よーいバトル
RPGでよく見るような、中世の街並み。こんな凝ったグラウンドはさすがにやりすぎだ。そもそも何かが根本的に違う。訂正、何もかもが根本的に違う。
「お、JKキタコレ」
覇気の無い声に顔を向ける。くたびれた中年男性が、くたびれた灰色の作業着を着て、くたびれた立ち方をしている。
(え、あれ、私もしかして人生初ナンパされちゃってる!? えぇーやだなあもう! 年上も悪くないかもねえへへ……)
じゃなくて。
「え! 陸上なのに男女混合競技!?」
「陸上じゃ無いから男女の区別は無いよ」
「陸上じゃ無く無いよ」
すっと陸上部の目が据わる。
「いや、だから俺らは女神に戦わされ「陸上だよ」
「だから陸上じゃ「はあ?」
中年男性が黙らされる。
「陸上だし」「もういいよそれで」
男、イマザキは鬱陶しそうに顔の前を払った。彼にしか見えない何かがあるらしい。陸上部は軽く跳躍して身体を解している。
跳びはねるJKをイマザキはじっと見つめる。性欲すら枯れた中年は、危機回避の目を探していた。この戦いを乗り切らなければ、どのみち自分に未来は無い。
「じゃあ――――――――
クラウチングスタートの構え。最もスタートダッシュに適した構えだ。対する中年は呆けたように脱力したまま。彼には、全てがスローに見えている。そんな野暮ったい光景が続くだけ。
「いちについて、よーい――――」
『スローワールド』
「――――ドギャンッ!!」
50メートル走を1秒フラットで駆け抜ける健脚。その爆速突進がイマザキ目掛けて突っ込んだ。
対して、イマザキは1歩横にズレただけ。それだけで陸上突進は回避された。鮮やか、とは呼べない。そんな間抜け極まる光景。
「「速ッ!?」」
お互いに驚いていた。陸上部が急なターンを強引に決める。脳内時間を加速させたイマザキが、超反応で危機を読み取る。だが、陸上部は止まらない。再三ターンを決めて突っ込んでくる。回避しても、また。
「韋駄天! ハヤブサ!」
加速。加速。さらに加速。
「
「うげら!?」
ついに右頬が掠った。ギャグみたいな錐もみ回転で吹っ飛んだイマザキが石畳の上に墜落する。
「まずは一本!」
「この、アマ……ッ」
中年男性が薄着の女子高生に掴みかかる。だが、その間に立ち塞がるハードル。大きく後ろに跳んだ陸上部が再びスタートダッシュを決める。
「
射程は100m、相手を寄せ付けない爆走が迫る。イマザキはしゃがんで回避した。
「あーー! また逃げたー!」
「やってられっか……ッ!」
陸上部は陸上部である。ならば、距離を取る。幸い、100mハードル走をキメるのに5秒はかかる。加速した思考でそう判断したが、単純に足が遅かった。
「知らないの? 陸上からは逃げられない」
槍が飛んできた。
「やり投げ! 人生投げやりそうなおじさんにぴったりだよ!」
流麗なフォームは逆に軌道が読みやすい。回避は余裕。だが、飛来する槍が三本に増える。
(そうか、やり投げ競技は三回投擲……ッ!)
故に、当然三連撃。
それはそれで脅威だが、軌道が読みやすいのは変わらない。世界を遅延させ、正確無比なコースを余裕で躱す。
そして、顔を上げて絶句した。
「おいおいおいおいあの陸上キチがあ!!?」
巨大な砲弾が都市を破壊する。崩れた瓦礫を蹴りながら、高く、長く、跳躍しながら疾駆する陸上部。イマザキもその種目には聞き覚えがあった。
「
快活に叫ぶ陸上部は、既に目前まで迫っていた。鋼鉄のハードルが逃げ道を塞ぐ。イマザキは足をもつれさせて、不格好に転んだ。戦車のような突進力が迫る。
「あ、れ――――――――?」
「んにゃ!?」
しかし、転んだことが幸いした。カモシカのような蹴りが盛大に空振りし、悪あがきに振るった拳がヒットする。
「どんまいどんまいマグレマグレ!!」
円盤をぶん投げ、反動で体幹をコントロールする。間髪入れずに轢き倒そうと。
「?」
「若いって、愚かだ」
ラグ。僅かな遅延。
だが、アスリートだからこそ、完成された肉体競技だからこそ、その僅かな違いが顕著に表れる。数テンポ遅れた蹴りは回避され、カウンターに拳を入れられる。
幸い、クリーンヒットしなかった。ダメージは軽微、少し痛むくらい。そう考えて、しかし、これは。
(身体が、重い……?)
