61.魔法薬での変装

「……そう怖い顔でにらむな。俺は、君を敵に回すつもりはない。──あくまで君に注意をうながしただけだ」


 マルトシャールが、敵意の無いことをアピールするかのように、軽く両手を上げる。


「まあ、安心するといい。──君がソウのギルドの一員である限り、俺が今言った可能性はかなり低くなるだろうからな」


「と、言いますと?」


 クウの顔は、普段の優男やさおとこのそれに戻っていた。


「ソウのギルド"蒼黑の鯨アクオーナ"は、"魔術師ギルド"の中でも恐れられている有名な一団だ。そして、もしギルドの一員に手を出そうものなら、ソウは黙っていない。──その手の紋章がある限り、少なくとも"フィエラル"の者が君に手出しする事はないだろう。彼女、フェナについても同様だ」


 マルトシャールがクウの手を指差す。いつの間にかクウの手には──"蒼黑の鯨アクオーナ"の紋章が浮かび上がっていた。


「先手を打ったというのは、そういう事ですか。……フェナは、ギルドの一員じゃないんだけどね」


 マルトシャールに聞こえないような小声で、クウはぼそりとつぶやく。マルトシャールは、フェナにも"蒼黑の鯨アクオーナ"の紋章があると思い込んでるらしい。


「話を戻そう。クウ君、改めて──君に依頼したい仕事が一つある。君に頼んではいるが、ギルド"蒼黑の鯨アクオーナ"への依頼として受け取ってもらってもかまわん」


うかがいます、伯爵。どんなお仕事ですか?」


「行方不明になった部下の捜索だ。──優秀な奴で、その実力を買って危険な仕事を頼んだんだ。もう"フィエラル"に到着していてもいい頃なんだが、一向に音沙汰おとさたがない。恐らくだが、奴の身に何かが起きたんだろう」


「危険な仕事、というのが気になりますね」


「簡単に言えば情報収集だ。──俺の表の職業は"銀行家"でな。金融業というのはイルトでは嫌われる職種だが、かせぎは非常にいい。それに、金持ちの知り合いも数多く作れるしな。だが、俺はそれを本業だとは思っていない。もう一つ、裏の仕事を持っているのさ」


「裏の仕事……。何ですか?」


「それを表す相応ふさわしい言葉が見つからん。だが、あえて言うなら──"黒の騎士団"の駆除活動くじょかつどうといった所か」


 マルトシャール自身が大悪魔デーモンである事を考えると、その言葉は──同族を"駆除くじょ"しているという意味になるだろう。


「説明しておこう。──フィエラルは中立都市の名の通り、種族の垣根かきねを取り払った開放的な都市だ。だが、そんなフィエラルでも、"黒の騎士団"だけは受け入れる事ができん。──フィエラルにはある仕組みで、"黒の騎士団"が都市の内部へ侵入するのをはばむ手段がある。それによって、やつらは都市の中へ踏み入る事は不可能となっているんだ」


「そうだったんですか? ──でも、悪魔デビル大悪魔デーモンは街の中にいますよね?」


「種族ではなく、"黒の騎士団"と"十三魔将"のみを区別する結界のようなものだと思えばいい。──とにかく、"黒の騎士団"はこの街には入れない。それはフィエラルが"中立都市"として正常に機能している、さいたる理由でもある」


 マルトシャールの口調はやや重々しい。クウは何かを察したようで、それ以上は聞くのを止めようと考えた。


「しかし、街に入れないからと言って、奴らがフィエラルの住民達を襲わない訳ではない。商人などを待ち伏せし、フィエラルの外で住民達を急襲する騎士共は後を絶たないのさ。──そういう奴らを野放しにはできんだろう? 」


「それで──駆除くじょですか。表現がおだやかではありませんね」


「適切な言葉だと思うがな。──奴らを始末すれば、着ていた鎧や武器、運次第では金品なども手に入る。フィエラルの治安維持ちあんいじねて、まさに一挙両得いっきょりょうとくだ。無論、手痛い反撃を食らう危険性もあるがな」


