60.マルトシャール伯爵

「──あなたの名前、クウ君って言うのね。ソウと一緒で、略称りゃくしょうは覚えやすいかも」


 壁に背中の体重を預けて立つニニエラが、口を開く。


「クウ君と、フェナちゃん。──あなた達は、何の目的で"青の領域"に来たの?」


「目的……? えっと──人助けのためですかね」


 マルトシャールとニニエラが、顔を見合わせた。


「"黒の騎士団"の手によって、平和を脅かされているイルトの現状を知って、僕に何かできる事はないかと考えたんです。──僕のような"人間"が元々暮らしていた国では、武器を持った侵略者に襲われるなんて事は、まずありえなかった。でもイルトでは、今この瞬間も"黒の騎士団"の手によって、危機におちいっている誰かがいる。"青の領域"も、その例外ではありませんよね」


「ほう、立派な事だ。──つまり、真の目的を話す気はないという事か。まあいい。これ以上は言及げんきゅうせんよ」


 マルトファールは、クウの言葉を単なる方便ほうべんだと思ったらしい。


「だが、ここに来た"真の目的"の予想はつくぞ。ソウの身近にいる"人間"であり、悪魔狩りで名をせた"蝮鱗ふくりんのフェナ"を随伴ずいはんしている。それに"赤の領域"での一件だ。──となれば、この"中立都市フィエラル"を狙う、"十三魔将"の討伐とうばつしか無かろう?」


「"十三魔将"? この"フィエラル"も、その脅威きょういさらされているんですか?」


「イルトに奴らの手が及んでいない領域など、ほぼ皆無かいむだろう。しかし、その反応は……予想外だ」


 マルトシャールは、首の後ろをポリポリとをく。


「"十三魔将"の動きは予測不可能だ。奴らは"黒の騎士団"の大幹部であるものの、組織的な行動が大嫌いな連中だからな。奴らが動くのは、常に我欲がよく好奇心こうきしんられた時。そして、崇拝すうはいする"くろおう"の命令を受けた時だけだ」


「"黒の王"──?」


「おっと。口が滑ったな」


 マルトシャールが自分の口元を、豪華な腕輪のまった手で押さえる。


「しかし、奴らにも性格というものがあるからな。"十三魔将"の中には、強大な力を持つ"大悪魔デーモン"でありながら、綿密めんみつな計画と慎重しんちょうな行動を好む者がいるんだ。──この"中立都市フィエラル"を狙っている大悪魔デーモンは、そんな奴だ」


大悪魔デーモンに個人差がある事には、何の驚きもありません。──それで、その"十三魔将"はどんなヤツなんですか?」


「悪いが、説明する事ができん。現状ではまだ情報不足で、俺もよく分かっていないからだ。──だが、それを知ってどうするんだ、クウ君?」


「もしそいつがイルトの脅威になり得ると確信したら──戦うと思います」


「……そうか。ならば、何か分かったら君にも教えよう。──俺は本来、情報提供の際には代金を頂くんだが、君に請求せいきゅうする気はない。安心してくれ」


「いいんですか? でも、どうして?」


「"十三魔将"は、俺にとっても目の上のたんこぶだからだ。──他種族だけでなく、俺のようにイルトの住民として穏やかな暮らしを望む大悪魔デーモンにとっても、奴らは害悪でしかない。そんなこぶの除去なら、喜んで手伝うさ」


「──悪魔デビル大悪魔デーモンにも、"黒の騎士団"の所業しょぎょうに耐えられない者達がいるんですね」


「俺を見ればよく分かるだろう? その代表例のようなものだからな。──元々、俺は"黒の領域"で伯爵として領地を持っていたが、それらを全て捨てて"黒の領域"から逃げ出した男だ。その選択は大正解だったと思っているぞ。逃げた時に持っていたわずかな金品を元手に銀行家として地位を築き、こうして"霧の四貴人"の一人にまでなったのだからな」


 マルトシャールは高級そうな服のえりを、手で直す。


「つまり俺は今、"伯爵"ではないにも関わらず、そう呼ばれているのさ。──初めて会った者には、なるべくこの話をするようにしていてな。ようは、俺を無理に皆と同じように、"伯爵"と呼ぶ必要はないという事だ」


