第13話 吸血鬼の傷の消えた背中

 逃亡&強奪計画の始動は、楓の放送からだった。

『鳥羽高校を包囲中のみなさま……お疲れ様です』

 高校の放送スピーカーから校舎内外に響き渡るのは、偽の犯行声明文だ。

『私は人質の代表です。犯人たちの要求を――』

 疲れ切った楓の声音が、人質という嘘に妙なリアリティを与えている。

 微妙に同情しながら、シュウは階段の手すりに呪符を貼り付けていた。それは計画の一環。鳥羽高校要塞化。今でも罠はあるが所詮、一般人相手のもの。退魔士相手には心許ないからだ。

「ねぇ、シュウ。わたしは今、ヒマなのだがっ?」

 アホなことを言ってくるのは、隣にいた日傘。彼女は校内を巡るシュウの護衛役だ。ま、本人は札束の入ったボストンバックを楽しそうに振り回しているから、遠足気分だろう。

「学校ってのは退屈なトコなンだよ、諦めろ」

「むぅ……シュウが言うのなら、諦めよう」

 日傘が折れたのを見て、シュウは呪符の配置作業に戻る。ちなみに放送室も同様の呪符を仕掛けているので、楓の安全は確保されている。またこの放送も楓が本当に人質であると宣伝し、アンチ・ヴァンパイア・カンパニー(AVC)強襲部隊への牽制するためだ。

 と、ワイヤレスイヤホンから雫の声が入った。

『演説を終えた楓が戻ったわ。シュウの進捗はどう?』

 生徒会室で指揮官役をやっている雫に、要塞化の進行状況を報告しておく。

「吸血鬼のおかげで三階へのプロパン運搬は早く片づいたから、残すは一階の廊下だけだ」

『順調ね。引き続き、大嫌いな吸血鬼と頑張りなさいねー』

 皮肉混じりな雫の声に、盛大なため息を漏らす。日傘と組むのは不服だった。だいたい支援は琴音の狙撃で充分なはずなのだ。

「ねぇねぇ、シュウよ」

 と、日傘は袖を引っ張ってくる。

「今度はなんだよ?」

 階段を下りつつ、シュウは次の罠の設置場所たる廊下と歩き出した。で、当たり前のように隣に並んだ日傘が、瞳をきらめかせて言ってくる。

「頼みがあるのだ、シュウ。文化祭とやらに寄り道をさせてはくれないか?」

「言い回しおかしいし、俺らは籠城中だぞ。ってか、文化祭は明日……」

 言いかけたシュウの目にとまるは、日傘の横顔だった。その瞳が向けられているのは、通りがかった教室内の、新聞部の展示だ。『鳥羽高校文化祭史』という名目で、去年までの文化祭の写真やら|校内記事≪ゴシップ≫などが張り巡らされている。

「生徒会のみんなの写真もあるのだな」

 日傘が指差したのは、去年の文化祭での写真。後夜祭のときに無許可で打ち上げた花火を背景にした屋上で、悪徳生徒会のみんなで撮影したものだった。

 その懐かしさに思わず、シュウの口も軽くなった。

「去年の祝勝会だな。委員長の家さ、弁当屋やってンだけど借金まみれになってな。借りちゃいけない闇金業者からまで借りちまった。でもな、闇金業者らを文化祭に誘き寄せて逆に金を巻き上げてやったンだ。もちろん委員長に隠れてな」