「じゃあ、その行方不明者も──"黒の騎士団"と戦う仕事をしていたんですか?」


「普段の仕事はそうだった。しかし、今回俺があいつに頼んだのは、もっと難しい内容の仕事だったのさ」


 マルトシャールの顔に、暗い影が差す。


「俺があいつに頼んだ仕事は──"黒の騎士団"への潜入捜査せんにゅうそうさだった。今までに始末した騎士からぎ取った鎧を着込み、フィエラルの外、"青の領域"の外れにある"黒の騎士団"の野営地へと、そいつを送り出したんだ」


「せ、潜入捜査?」


「分かってくれたか? ──君にこの仕事を頼んだ理由と、その危険度が」


◇◇

 "霧の館"。マルトファールとソウがいる部屋から、少し離れた位置にある一室。


 ニニエラとフェナは、いかにも貴婦人の寝室といった内装ないそうの部屋に二人で座っていた。ニニエラは鏡台の前の小さな椅子に、フェナは天蓋付てんがいつきのベッドにそれぞれ腰掛けている。


「準備できた。こっちに来て、フェナちゃん」


「ニニエラさん。何をするか、まだ聞いてないわよ」


「"七色油なないろあぶら"。あなたの髪に、ってあげる。──これがあれば、帽子で髪を隠さなくても良くなるから」


「七色……油? ──あの襲って来た悪魔デビルもそんな事を言ってたわね。それって、何なの?」


「ああ。そう言えば、知らなかったんだっけ。塗ったモノの色を変える、魔法薬の一種よ。フィエラルでは、皆が知ってる、便利な"魔道具アイテム"。──そう言えばこの間、ウルゼキアの市場にもおろされたらしいわ」


「あ──」


 フェナは、ウルゼキアの宮殿にクウと立ち寄った時の事を思い出す。門番の騎士が、"魔法を打ち消す聖水"で強引にクウを洗髪せんぱつする光景がよみがえる。


 あの騎士は、クウが"七色油"を使っていたとうたがっていたのだ。


「その緑がかった白髪は、サラサラしてて奇麗きれい。でも、残念。色を変えた方が、あなたの身のためよ。──フィエラルには、"白の騎士団"も来る時があるから」


「……ジョンラス王が"上位吸血鬼ハイ・ヴァンパイア"の女を探してるって件ね。確かに、そいつに間違われるのは迷惑だわ」


「──そうでしょ? ほら、いらっしゃい。塗ってあげる。私、上手だから」


 ニニエラは小瓶こびんを手に持ち、椅子を空けてフェナを待っている。フェナは鏡台の正面、小さな椅子に静かに座った。


 フェナは魔女のような帽子を取り、後頭部に束ねていた髪をほどく。ニニエラは慣れた手付きで、小瓶の中の液体をフェナの長髪ちょうはつに塗り込み始めた。


「──クウ君にも、塗ってあげた方がいいかも。ずっと帽子をかぶってるよりは、いいと思う」


「そうね。私、後でその油を買いに行くわ」


「大丈夫。私のを、分けてあげる。まだ、予備はあるから」


「ニニエラさん、どうしてそこまで? 純粋な親切心からかしら?」


「そうとも言えるかも。あなた達の事、好きになっちゃったの」


「あら、嬉しいわね。嫌われた事ならいくらでもあるのだけれど。──毒女、蛇女、殺人吸血鬼……"黒の領域"の裏切り者。これまで散々に言われてきたわ。他にも、まだ何かあったかしらね」


「へえ、そうなんだ。──クウ君には、何か言われた?」


「──クウはそんな事、言わないわ。彼は優しいから。たとえ、心の中でそう思ってたとしてもね」


「フェナちゃん、彼の名前を言う時に、体がちょっと赤くなるわね。──血の感じで、分かるの」


「……あなた、まさか?」


「はい、終わり。──色が変わっても、奇麗ね」


 フェナは目の前の鏡を見る。フェナの髪色は──白に近い金髪に変わっていた。ウルゼキアにいたノーム達と同じ髪色である。


「"七色油"の効果は、基本的には永続的。水で洗ったりしても、基本的には大丈夫。でも、もし色が落ちたら、また来て」


「……ありがとう、ニニエラさん」


 フェナは体の向きを変え、ニニエラに向かって丁寧に礼をする。普段の堂々とした態度とは、まるで別人のようである。


「クウ君にも、後でやってあげる。──あなたと、同じ色でいい?」


「ええ。是非、それでお願い」

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