第98話 月夜

 どうして?、何故?、なんて理由も、シュオンを説得しようという思考もこの瞬間だけ消え去った。

 ルティアの頭の中は真っ白になった。


 ただ夢中で、ソリトの元まで駆け出していた。

 辿り着くと、ルティアはゆっくりとソリトの上半身を抱き起こした。


 その瞬間、ぞっとした。

 酷く冷たかった。熱は小さな灯火の様だった。

 顔色は青白く、今にも息絶えそうだ。


「こふっ……」


 ソリトの口から吐き出された液体が雪を赤く染め上げる。


「精霊よ、彼の者に大いなる癒しを〝ツヴァイブ・ヒール〟!」

 

 ルティアはソリトに向けて回復魔法を唱えた。

 だが、ソリトの顔色も体温も戻らなかった。


「何で……、もう一度!」

「待て」


 腕を掴んで、シュオンに回復魔法を妨げられる。

 邪魔をしないで、とルティアは掴まれた手を振りほどいた。


「嫌です!ソリトさんを放っておくなんて」

「冷静になれ【癒しの聖女】ルティア!」

 

 シュオンが鋭い声を投げ掛けた。

 直後、真っ白になっていた思考が少しだけ戻った。

 深呼吸をして、ルティアは冷静になろうと努める。


「うん、大丈夫そうだな。聖剣、先程のは君の声だと思って質問する。君の主の状態を教えてくれ」

「……さっき戦闘をしてた…その最後、マスターは残った魔力を使い切った」

「ここに向かってる途中で空中を蹴り上げてグラヴィオースに向かっているように見えたが」

「ん。その時」


 最後にソリトは落下速度を加えたブーストアタックをグラヴィオースに与えた。

 空中を蹴るなどという芸当が出来るのは、単一スキル【空間機動】だけ。

 地竜との戦闘では既に使っていた。それ以前に何処かで獲得していたのだろう。

 そして、それが魔力が枯渇した原因。

【空間起動】で空間を蹴って追撃を与えるために魔力を消費した為だ。


「それから、魔力が全く回復しなくなった。多分…マスターは」

「魔力欠乏症…ですか…」


 魔力欠乏症。

 魔力が枯渇し、普通は少しずつ回復する魔力が一切回復しない状態に陥る症状。

 原因は様々で、この症状によって衰弱していき、最悪の場合死に至る程の危険な状態になってしまう事から病の一種に上げられている。


 治療法はあるが、それを行える物資も安静にさせる場所もこんな山の上には存在しない。


 嫌な予感がしたのは間違いではなかった。

 やっぱり【不屈の戦士】を使う前に止めておくべきだった。

 一分が過ぎればスキル効果が切れ、体力と精神力は元に戻ってしまう。

 魔力枯渇に加えて、急激な低下が体に負担をかけ、魔力欠乏にまで至ったのかもしれない。


 どう転んだとしても、あの時二人の間に割って入っておけば、戦闘は中断されたかもしれない。


 ルミノスの戦いの時は呪いを受けてでも止めたというのに、何故今回は取り返しが付かなくなってしまいそうだと思ったのに止めなかったのか、とルティアは自身の選択に後悔した。


「都市に戻ればどうにかなるかもしれない。ただ、君達の身柄を拘束させてもらいたい。だが、私は狼牙族の戦士として、この名に誓って危害を加えないと加えさせないと約束する。その間に真実を確かめる」


 アルスに戻れば教会がある。

 治療を施す事も必ず出来るだろう。

 だが、クロンズ達がいるだろう場所に戻って、ソリトの安全は本当に保障されるのか。

 シュオンがそれを保証してくれるのか。いや、真実を調べている間、隙を突かれるかもしれない。

 その時は、アルス支部のギルドマスターのカロミオを頼ればいい。

 協力者として手を回してくれる筈だ。


 しかし、それはカロミオのギルドマスターとしての信用、信頼あってこそだ。【嵐の勇者】一行、クレセント王国の国政の者達によって犯罪者にされたソリトを庇い続けていればそれも消えて去っていく。何処まで保つかも分からない。

 それに聖女の治外法権も適用されるのはルティアのみ。


 無実を証明しない限り、ソリトを安静にさせられるような安全な場所は何処にも無いという事だ。

 

「お断り、させていただきます。中央都市は今安全とは言い切れません。それなら、別の場所を目指した方が早いです」

「安全な場所を探してるの?だったら、良い場所紹介するわよ?」


 ルティアの隣に突然、黒装束を着た者が現れた。

 顔は黒いフードと布で覆われていて分からない。

 距離感を近いと思わせる溌剌とした声の主の性別は女性だ。


「誰ですか?」

「ごめん、それは答えられないの。けど、ちょっちぃ・・・・・信用はしても良いわ。その保証はリーチェ様がしてくれると思う」

「本当、ですか?」

「え、はい。クレセント王国女王直属の諜報護衛部隊『月夜』の方で間違いありません」

「色々長ったらしい理由から生まれた通称。あたしはその一人ね。でもリーチェ様にはなんでかあたしの見分けがついちゃうみたいなのよねぇ。遺憾だけど」

「その少し変な口癖が原因と何度か告げているのだけど?」

「……ま、ちょっちぃ考えてる時間も説明してる時間もないから、この話は終わりね」

 

