第6話 冤罪逃亡犯の幸せな日常

 しばらくしてスマホが震えているのに、シュウは気づいた。半ば反射的に出ると。

『……兄さん?』

 少し怯えた声の、妹だった。

『ごめんなさい、ちょっと、えと、返信なくて心配になって。我慢できなくてかけちゃった』

「……気にすンな。ちょっと寝起きでな、機嫌悪そうな声かもしれないけど、|小春≪こはる≫に怒ってるわけじゃないから」

『うん、それは心配してないよ。兄さんは私に怒ったことないじゃない』

「そう、だっけか?」

『うん。心配してたのは別のこと、ほら、昔みたいに危ないことに……』

「まさか」

 脳裏に過ぎる、冗談みたいに暗い過去。母親の復讐と賞金のために吸血鬼を狙っていた。父親から教え込まれた技能――通常のトラップ技術と鬼道術で吸血鬼を狩っていたのだ。

「もう荒事はしないよ、俺ももう嫌だし」

 本音ではあったが、誓いではなかった。今も、制服の内ポケットには退魔士の|呪符≪じゅふ≫を時代遅れの紙の文庫本に偽装して忍ばせてある。けれど、それは小春に言うことではない。

『兄さんが傷つくの、私は嫌だよ』

「おう、安心しろ。俺も痛ぇのはしっかり嫌いさ」

 自然と、シュウの口元がほころぶ。

(ああ、良かった、俺と小春はまともな兄妹でいられてる)

 かすかに危惧していたように、妹に辛い過去を思い出させてはいない。

「俺のコトなんかよりもさ、小春はどうなんだ? 中学校とか家とか、上手くやれてるか?」

『もう、大丈夫だって言ってるのに。クラスメイトのみんなも、おじさんとおばさんも優しいし。あ、だから兄さん、毎月あんなにお金送ってこなくても……』

「……おい、待て。脅すようで悪いけどな。いつ、どこで、なにがどうなっても不思議じゃない。だから小春は小春で、まとまった金は持っておくべきだ。俺がどうなっても――」

