07.滲み沼の牢獄 ~ホス・ゴートス~

◇◇

「傷の具合はどうかね?」


 エルフの賢者──ウィルノデルが、クウに向かってたずねた。


 クウは椅子に座り、包帯を巻いた頭を片手で抑えている。


「ええ、もう大丈夫です。そんなに深い傷じゃありませんから」


「ふむ。ならば、良かったのだね」


「僕の心配なんて、今はどうでもいい。それより──今は捕まった人達の事です」


 頭にえていた手を放し、クウは自分の周囲を見回す。


 クウのいるこの空間には現在、ウィルノデル以外にも多くのエルフがつどっている。無傷の者もいるが、多くは体の何処どこかしらに傷をっており、クウ同様に包帯を巻いていた。


 皆が一様に悲愴ひそうな面持ちで下を向き、今にも泣き出しそうな顔をした者もいる。例外は──悔しそうに顔をしかめるクウと、無表情なウィルノデル。そして、何か考え事をしているらしい面持ちの、フードを被った男だけだった。


「ねえ。えっと……フードの人」


「気に入らねえな、その呼び方。俺の事は"ソウ"って呼べ」


「あ、ごめん。じゃあ、ソウさん」


「ソウでいい。──俺の方も、クウって呼んでいいよな?」


「あ、うん……」


 フードの男──ソウは立ち尽くすエルフ達の間を抜け、部屋の中央に移動する。


胸中きょうちゅう、お察しするぜ。"黒の騎士団"のロクでもねえ話は聞きおよんでた事と思うが、まさかこんな辺境の森の奥、エルフの集落まで狙ってくるとは思わなかったんだろ。なあ、賢者さん?」


「ふむ、耳が痛いね……」


 ウィルノデルは自分の拳を額につけ、自分の顔をおおい隠す。


「騎士団共の目的は、"悪魔族"を頂点とした帝国を"イルト"全土にきずく事だぜ。その足掛あしがかりとして、騎士団共は各地で片っ端から他種族の若い奴を選んでさらってやがるのさ。男は肉体労働の奴隷として、女は──まあ、言わなくてもいいか」


「──ソウ殿。攫われた村の者達は、そのまま騎士団共が、"黒の王国"まで連れて行ってしまうのかね?」


「もしそうだったなら、完全に諦めるしか無かった。だが、今回はその心配はいらねえさ。覚えてるかい? 騎士団共が、引き上げる手前で言ってたセリフ」


 ソウは、そこで視線をクウに移す。


「──"にじみ沼"まで退くぞ、だったかな。確か、そう言ってたような……」


「正解だ、クウ。──にじみ沼ってのは、"ナトレの森"を抜けた先にある、薄汚れた沼さ。あの一帯は本来湿原しつげんなんだが、中央部だけは鼻の曲がる様な臭気しゅうきが絶えずただよい続ける、紫色の沼地になってやがる」


「そんな場所に、騎士団達は拠点をかまえてるって事?」


 クウが怪訝けげんそうに聞く。


「そうさ。その毒沼は底があってな。何でも昔、優れた石工いしこうが石材を沈めて、沼の上に堅牢けんろう石砦いしとりでを作り上げちまったんだと。──作られてから数世紀経った現在、砦は沼地の要所を防衛ぼうえいする役目を終えたが、誰もいなくなった後も、ほとんど崩れずに残ってたらしいぜ」


「それに、黒の騎士団が目をつけたって事なんだね」


「そういう事さ。騎士団共が滲み沼に現れ出したのは、今から半年ぐれえ前だった。いきなり現れた奴らは、石砦の各所に鉄格子を取り付けて、牢獄に改造しやがった。──騎士団共は近頃ちかごろ、イルトの各地に100人単位で収容可能な牢獄を突貫工事とっかんこうじいくつも造ってやがる。滲み沼もその内の一箇所いっかしょなんだろうよ」


