第101話 竜王ラン
百メートルもの距離を潜り、湖の底へと着いたルティア達。
鎧ドレス姿の女性竜族が両腕を伸ばして引き、ソリトを渡してくれというジェスチャーをした。
ソリトを渡すと、巨木の根が張り巡った周辺に沈むようにある大きな卵型の容器まで泳いで行った。
内一つの扉を開けると、中には椅子が設置されていた。
ソリトを腰掛けさせると、管の付いたマスクを口周りに取り付け扉を閉めた。それから鎧ドレス姿の女性竜族は一分程、何か作業をしていた。
作業を終えると、人差し指を上に向け浮上するようにジェスチャーされ、ルティア達は湖面に上がった。
「質問が沢山あるかもしれないが、その前に後回しにしていた私の自己紹介を」
そう言って、鎧ドレス姿の女性竜族はルティア達の方に体を向ける。
「私の名はラン。竜種は混沌竜。そして、この世全てのドラゴン種の王、竜王をしている者」
「………混沌、竜」
「ドーラ知ってるやよ。前にルティアお姉ちゃんが読んでくれたお話に出てきたんやよ!」
「物語に。しかし、そなたもまた私と同じ混沌竜だ」
どうやら、ドーラの竜種の予想は間違っていなかったようだ。
「ほんとなん!?ドーラ凄いやよ?」
「そうだな。私とそなたを含めて混沌竜はこの世に二体しかいない。そういった意味であれば凄いな」
「少ないんやよ」
「それで良い。混沌竜は多く存在するにはあまりにも強大過ぎる」
「それはダメなん?」
「駄目ではないが、強大な力というものは救いも生むが災いを呼ぶこともある。だから、そなたが生まれた事にもきっと意味がある」
「ドーラはあるじ様を力になりたいやよ!」
そう意気込むと、ランはドーラの頭に手を乗せて撫で始めた。ランの表情は、子の幸せを願う親の表情にとても似ている。
「それは良い事だ」
「でも、ドーラまだまだ弱いから全然力になれてないんよ」
「心配せずとも、その想いを持ち続けている限り、そなたは強くなれる。その一歩として、先ずは自信を持ち、胸を張る事から始めると良い」
「うん。あるじ様にもね負けたことをいかせば強くなれるって」
ドーラは封印されていたという魔王四将の吸血鬼ルミノスとの一件から頑張っていた。
ルティアは勿論。ソリトも聖剣も全員が知っている。
だから、自分はまだまだと思えるドーラはとても凄い。
ソリトの状態の事もあるのかもしれない。
それでも、心が強い事には変わりない。
「では、次に私達の自己紹介を。私の名前はルティアと申します。ステラミラ皇国で【癒しの聖女】をしています」
「ドーラの名前はドーラなんよ」
「ルティアにドーラだな」
突然、ぐるるぅ、とドーラの方から音が鳴った。
「お腹すいたんよ…」
「まずは、食事を用意しよう。南方面に村があるので、そこで」
「いえ。その、私はここに残ります」
一つの山場は越えた。
だが、ルティアは水を差す言動だとしても、今はソリトの近くから離れたくなかった。
「貴殿の気持ちは分からなくはない。少しの間、治療用の容器に張り付いていたくらいなのだから」
湖の中にあった巨木にルティアは魅入っていた。
そこへ先行して潜っていたランが目の前まで浮上してきた。
そして、ランは突然口を小さく開けると、コポコポと空気を吐き出した。
ルティアは慌てた。
しかし、体内の空気を吐き出した筈の本人は息苦しくも何とも無い様に、ルティアとドーラに向けて両腕を横に大きく広げたり縮めたりし始めた。
少ししてそれが、深呼吸のジェスチャー、とルティアは理解した。
恐る恐るルティアは空気を全て吐き出し、鼻から吸った。
水が体に入り込んだ。
だが、思っていた息苦しさはなかった。
外と同じ様に呼吸が出来た。
それが分かった瞬間、ドーラはルティア達の周辺をぐるぐる泳いではしゃいだ。
そこに、下へ向かう、と再びジェスチャーを伝えて潜っていくランに続いて、ルティア達も湖の底へ向かった。
