第86話 男ですよね。

「うるさいぞ、雑種クロンズ


 耐え難い痛みに襲われてベッドから落ち、一歩、二歩と後退りながら金属を引っ掻く音が反響したようなクロンズの絶叫の不快さにソリトは顔を少し歪める。


「いっ…おっおっおっ……」


 目を丸くして痙攣した様な呼吸をする姿は滑稽なものだ。


「なんで…なんでお前がここにいるんだよ!!今更出てきて何のつもりだよ!!」


 喚き立てるクロンズから視線を逸らし、ソリトは右斜め後ろのルティアを見た。

 力任せに引き千切られた服はボロボロで布として体を覆っているだけ、髪は抵抗したらしく乱れ、目と頬に僅かに涙の跡が【夜目】で鮮明に捉えた。

 助けを求める声を影の中から聞き心が挫けたのかとソリトは思ったが、その瞳はまだ輝きを失っていない。


 コートを脱いでルティアの体に被せながらドーラの方を見れば、暴行を受けたのか、服は薄汚れて顔は痛々しい。

 聖槍が介入しようとした時、ドーラが目を覚ましてクロンズの行動を妨げていた事を、聖槍にギリギリまで耐えて貰いながら手短に聞いていたので後でドーラを労ろうと決めた。

 同時に、虐げられた二人の姿を見て、ソリトの中で炎が噴き上がる様に怒りが湧き上がった。


 その時、ルティアの近くに斬り飛ばした腕が落ちていた。ソリトがそれを拾うと、左肩から血が多量に出ることも構わずクロンズが喚くように言った。


「ルティア、僕の腕を治せ。聖女だろ!」


 ソリトは再度ルティアの方に視線を移すとクロンズの方に顔を向けているだけで、沈黙し、表情はとても冷酷だった。


「返事をしろ!言うことを聞け無能に付くメスガキが!あとさっさと腕を……うぐ…返せ!」

「これを返して欲しいのか。ほらよ」


 放り投げると、一瞬クロンズはソリトを睨み付けたが、向かってくる腕に視線が直ぐに変わった。その瞬間、ソリトは手を伸ばしてクロンズの左腕を狙い定めて初級火魔法〝アインス・フレイムボール〟を【魔力操作】で威力を抑え【想像詠唱】で放った。


「アアアアアアアア!腕が……僕のうでがあああああぁ」


 燃え盛る自分の右腕に向かって発狂しながらクロンズは左手を伸ばす。

 そこに水魔法で右腕を消火して奪い取る。消火されてもまだ熱は冷めていないその腕を、ソリトはクロンズの右腕があった傷口に押し当てる。


「グゴアアアァァ!!」


 肉の焼ける音と異臭が出る。押し当てられた本人は足を暴れまわす。暫くして多量出血していた傷口が焼け爛れて塞がったのを確認したソリトは腕を押し当てるのを止め、炭化させて跡形も無く消した。


「痛いか?痛いよな。だがな、あの聖女が、無抵抗になったドーラが受けた痛みはもっと痛かったぞ」

「この……僕に…この僕にこんな事をして……後悔させてやる!……その体を斬り分けて飾ってやるからな……」


 クロンズは開いた手の平をソリトに突き付けるのようにして、声を上げた。


「来い聖槍!主たる僕の元へ!!」


 だが、聖槍はクロンズの声には応えず、部屋に現れなかった。


「応えろ聖槍!僕は王になる存在で、お前の主だぞ!!」


 それから何度も聖槍を呼びつけるクロンズを無視して、ソリトは言った。


「来い聖槍。己が主の声に応え顕現せよ」


 すると、頭上から破壊音が近付き、天井を猛烈な勢いで貫き、ソリトの目の前に突き刺さって現れた。

 たった一言で現れる事に、愉悦や歓喜よりもソリトはクロンズに対して少し憐れみを覚える。


 ソリトは聖槍の長柄を掴んで抜くと、信じられない光景に目を丸くしているクロンズに向かって放り投げた。片手で拙く危うい手付きで聖槍を持つのを見て、ソリトは聖剣に念じて呼び掛ける。