「なるほど、分かりました。でも、僕は"伯爵"って呼び方が、とてもしっくりくると思いますよ。その、雰囲気ふんいきとか」


「そうか。──悪い気はしないな」


 マルトシャールは、口元だけで笑った。


「ニニエラ、お前に借りができたな。──よくぞ俺に、この二人を引き合わせてくれた。非常に大きな収穫だ」


「そう言うと思った。見返りには、期待していいかしら? 後で、一杯奢いっぱいおごってくれるとか」


「ああ、いいとも。──所で、ニニエラ。"トールコン"を見ていないか?」


「見てないわ。私、ここにいると思ってた。いないの?」


「今日は、一度もこの館には来ていない。奴にしては珍しいな。ふむ、少し気にするべきか……?」


 マルトシャールが口を閉じ、何か考え事を始める。それを見て、今度はニニエラが口を開いた。


「クウ君。一つ、いいかしら」


「何ですか、ニニエラさん」


「このと、話したい事があるの。二人きりで。少し借りていい?」


 ニニエラが、フェナを指で示す。


「フェナですか? えっと……それは本人に聞いて下さい。」


「私は構わないわよ。でも、どういったご用かしら? ニニエラさん」


「ここでは言わない。女同士の話は、男の前ではしないから。──隣の部屋に、移りましょう」


 ニニエラが足音もなく、開いた両開きの扉から出ていく。フェナは不安そうな表情でクウを一瞥いちべつしてから、その後に続いた。


「──クウ君、彼女が心配か?」


「フェナなら、何かあっても自分で対処できますよ。──まあ、ちょっとは心配ですけど」


「ニニエラはああ見えて、面倒見のいい女だ。まあ、悪いようにはしないさ。──それこそ、"白の騎士団"に彼女を突き出すような真似まねはな」


 クウの目に強い警戒心が宿る。しかし、発言自体にはさして驚いている様子はなかった。


「ウルゼキアのジョンラス王は"白の騎士団"に、とある"上位吸血鬼ハイ・ヴァンパイア"の女を見つけろと命令したらしい。何でもその女は、ウルゼキア前王を殺した大罪人であるとの事だ。──今のジョンラス王は"黒の騎士団"からの防衛ぼうえいなど二の次だとばかりに、それを連呼れんこしているらしいぞ」


「それはフェナじゃありませんよ、"伯爵"。──ジョンラス王には謁見えっけんした時は、こんな展開になるなんて全く想像してなかったけど……」


「犯人が誰であろうと、俺には無関係だ。関わる気もないさ。──まあ、ジョンラス王にとっては実父じっぷかたきだからな。躍起やっきになって捜索を命じる気持ちは、理解できんこともない。しかし"黒の騎士団"の活動が活発になっている今、それどころではない事ぐらい馬鹿でも分かる。ジョンラス王も、そう長くは持たんだろうな」


 マルトシャールは、無理に薄情はくじょうよそおっているようだった。


「それより、クウ君。はっきり言って俺は、君が"十三魔将"を討ち取った英雄であろうと、ウルゼキアの前王殺しの吸血鬼の随行者ずいこうしゃであろうと、イルトの伝説に語られる"人間"であろうと、別にどうだっていいんだ。──重要なのは、君が優れた"輪"の魔術師であり、俺のよき協力者となってくれるかも知れない、という点だ」


「何か、協力して欲しい事があるんですか? ──ああ、言い忘れてました。今の僕はソウがマスターを務めるギルド、"蒼黑の鯨アクオーナ"の一員なんです。お仕事の依頼なら、"魔術師ギルド"としてお受けしますよ」


「何──?」


 マルトシャールが、とても意外そうな顔をした。


「君が……ソウのギルドに? ──なるほど。あいつめ、先手を打った訳か」


「え、どういう意味ですか?」


「この"フィエラル"は、俺やソウを含む"霧の四貴人"が掌握しょうあくする都市だ。俺達は四人全員、それぞれが支配する縄張りを持っている。──ソウは君の出現で、その均衡きんこうが崩れる可能性を危惧きぐしたんだろうな。あいつは、そういう所に気を回す奴だ」


「僕? 僕が"フィエラル"にいると、"霧の四貴人"に影響が出るんですか?」


「君は"十三魔将"を倒すほど強い、"輪"の魔術師だぞ? イルトの権力者にとっては、喉から手が出るほど欲しい逸材いつざいだ。もし味方にできたら、このフィエラルでは──他の四貴人が支配する縄張りを奪い取る事だって可能だからな」


「資産家の私財しざいやす目的のお仕事なんて、僕は引き受けませんよ」


「"蝮鱗ふくりんフェナ"の事を、"白の騎士団"に密告する──そう言われてもか?」


「──それは脅迫きょうはくですか?」


 クウの射竦いすくめるようなするどい視線が、マルトシャールに向けられた。

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