この時、ランは律儀の二文字とそれに釣り合う鎧ドレスが似合う方なのだと、ルティアは思いながら潜っていた。
それから、湖の底の卵型容器に入れられたソリトをルティアは呼吸が出来るメリットを使って一分程張り付いていた、という訳だ。
「あぁはは…」
思い返すと少々恥ずかしい行動を取っていたかも、とルティアは覇気の無い苦笑いを浮かべた。
「しかし、今ここで貴殿が無理をして倒れるのも良くない。深い夜をここまで来たのだから、今は無理をせずゆっくり休息を取りながら待つことをお勧めする。その時、質問も出来る限り答えよう」
ここで倒れれば、おそらく責任感の強いソリトは負い目を感じてしまう可能性はある。
ただ、そんな素振り見せようとはしないだろう。
また、ランの言う通り、幾つか質問したいこともある。
それでもやはりルティアの気持ちは、ここにいたい、という方が勝っていた。
「弟子、師匠としても休息を推奨する」
「でも」
「マスターに無理をするなと言った。なのに弟子は無理をする。それは矛盾」
自分が言ったことを指摘されては否定することなんて出来ない。
ルティアは素直に頷いた。
「それと早急な聖槍の回収も推奨。面倒な事になる」
「「あ」」
「忘れてたんよ」
そうして、ルティア達は聖槍を回収し、卑屈に沈んでいた聖槍を慰めながら南の村に向かった。
南の村に到着した直後。
ランを見た竜族の人達は一瞬にしてその場で畏まった事にルティア達は驚いた。
その間に、ルティアとドーラは地上から来た客人という事で紹介された。
ルティアの知るドラゴンとはレイドパーティを結成して向かわなければ討伐出来ない凶暴な魔物。
ソリトが裏切られた当日と思われる日。五人でのドラゴン討伐は快挙を成したという。
それでも、半日も時間をかけなければいけなかった程、強力な魔物。
しかし、竜族の人達は魔物のドラゴンとは違い、かなり穏やかな性格で友好的だった。
ドーラが空腹だと知ると食事を用意してくれたり、ルティアが休息の為に地上に生まれた新たな竜族を迎える為の空き家を貸して貰える事になった。
ちなみに、深夜に起きているのはドラゴンの時と変わらず、夜型の生活だかららしい。
食事をしていたドーラはいつの間にか眠りに付いていた。
そこを一人の女性竜族が背負って空き家に連れていってくれた。聖剣と聖槍は別の男性竜族が連れていってくれた。
「あの、ラン様質問なのですが、大丈夫ですか?」
「ええ、構いません。聖女ルティア」
「…混沌竜は、白と黒のドラゴンが争い、それはやがて地上の者達を巻き込んだものになり、その争いを止めたドラゴンが後に混沌竜と呼ばれるようになったという物語なのですけど、あれは本当ですか?」
南の村の竜族達も落ち着いてきた所で、ルティアは気になっていた質問をした。
すると、ランが眉を顰めた。
「……あれか。私は別に好き好んで止めには入った訳ではなく、私の使命の為に止めたまでの事。そも、混沌竜と呼ばれるようになったではなく、おそらくは二体のどちらかが私の種を明かしたがために知り呼ばれるようになったが正しいと……」
「す、少し、ま、待ってください!」
ルティアは驚愕の表現を浮かべて話を止めた。
ラナは、何か?と冷静に言葉を返す。
「私達が読んだ物語は昔の舞台を題材にしたものです。事実でもそれも遥か昔ですけど」
ラナは自身の経験談を語る様に混沌竜が出てきた物語の内容の事を話し出した。
それでも、ラナが物語に現れた混沌竜本人であることは、流石にあり得ない。
混沌竜はこの世にドーラとランを含めた二体しかいないと言っていた。
ただ、それはあくまで何らかの原因でそうなったとルティアは予想していた。
しかし、それがもし事実だとしたら、ラナだけで数十世代、数百年以上も世の中を生きてきた事になる。
「驚くのも無理はありません。私の場合は……まあ竜王特権、とでも思ってくれれば」