 直後、鞘に納まっていた聖剣が独りでに鞘から抜けて、一度横に半回転して柄をソリトの右手に向けた。

 金色と蒼の柄を掴み聖剣を手に収めると、ソリトはそのまま横薙ぎに聖剣をクロンズに振り向けて言った。


「断罪じゃなく、今ここで決着を付ける。…………形状変更、ロングスピアからショートスピアへ」


 手元の聖槍がソリトの命令の一言に従い、柄が約一メートル半の短槍に変化してクロンズの目が動揺に見開いた。


「それならこの室内でも十分に戦えるだろ。構えろ」


 見据えるように一人の男一点に突き付ける殺気と共に少し遠回しに戦えと命令口調でソリトが言うと、クロンズは数歩後退る。


「逃げるなよ、次期王。お前が王だと名乗るなら臆せず来い」

「ソ……ソリトさん」


 呼ばれて振り返ると、目尻に涙を溜めてルティアがこちらを見て横に顔を振り、駄目だと訴える。


 《すぐ終わらせる。少し待ってろ》


 ソリトはすぐに【念話】を切り、クロンズに視線を戻す。


「止めてください!それじゃソリトさんが…!」


 そう言いながらルティアは拘束を解こうと打ち付けるような音が響かせる。


「邪魔するなよ負け犬が。お前はいつもそうだ。人に頼ってでしか何も出来ないくせに人気をさらって!!」


 短槍をソリトに向かって突き付け、クロンズは更に叫んだ。


「お前みたいな奴より僕が下な訳が無いんだ。僕は常に上位に立つべき存在だ!その僕がお前の下にいるような感覚にされるのが解るのかよ!!」

「解るかよ。下の人間を常に見下すことしか出来ない上の存在なんて解りたくもない。それに孤児の俺は常に下。それが勇者になって上になった…のかもしれない。今は犯罪者扱いの最底辺だがな。それでもあの時の俺は見下すことはしなかった。それは今も同じだ。たとえそれが敵で、その敵を利用するとしても。人間を道具のようにしか思ってなさそうな、お前と違ってな」

「………そうやって何もかも悟ったように僕を馬鹿にするなぁぁぁぁ!」


 クロンズは裏返った叫びと共に右足を前に踏み締め、聖槍を突き出した。間合いに入った瞬間、右手の聖剣で軽く薙ぎ、ソリトはクロンズの手の甲を軽く掠めさせた。


「痛いッ!!」


 クロンズは聖槍を落とし、手の甲を腰に当てて、押さえた。


「痛いだ?さっき言った筈だ。無抵抗だった聖女やドーラの受けた痛みはこんなもんじゃない!」


 大きく一歩踏み込み、聖剣を顔正面に突き出した。直後、掲げられたクロンズの左手が、手の甲から貫かれ、そのまま右眼に突き刺さった。


「目がぁぁぁぁぁ僕の目があああああああ!!」


 左手で押さえても、その左手さえ貫かれている。それを理解してなのかその場で暴れ回る。普通なら気絶しても可笑しくはないのだが、伊達に勇者ではないという事だろう。

 そこへ銀色に輝く鎧を外して黄色の服だけに包まれた腰を、ソリトは力任せに横薙ぎ払った。


「ボエ゛ァァァ!!」


 長身が腰から真っ二つに切断され、その間から血飛沫を吹き出しながらドスッと重い音を立てて床に落ちた。しかし、切断した筈の胴体は二つに別れることもなく倒れた。腰から血が一滴も流れていない。クロンズのオレンジ色の髪を持ち上げて体を起こして確認をしてもそれは同じだった。