 自然とニヤけてしまうシュウの隣で、

「そうか、ずいぶんと善き時間だったようだな」

 彼女の横顔が微笑んだ。


「…………うん、わたしもそこに居たかったな」


 彼女の微笑は不完全で、どうしようもなく寂しげだった。

「わたしが吸血鬼でなかったなら、シュウたちと共にいられたのかもしれぬ」

 叶わない夢に|微睡≪まどろ≫むように、彼女は瞳を細めた。

「いや、わたしだけではなく……他の血族も、」

 とぼやいた後、日傘が再び袖を引っ張ってくる。

「そうだ、シュウっ!」

 晴れやかな笑顔で、彼女は問うてきた。

「わたしの親友と会っていないか? 銀行から脱出するために囮となってくれた仲間と、わたしはこの高校で待ち合わせているのだっ!」

「銀行強盗の仲間って……お前、」

 言いかけて、シュウは黙り込む。脳裏に甦ったのは雫と共に見た中継映像の光景――灰になっていく吸血鬼。『抗体』に殺された、ありふれた吸血鬼の死だ。

 親友の死を、彼女はまだ知らないのだ。

「……シュウ?」

 彼女の笑顔が物語るのは、今まで仲間との約束を忘れていたのでなく、今でも約束が遂げられると信じ切っていたということだった。

「…………、」

 沈黙してしまうと、日傘は勘違いした。

「む? 見かけていないか……」

 小首を傾げつつ、彼女はつぶやく。

「ローズマリーは約束を違えるような奴ではないのだがな……」

 そのつぶやきに、当たり前のことを実感する。画面越しの光景もやはり現実。そして灰になっていく吸血鬼にだって、名前もあれば友人も居るのだ。

「……お前さ、」

 思わず彼女に仲間の死を知らせそうになる口は、

「む? ローズマリーは、やはり先に来ていたのだな? うむ、あいつらしい。わたしはいつも遅刻を怒られていたのだからなっ!」

 仲間を懐かしむ、彼女の微笑に止められた。

 それはついさっき、自分が浮かべたものだった。

「――、……」

 沈黙してしまうシュウを、彼女はまたも思い違った。

「なるほどなっ、ローズらしく先手を打っているのだな? この高校を逃げ出すための手はずを、シュウたちと相談して整えてくれているのかっ!」

 空想まみれの思い違いに、シュウは問うしかなかった。

「そのローズマリーって吸血鬼さ、お前にとって、大事な奴だったのか?」

「うん、シュウにとっての雫たちのようなものだろうか。悪いことでも付き合ってくれる――」

「――悪友」

「うむ、そうだ。わたしの唯一にして最高の悪友だ」

 彼女の微笑は友を誇っていた。彼女は知らない――既に待つことさえ叶わないのだと。

「……なぁ、吸血鬼」

 他に言えることを、シュウには思いつけなかった。

「その悪友、いくら待っても来ねぇぞ」

 日傘の碧眼から目をそらさず、静かに続ける。

「俺は銀行強盗の中継を見た……そいつが灰になったのを見たンだ」

 言い切って、ただ彼女を見つめる。彼女は親友の死に泣くかと思っていた。あるいは、親友の死を認めないかとも思っていた――けれど。


「どのような死に様だったのだ?」


 静かに、彼女は問うてきた。

「……強襲部隊の一人に噛みついた。血を吸って『抗体』に殺されたよ」

 亡き親友に告げるように、彼女は唇を震わせた。

「らしくないぞ、ローズ。飢餓に、吸血鬼の宿業に、負けてしまうなど……らしくないぞ」

彼女はゆっくりと目を伏せて。

「……わたしはまた置き去りにされたのだな」

 涙みたいに、そうこぼした。

「……お前な、よく分かンねぇけどさ、」

 なにを言うべきか分からないままに口を開いたが。

「感謝するぞ、シュウっ!」

 なにも言わせないかのようにか、彼女は背を向けて言い募った。

「普通の者ならば、嘘をつくところだ。相手と自分の心が傷つかぬように。だが、わたしはそれを優しさなどと認めぬ。今のシュウのような優しさが良いのだ。だから、感謝する」

 ひび割れて軋むような、彼女の声が続いた。


「真実を、ありがとう」


 肩を震わせている彼女の背中に、シュウは問うてみる。

「なぁ、吸血鬼。なんで、ローズってヤツと組んで銀行強盗なんてしたンだよ?」

「――『|人魚姫≪マーメイド≫』」

「あ? なんだ、その『人魚姫』ってのは?」

「吸血鬼を人間にする|血清≪けっせい≫だ。その取引があると、この街の吸血鬼コミュニティで知ったのだ」

「強奪金はその資金ってコトか……ってか、噂でも聞いたことねぇぞ、そんな|血清≪もん≫」

「われらは子供のころに聞かされるのだ、われらを人間にする血があるとな」

「子供のときに聞いたって?」

「われら吸血鬼のおとぎ話で、だ」

「……お前な、」

「うん。取引情報は偽物で、わたしは騙されているのかもしれん」

「……騙されもいいってのか? しかも命を賭けてまで? アホか、お前」

「うん、ローズにも愚か者だと言われたよ。けれど結局は納得してくれた。彼女も吸血鬼が死なずに済む世界が欲しかったのだ」

 かすかに声音を震わせながら、彼女は続ける。

「吸血鬼が救われるなら――そんな世界を実現できるなら、わたしは騙されようと傷つこうと構わぬ。あの者もそのようなわたしを信じて共に戦い、血を流してくれたのだ」

 だからと口ずさんで、彼女は顔だけを振り向かせた。


「わたしは立ち止まらぬよ、親友と夢見た世界を勝ち取るまで」

 彼女は微笑んでいる――その頬にはひとすじの涙が伝っている。


「――――」

 なぜだか、シュウには分かった。彼女は自分の涙に気付いていない。だからなのか、思ってしまった。彼女はどうしようもなく強く、|儚≪はかな≫いのだと。

 そう、自らの悲しさに気づけないほどの強さによって、彼女の瞳は|背後≪シュウ≫ではなく、既に前を向いている。その瞳が写すのはきっと、おとぎ話のような空想だけ。


 必然、空想を認めない現実に、彼女は傷つけられていくのだ。


 思わず彼女の背中に、シュウは手を伸ばしていた。

(…………俺は、)

 指先の向こうにある彼女の背中は、自分を庇って傷ついた。彼女の強さを表すように、その背には傷跡は残ってはいない。

(俺はそれでも――吸血鬼は助けない)

 伸ばしかけていた手を、もう一方の手で握り止める。いつか握った小春や悪友たちの手のひらの記憶がよぎった。

(俺の手はもう、別のヤツのもンだ)

 静かに、手を下ろす。指先の向こうにあった背中がよく見えるようになる。


 彼女の背は美しく、やはりそれでも、どこかに消え去りそうなほど儚げだった。

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