「そ、そうなのですね。すみません」
これ以上は踏み込んではいけない。
そう思った瞬間、ルティアは自然と謝罪を口にしていた。
「いえ、お気になさらず。他には?来る前に言った通り出来る限りの質問は答えるので」
「その前に、何故、そこまで親切にしてくれるのですか?」
「それは、貴殿が聖女だから」
「では、他の、歴代の聖女もここに来たことがあるんですか?」
「いえ、私達天空島の竜族は地上へ干渉はしません。なので、ここに地上の人間、それも聖女が来たことすらありません」
ランの言葉を読み取るに、地上の争いにも介入するつもりは無いという事だろう。
ルティアは何となくその理由が理解できた。
この天空島は争いなど、一切起きていない様な暖かく穏やかな空間で満ち溢れている平和な場所。
夜の様に地上に降りている竜族はきっと他にもいるのだろう。
夜は地上の竜族を見つけるためと言った。
また、竜族の存在を知られないよう、争いに巻き込まれないように地上の情報を集めているのかもしれない。
しかし、天空島に聖女が来たことがないというのに、聖女だから大丈夫、という理由で滞在を許可するとはどういう事なのか。
「………あの、私達本当に来て良かったのですか?」
「彼女が連れてきたのなら問題は無いでしょう。それに、もしもの時は口を封じさせていただくことになるが」
ランがこちらに顔を向けて言った。
その瞬間、ルティアは背筋が凍りつくような感覚を抱いた。
それが殺気だとルティアは理解する。
もし、存在が明るみなるような事になった場合、命はないという意味だ。
「すみません。ただの忠告なので」
警告だともっと危ないのかな、と嫌な予想をしてしまうルティア。
「ちなみに、あの湖とか巨大な樹木について伺っても」
「それに関しては黙秘をさせていただきたく」
「分かりました」
「感謝します、聖女ルティア。それ以外で他に何か質問があれば答えるので」
忠告をされた後だと何を聞いていいか分からなくなり、ルティアは頭を捻る。
「……あ!あのドーラちゃんの事なんですが」
ルティアは夜にも尋ねた事と同じように、、竜族として目覚めたドーラが最近まで肉体と精神が別々で人型に変身していた事を話した。
「確かドーラは生まれてまだ数ヶ月程だったと記憶しています」
「あ、はい」
「普通なら、そんな成長速度はあり得ない」
「あ、それはソリトさんのスキルだと思います」
「スキル?」
「はい。『俺は全スキルを獲得できる』らしいです」
「魔法ではなく?」
「魔法も習得できるそうですが、何故それを?」
「以前、貴殿達の言う夜が偶然教えてもらったと伺ったので。全スキル獲得ですか。なるほど…だから貴殿が……」
ランは何か納得しながら、ルティアを見て微笑んだ。
その表情がどういう意味を持っているのか聞こうとしたが、ランが話を再開した。
「これはあくまで予想ですが、その中途半端な覚醒はドーラが未熟だったからだと思います」
「未熟、それはドーラちゃんが精神的にまだ幼いからですか?」
ランは頷く。
「急速な成長で肉体は成竜へ成長した。しかし、そのスキルによる成長は精神まで成長させる事はなかった。それゆえ、その時までは竜族として覚醒しても中途半端な形での変身しか出来なかったのかと。ただ、あくまで予想なので完全に呑み込まないように」
「は、はい」
「さて、そろそろ貴殿も眠るべきだ。体に障ってしまう」
そう言われたルティアは、空き家に行かないと、聖剣に起こられてしまいそうな気がしてきた。
「最後に、あの勇者の手を決して放さす様な事はなさらぬように」
そう言って、ランは湖の方へと歩き去っていった。
手を放すつもりはない。
それでも、ルティアは言われた言葉が心がざわざわと気になった。
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