『スローハンド』
今度は顔面にモロに喰らった。痛みに悶絶する。頭の中に火花が散って、視界が歪んだ。
(いきなり速く、いや違う! 私が遅くなってんだ! あれは魔法かなにか!?)
考えている間にもイマザキは接近する。普通に拳を振り上げているだけなのに、陸上部からは凄まじい拳速に見えた。
慌てて右手を前に。
「そっちが魔法なら、こっちも魔法だ!」
「いまさら何を」
振るわれる拳は、素人丸出しの威力が乗っていないパンチ。それでも当たれば陸上部の速さは完全に死ぬ。そのはずだった。
「何故……?」
当たらない。それどころか、距離を離されている。イマザキの目算で195m。この数字には覚えがある。昔、トリ〇アの泉でやっていた。
「陸上魔法『
魔法。
それは世界を構成する四大元素――即ち、火・水・風・陸上――に干渉して物理法則を超越した現象を引き起こす力。陸上部の魔法の素質は平凡だったが、陸上魔法についてはそれなりに素質があった。フルマラソンが何故195m伸びたのか、その逸話を現代に再現したのだ。
クラウチングスタート。
遅くなってもやることは変わらない。練習通り。より速く、力強く、走り抜ける。陸上部は鼻血を拭い、切った口内から流れた血を吐き捨てた。
「なぜ、折れない――!? 所詮は学生の遊びだろう? 痛い目見てまでやることじゃないだろう? どうしてまだ向かってくる!?」
「ゴールに向かって突き進む。それが陸上だからだッ!?」
駆け抜ける。イマザキは足が絡まって回避できなかった。ジャンピングニーバットがイマザキの顔面に突き刺さった。
(真っ直ぐだな…………)
薄れる意識で、イマザキは考える。自分にも、そんな若い頃があった。野球部で青春を過ごした時間があった。そんなことを、どうでもよい思い出が脳裏に浮かぶ。
(だからどうしたんだ。そんな青春が何をくれた。大人になれば全部無意味なんだ)
社会から『いらないもの』と烙印を押され、ずっとずっと逃げ続けてきた。自分はこんなものではなはずだと。楽な方へ、楽な方へ。無気力に。そうやって自分を見限ってきた。
イマザキは異世界転移者である。
世界を救うための勇者として召喚され、チート能力を与えられた。力を得たイマザキが何をしたか……何もしなかった。苦痛の無いスローライフを目指し、世界が滅ぶのを、指を咥えて見ていた。
(俺は、このまま消されるのか…………)
このまま終わるのか。
この戦いは最期のチャンスだった。勝利すれば全ての負債を消してもらえるが、負ければ本当に全てが終わらされる。それが女神から言い渡された結末だった。
このまま終わるのか。
野球をしていたときの思い出が浮かんでくる。こうやって何度も思い出してしまうのは、この消し方の分らない、鬱陶しいだけのステータス画面のせいだ。イマザキは忌々しげにソレを見た。
弾 道:↗
ミート:A
パワー:A
走 力:S
肩 力:B
守備力:B
捕 球:C
(こいつのせいで……いつも思い出しちまう。でも、消えないスータスに意味があるとしたら……きっと、今日のためだった)
イマザキはゆっくりと立ち上がった。自分にもどこにそんな力があるのか不思議で仕方が無い。それでも、自分の力で、確かに立ち上がったのだ。
「へえ、立ったね!」
「……君に感化されのかもね。俺は、野球部だったから」
「野球部……ッ!? 陸上部じゃないなんて!!」
陸上部が動揺する。無理もない。相手が元とは言え、野球部であることが判明したのだ。そして、薄々陸上のインターハイでは無いことに気付き始めてきた。
「どおりで、まだ倒れないわけだ」
イマザキの攻撃は、確かに陸上部に通っていた。動きは鈍く、そもそもフラついている。イマザキもそれは同じ。お互いにクリーンヒットを一発ずつ。
「俺が元野球部だと知って――――それでも向かってくるか?」
「当然! だって私は――――陸上部だから!!」
くたびれた中年男性が、渋い笑みを魅せる。表情が変わった。陸上部の額に汗が浮かぶ。
構える、クラウチングスタート。
「いちについて、よーい――――……」
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