 そして、切断されたはずであったクロンズは白眼を向きながら涙を流し、口を陸に上がった魚の様にぱくぱくさせ、痙攣した様に甲高い悲鳴を放って気絶していた。


「動かないでください」


 ルティアが冷たくそう言ったと同時に軽く先端の尖った物が背中に当てられた。ここにある武器は見渡しても聖剣と聖槍の二つ以外に見当たらない。

 つまり、ルティアが持っているのは聖槍という事になる。


「どういうつもりだ?聖女、聖槍」


 どの様にして縄から抜け出したのかは後回しにして、現状に対しての疑問を尋ねた。


「どういうつもりもなにも、当然の事をしているだけです」

「それは俺を裏切るということか?」

「いえ、私はソリトさんを犯罪者にしたくないだけです」

「う、うちも同じッス……すみませんッス」


 ルティア達の言葉に怪訝な表情を浮かべながらソリトは言った。


「それで聖槍は聖女の縄を自分の刃で解いた訳か?」

「はいッス」

「そして、その間に私は回復魔法の準備してたんです」

「それで、こいつを斬ったと同時に魔法で治せたのか。お前達は馬鹿か?聖女に手を出した時点で後戻り出来ない所にいたんだぞ」

「その通りです。でも、ソリトさん言いましたよね。お前が決めた道を、自分を優先して壊すなと。だからここでソリトさんが人殺しになる前に止めました。それでも殺ると仰るなら私が先にソリトさんに手を下します……」


 協力関係を違えてでも止めたい。聞こえてくる声からはその様な確かな強い覚悟をソリトは感じた。


「……分かった。お前の覚悟に免じて。命だけは取らないでおく」


 そう言うと、当てられていた聖槍が背中から離れた。


「良かったです。それにソリトさんが態々手を汚す程、あの男に殺す価値はありませんから」


 お前がそれを言って良いのかと言いたいが、今回に関しては言葉にされても仕方ない事をクロンズはしたのだと、ソリトは振り向いた時、笑顔を張り付けた様な笑みを浮かべるルティアを見て口にはせずに内心に留める事にした。


「あるじ様、お姉ちゃんこれ解いてほしいやよー」

「あ、すみません今解きますね」


 ドーラの縄を解きに行ったルティア。

 聖剣と二人になったので、気絶しているクロンズに体を向ける。目に映るその姿は、ソリトに嫌悪しか与えなかった。


「聖女にはああ言ったが、こいつの命を奪わなきゃ気がすまん」

「ん。超…同意」

「なら、こいつにとって命と同じ価値の物を消すのはどうだ?」

「それも超、同意。けど、するなら即実行」

「そうみたいだな」


 ソリトはクロンズを仰向けに変え、聖剣の柄を剣身が下に向く方に両手で握り直し、頭上まで腕を上げる。


「ソリトさん待って!」


 ルティアの止めようと声を掛ける少し先に聖剣を振り下ろした。突き刺さる音を立てて、剣身の一部がクロンズの下半身の逸物いちもつを深々と貫き分離させた。即座に下半身のみに〝ツヴァイブ・ヒール〟で傷口を塞いだ。


「ガガがガガがが……」


 数秒間、クロンズは痙攣しながら叫び、回復魔法を掛けられると大人しくなった。


「マスター、後で念入りに研ぐ」

「分かってる」

「ソリトさん……男ですよね」

「逆に女のお前が同情してどうする…………とりあえず話は後だ。急いでここから離れるぞ」


 ソリトは聖剣を鞘に納める。聖槍も先程の事を考えれば、所有者が決まった事は知られた筈なので、ルティアにそのまま持ってもらいドーラと共に両脇に抱えて、【影移動】で影の中へと潜り込んだ。


 その時、部屋の中に複数の気配が入ってきた。


「間一髪」

「とはいえ、騒ぎにされるのは間違いない。その前にこの都市から離れる」


 そして、ソリトは南に向けて駆け出した。

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