「捕まった人達は、拠点の牢獄に一時的に収容されて、後で本拠地にまとめて連れて行くかれるって事か……。じゃあ、その滲み沼の石砦にいる間に、ナリア達を助けなきゃいけないんだね」


「話が早くて助かるぜ」


 ソウは感心した様に、薄く笑った。


「俺は悪魔専門の狩人でね。今、俺が狙ってる悪魔は、滲み沼の牢獄──"ホス・ゴートス"の騎士団共の指揮官なのさ。ち取る機会を虎視眈々こしたんたんうかがってたんだが、一人じゃ難儀なんぎしそうでな。仲間の一人でも募集ぼしゅうしようと考えてた所だったんだよ」


 クウは椅子から立ち上がり、ソウのすぐそばまで歩み寄る。


「僕を──連れてってよ。ソウと一緒に」


「おう、良いアイディアだな。そうしようじゃねえか」


 クウとソウは互いの顔を見つめると、無言で握手あくしゅわした。


◆◆

 滲み沼に建てられた石砦いしとりで、"ホス・ゴートス"。薄暗い通路が遠くまで伸び、その両側には、冷たい鉄格子付きの鉄扉がずらりと並んでいる。

 

 鉄扉の一つが開かれ、黒い甲冑かっちゅうを着た二人の騎士が、何人もの女エルフを強引に中へ押し込む。女エルフ達は全員が手を後ろでしばられ、絶望的な表情をしている。


「おら、てめえも早く入れ!」


「や、止め……! ──きゃあっ!」


 騎士の一人が、抵抗する女エルフの一人の背中をり付ける。女エルフは受け身を取る事も出来ずに、石の床に肩を打ち付けた。


 ナリアだった。今の衝撃で、ひたいからは血が流れている。


 痛みに顔をしかめるナリアに、先に牢に入れられた女エルフが心配そうに近付く。騎士はそれに構わず鉄扉を乱暴に閉めると、見るからに粗末な鍵で扉を施錠せじょうした。


 騎士二人は、ナリア達を見世物でも見るかの様に一瞥いちべつすると、通路の奥へと去って行ってしまった。


「ナリア──! 大丈夫……?」


「ええ、大丈夫です……」


 女エルフの心配に、ナリアは精一杯の気丈きじょうさで答えた。


「さっきの私を見ましたね? このままでは、いつ殺されるか分かったものじゃありません。──急がなきゃ。まず、縄をほどきましょう。そっちを向いて下さい」


「う、うん……」


 ナリアは、話しかけてきた女エルフを後ろ向きにさせると、縄の結び目に歯で食らい付く。


「固い……。あいつら、どれだけ強く縛ったんでしょう」


「無理はしないで、ナリア。──あ、待って! 誰かこっちに来るわ」


 女エルフの言葉通り、何者かが近付いてくる気配がした。等間隔に、鎧の様な金属音が通路に響き渡る。


 音の主が姿を現す。


鎧を着た大男だった。紫色の瞳を持つ、残忍そうな人相の男である。身長はナリアの頭二つ分ほど高く、額からは──角が一本生えていた。


「──エルフの女共。気分はどうだ」 


「聞くまでも無いでしょう。100年以上生きてきた中で、最悪ですよ」


 ナリアの答えに、大男はニヤリと口角を上げて笑った。


「貴様と一緒にいた男について、話せ」


 大男が、ナリアを見て言った。


「……何の事です?」


「"人間"の男の事に決まっているだろう。聞けば貴様、そやつと手を繋いでいたらしいではないか」


「…………」


「答える気は無いか。まあ、良かろう。──女に口を割らせる方法など、こちらにはいくらでもある。お前は、それを試されずに済む好機を失ったぞ」


 大男は、急に興味を失った様にナリアから視線を外す。


「明日を──楽しみにしておけ」


 大男はそれだけ言うと、通路の奥の暗闇に消えて行ってしまった。


 緊張の糸が切れたナリアの眼から、涙があふれた。


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