 良い意味でも悪い意味でも、明るい性格の人物なのかもしれない、とルティアは思った。


「それで本題だけど、【雨霧の勇者】様にはそちらで気絶している【日輪の勇者】様を連れて追っ手の方々と合流して、都市へ共に引き返すよう説得して貰えないでしょうか」

「その前にどうして突然私達の前に現れた?」

「ご想像にお任せって、ことで」

「秘密という訳か」

「そゆこと。一つ言えるなら、今はリーチェ王女の護衛を女王様から命じられてる事かしら」

「母様の命を守れている気がしないのだけれど」


 リーチェの言う通りだ。

 シュオンの矢の雨で危険な状況があったというのに姿を現さなかった。


「そこは一人の勇者様に任せれば大丈夫だと考えたからよ」


 出てきてくれていれば、とルティアは口に出したかった。

 だが、それは少し八つ当たりな気がし、言葉を呑み込んだ。


「その結果、危険な状態を見過ごしてしまったから、結構複雑な気分。結果的にだけど今回の件に【雨霧の勇者】様は疑心を抱いてくれたのは曉倖と言えなくもないけれどね」

「そんな言い方……!」

「分かってます。だからあたしも複雑な気分なんです。それに結果的にってちゃんと前置きもしてますから、そう怒らない」

「…分かりました。あと続きを早くお願いします」


 ルティアが激昂して投げ掛けた言葉に慌てて被せて言った事に、ルティアは渋々気持ちを抑えて、話の続きを聞こうと耳を傾ける。


「では、リーチェ王女は【癒しの聖女】様達と別れて港町に向かっていただきます。そこで王妃様がお待ちです」

「母様が!?」


 彼女は地図を広げてステラミラ皇国から北側にある港町を指差した。

 クレセント王国の王妃が滞在しているのは、ルティア達の目指している港町だった。


 ルティアは疑問を抱いた。

 リーチェを待っているのは分かった。しかし、それなら協力してもらう方向で自分達も同行して良いのではないかと。

 港町とはいえ、魔力欠乏症を治療する事も出来るはずだし、王妃直属の部隊が動いているのであればソリトの身の安全も多少は保証出来る筈だ。

 それとも、他にソリトの安全が保証出来る場所があるのだろうか。


「ここでお別れみたいだね」

「うん。またなんリッちゃん」

「うん、またね」

「私も了解した。今すぐの方が良い気がするから私はもう行く」


 グラヴィオースの肩に腕を回し、シュオンは巨体を連れて南側に下山していった。


「では、わたし達も行きましょうか」


 今度はリーチェの前に突然、新たに黒装束の人物が現れた。


「ちょっとあんた、それはあたしの役目でしょ!しかもクレセント王国の部隊じゃないでしょうが」

「貴女の方が連れていくメンバーの近くにいるからよ。それに話をしてる時間はないと思うけど?」

「………分かってるわよぉ……念のために言っとくけど、うっちの王女様傷付けたら怒られるのあたしだからね。そこ覚えときなさいよ」

「ええ」


 そう言って、もう一人の黒装束はリーチェを抱えて一瞬で姿を消した。


「ったく……じゃあ行きましょっか」

「は、はい。ちなみに場所をお聞きしても」

「そうね。今は話せる状況だし、話しておかないとね」


 言葉からして、リーチェやシュオンがいたのは少々不都合だったらしい。

 その理由も聞きたいルティアだったが、今はソリトを治すことが優先なので、後にする事にした。


「目的地は上空。雲を突き抜けた先にある島よ」

「え?」

「あ、そうそうその前にドーラちゃん。人型になって良いわよ」

「ええ、ドーラもお空飛びたいやよ」

「あたしの方が速いと思うのよ。ご主人様助けたくないの?」


 ドーラの目尻に涙が溜まる。

 それだけドーラは主のソリトが大好きなのだ。


「…あるじ様……助けたいんよ」


 涙を袖で拭い、ドーラは人型に変身した。


「それで……えっと」

「ああ、そうね。名前を明かさないんじゃ呼び方に困るか……じゃあ月夜の一文字を取って夜さんで」

「はい。それで夜さんどうやって空まで行くんですか」

「代わりにあたしが戻って皆を運ぶから」

「も、戻る?」

 

 直後、月夜の女性の体が徐々に姿、形を変えていき、そして誰もが知る巨体なドラゴンの姿へと変化した。

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