い合うしかなかった。それほどまでに鎧武者は健在だった。衝撃の余韻を払うためか、鎧武者は首を傾け鳴らして。面倒そうに、銀色の投槍を横腹から引き抜く。鎧兜の呪印が燐光をより強く輝く。弾頭や矢じりは鎧武者が排出され、飛び散った鮮血さえも戻った。さらには甲冑の細かな傷さえも、元通りとなったのだ。
(くそッ! 鎧まで修復できンのかよっ!)
額に汗が伝う。それでも思考を巡らす。勝利過程の全てが潰された。それでも、せめて――
(雫だけでも逃がさねぇと)
逃走手段を模索しようとしたときに、鎧武者の退屈そうな声を聞いた。
「……期待外れだ」
七メートルは離れているのにはっきりと、しかし低く重く響く。
「期待には応えるけどさ、俺は|大器晩成≪たいきばんせい≫型でね。ちょいと待ってくれりゃァ――」
「時間稼ぎは、もっと上手くやれ」
鎧武者の声の響き終わらぬ間に、その脚甲が揺らめく。
次の刹那には、鎧武者が眼前へと出現していた。
即座、振り下ろされる鉄棍。
「――ッ!」
反射的に掲げた短機関銃は砕かれる。それでなんとか右肩と脇腹をかすめるにとどまった。動ける、まだ。
「死ッ……ぬかァッ、こんなトコでッ!」
肋骨と肩胛骨の破砕を感知。それでもシュウは雫を抱きしめ、横に跳ぶ。壁に肩を打ち付ける。雫をより強く抱きしめる。即座に壁を蹴り、方向転換。その勢いで床を転がる。
少しでも、鎧武者から距離を取る。だがしかし、あるはずの追撃はない。考えながらも、シュウはまず腕のなかの雫に語りかける。
「もちろん死んでねぇよな、未来の大悪党?」
「アンタが死にそうよ、小悪党ッ! 身を挺するなんて似合わないことするからッ」
「同感、二度としねぇよ」
吐き捨てながら、顔を上げる。追撃が無かった理由を確かめる。
「やっぱり、か」
正面、鎧武者と相対する日傘の背中があった。無論、あの鉄棍を受けた彼女は無事ではない。片腕が半ばから千切れている。
「すまぬ。シュウを無傷で解放するという約定を守れなくて」
彼女は残った片腕――その手に纏わせていた銀色の炎を長剣となした。
「だが、これ以上は傷つけさせん」
立ち上がろうとしたシュウの革靴に、なにかが当たった。
見 下ろすと――彼女の千切れた腕があった。その手には強奪金の入ったボストンバックが未だに握られている。千切れた腕は、またたく間に灰へとなって消えていった。飛び散っていた鮮血さえも灰になって消え去った。金だけが残った。
「ちょうどいい。その金を持って、シュウたちだけでも逃げてくれ」
かすかに顔だけを振り向けて、彼女は言った。その血まみれの顔は、やはり微笑んでいた。彼女の微笑は、自らの傷も痛みも忘却しているかのようだ。
――だからなのか、思ってしまった。
灰になって消え去った腕のように、彼女も消え去っていくのではないかと。
それは現代の吸血鬼の運命を体現するように。世界から忘れ去れれていくように。
――まるで最初からどこにも居なかったかのように。
彼女はその存在を、この世界に否定されてしまうのではないかと。
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