『――それ以上、怖いコト、言わないで。兄さんは父さんみたいに居なくならないの』

「……」

『兄さんは、私を一人にしない……約束、したよね?』

「…………ああ、必ず。俺はお前を一人にはしない、絶対にだ」

『……うん』

「悪かったな、ちょっと大げさに言いすぎた」

 謝りつつも、シュウは念を押しておくことにした。

「ただ金は送らせてもらう。なに、俺にとっては|端金≪はしたがね≫だから気にするな? 最近ちょっとした収入がありそうだしな、ああ、心配するな? 危険はないぞ?」

『悪いコトもダメだよ?』

 やけに勘が良い妹だった。さらには鎌かけタイミングが良すぎて、本音を引き出される。

「う、うまくやるから捕まらない」

『……言いよどんだよね。嘘をついた兄さんの声だったよね。私、怒ればいいの?」

 すでに、ご立腹の妹。

「や、違うんだ。世の中はなかなか複雑で、悪いコトが悪くなくなったりする法則もある」

 墓穴を掘っていることを自覚しつつも、それでもシュウは止められない。

「もし捕まっても、お前の兄さんは脱獄だってやってのけるさ。看守を買収すりゃ、」

『やっぱり、悪いコトやっちゃってるんだ。他人様に迷惑かけちゃダメって言ってるのに』

「違うぞ、小春。もはや迷惑をかけられたと相手に気付かせない方法を、俺は考えて、」

『考えちゃダメよっ』

「お、おう、任せろ。とりあえず明日の約束までは逃げ切るからさ」

『そういうコトじゃ……分かったわ、兄さん。明日の誕生日プレゼントは、私のお説教にする』

「……あ、あれ? 祝ってくれるんじゃなかったのか?」

『私からのお祝いです、大事にしてください』

「や、ちょっと待とうぜ? わ、忘れんなよ? 俺だって怒られたりしたら傷ついたりしちゃうンだぜ?」

『……ばか、嘘よ。ちゃんと用意してあるわよ』

「く、苦しゅうないぞ」

 言って、シュウは妹が話したいことを先回りする。

「そういや明日のコトだけど。俺は約束通りの場所と時間でいいからさ」

『そっか、よかったっ! 久しぶりだね、ちゃんと会うの』

「ああ。夜遅くからだから、あんまり時間なくて悪いけど」

『……いいよ。今度も、兄さんのせいじゃないんでしょ?』

 妹の大人びた優しさに、シュウは口ごもる。夜遅くというのは、文化祭後だからだ。本当なら、文化祭に小春を誘えばよいのだろう。小春も楽しめるはずだ。

 けれど、そういうわけにもいかなかった。

 ここ数日間で、シュウたちを探っている連中が存在する。保護者代わりの|後見人≪こうけいにん≫から、シュウはそう聞いていた。よって、小春とは人目から隠れながら会わねばならない。

 ちなみにその後見人とは小春の保護者とは別人で、シュウの姉貴分。三年前、シュウと小春と義母が素性を隠して逃れられたのも、彼女の助力あってこそだ。


 彼女とシュウ自身の判断で――桜塚驟雨は戸籍上、事故死とした。直後、|高橋秋人≪たかはしあきと≫という天涯孤独な上に人知れず自殺した少年の戸籍を乗っ取ったのだ。


(――姐さんの華麗な|裏仕事≪しのぎ≫を初めて見たんだよな、俺は)

 戸籍の操作ができる姉貴分はもちろん、まっとうな人物ではない。普通の生き方が望めなくなったシュウの教師だ。それゆえに、彼女の情報を信頼している。

『……兄さん?』

「ん?」

『大丈夫?』

 もちろん、小春は裏事情を知っているわけはない。けれど、このように隠れ潜みながら会うのは幾度もあった。だから、なにかを察しているらしい、まだ、中学生だというのに。

「ああ、寝起きだって言ったろ? ちょっと寝落ちしかけただけだ」

『……そっか』

「明日はちゃんと寝て行くからさ、許してくれ」

『……うん、シュウ兄さんはなんにも悪くない』

「悪くもないが、いい兄貴でもねぇーさ」

『ヒネくれないでよ。私には今の兄さんでも充分過ぎるんだからね』

「――」

『今の、ナシ! 忘れて!』

「無理だ、俺の記憶力をなめるな。もう脳内でリピート再生されている」

『やめて! もう! お休み!』

 通話が切られる。

「――……ははっ」

 思わず、シュウは微笑んでしまった。

(参ったな)

 いい兄貴をやれなかったが、それでも、妙に嬉しかった。

(気が緩んでも、まずいってのになァ)

 実際、状況は変わっていない。いつ、どこで、なにが起こっても不思議はないのだ。

「ま、とりあえず稼ごう。ちょいと悪いコトでだけど」

 立ち上がって、シュウは廊下を歩き出す。小春と話したからなのか、屋上の大規模トラップの改良を思いついた。明日、金を手に入れるために、あらためて頑張ろうと。

 金が全てだというのは嘘だとしても、金で解決できる問題はわりと多い。特に自分と妹のように『普通』から爪弾きにされてしまった場合、特にそうだ。

「……二億くらいあれば余裕か。で、キャンピングカーとかいいな。快適な逃亡生活ができる」

 ただ金をかき集めることを、シュウはわりと楽しんでいるが。

「本気で欲しくなってきたな、キャンピングカー」

 妹も旅行に連れ出せるし、とか思い描く。


 だから、忍び寄ってくる吸血鬼に気づけなかった。


 歩き着いた教室前、偶然居合わせた悪徳生徒会の見習いに「その金髪美人は誰っすか? 他校の制服……留学生なんすか?」と、背後を指差さされるまで油断し切っていた。

 急いで振り向こうとするも。

「――ッ!?」

 背後から腕を取られた挙げ句、瞬く間に首筋に鋭い爪を突きつけられてしまう。

で、「……すまないが、わたしの人質になってくれ」と吸血鬼に宣告されるはめになる。本当に油断していたのだ。いつ、どこで、なにが起こるか分からないと妹に言っておいて。

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