03.エルフのナリア

「僕の正体?」


「そうだね。いやはや、儂はもう500年以上生きておるのだがね。これ程の神秘体験は間違い無く初めてであったのだね。ああ、素晴らしいのだね。年甲斐としがいも無く興奮しておるのだね」


 老人は満足そうに笑う。


「クウ君、君についてたずねても良いかね」


「何でしょうか?」


「君は一度、生を終えた事があるだろう? 白い布に囲まれた空間で、石の様な身体を呪いながら、病に果てた」


「…………!」


「自分の身でありながら、自分の思い通りにはならない。悔しさともどかしさにむせび泣く事も、一度や二度では無かったのだろうね」


「あなたの"輪"とやらは、本当に……」


「だが安心すると良いのだね。この世界──イルトでは、君の身体は君に従うのだね。それどころか、その気になれば君は鳥の様に羽撃はばたく事も、魚の様に泳ぐ事も出来る。まさに、如意自在にょいじざいなのだね」


 クウは、無言で拳を握り込んだ。


「君は、ここでの事はことごとく全て夢ではないかと疑っておったのだろう? だが、それは違うのだね。君も、もう気付いておるのではないかね」


「……正直、ここで今すぐ大の字になって寝てみたいですね。それでもまたここで目覚めたら、観念してこれが現実だと信じてもいい。それが今の率直な考えです」


「ふむ、妙案みょうあんかも知れんね。だが、ここで寝られるとわしが困るのだね。寝床ならばナリアの家に空きがあるのだね。──いや、いっそ本当に今日はそこで夜を明かしてはどうかね?」


「なっ、賢者様!」


 ナリアが、思わず老人の方向に身を乗り出す。


「賢者様! どうして私の家なんですか。他にもいい場所はあるでしょう?」


「儂の考えでは、それが一番いいのだね。そもそも、クウ君を連れてきたのはナリアなのだね。これも何かのめぐり合わせかも知れんのだね。実際お前の所には、人が二人寝られるベッドがあるのだね」


「確かに、ありますけど……」


「では、決まりなのだね。──クウ君、そういう訳なのだね」


「確かに、泊まる場所や食事の心配をしてた所ですけど。でも、いいんですか? 僕みたいな得体の知れない──耳の短いヤツの面倒を見て頂いても」


 クウが自分の顔を指で示しながら問う。


「クウ君の事は、今しがた十分過ぎる程に知ったのだね。私の名において村への滞在を許可するから、しばらく居るといいのだね。何処か他に行く当てがあるのならば別だが……」


「いえ……ありません。お言葉に甘えさせて下さい」


「うむ。それがいいのだね」


 老人は不意に片手を上げる。どうやらそれが合図だったらしく、入口の男が扉のかんぬきを外し、扉を開けた。


「さあ、話は終わりなのだね。もう行きなさい」


「はい。では失礼します、賢者様。──ほら、行きますよ」


 ナリアがクウの手を強引に引きながら部屋を出る。


「──ああ、クウ君。最後に一つ」


 ナリアに体を引っ張られながら、クウは精一杯、首を老人の方に向ける。


「先程の、儂が言った君の身体の話だが──あれは君に備わった"輪"の事なのだね」


「えっ?」


「君の"輪"は──どちらも面白い力を秘めているのだね。具体的にどんな事が出来るのか、それは自分自身で確かめると良いのだね」


 老人がそれを言い終えたと同時に、再び扉が閉まった。


◇◇

「全く……。まさかこうなるなんて」


 ナリアはそう言いながら、丸い木の扉を開いた。先程の老人のいた部屋の扉よりも小さく、かんぬきで施錠されてもいない。


「とりあえず、ここが私の家です。ほら、あなた。入ってください」


「あ、失礼します」


 クウは、精一杯の遠慮えんりょの意思を態度に現しながら入室する。


「ねえ。僕の事は"あなた"って呼ぶの? ──新婚夫婦の奥さんが、旦那だんなを呼ぶ時みたいに聞こえないかな」


「な、何変な事を言ってるんですか。じゃあ──クウ。これでいいですか?」


「うん。じゃ、それで。えっと、お世話になります──ナリアさん」


「ナリアで結構です。あ、扉はしっかりと閉めて下さいね」


「あ、うん。──奇麗きれいな家だね」


 クウはキョロキョロと室内を見回す。


 木で出来た椅子や卓子テーブル。果物や野菜の入ったチェスト。そして中央には──二つ枕の並んだ、大きなベッドが一つ。クウは目で確認してみたが、何度見てもベッドはこの空間に一つしか無い。


「……あのさ、ナリア。ここには"二つのベッド"があるって話じゃなかった?」


「そんな事、誰も言ってませんよ。賢者様は"人が二人寝られるベッド"と言ったんです」


「"賢者様"にしては、随分と誤解を招く言葉を選んだみたいだね。これは予想外だよ……」


 クウの前世の記憶に、女性と同衾どうきんした記憶など一度として無かった。このまま無事に次の朝を迎えられるかどうか、クウには自信が無い。


「まさか……みょうな事を考えてないでしょうね? 少しでも怪しい行動をしたら、即座にあなたを森に戻しますよ」


「はい。きもめいじておきます。──ねえ、ナリアってもしかして、一人暮らしなの?」


「そうですよ。父親は元々いませんでしたし、40年前に母親が亡くなって以降は、ずっと一人です」


「そうなんだ……。不躾ぶしつけな事を言いてごめんね。──いや、ちょっと待って。40年前? ナリアって何歳なの?」


「女性に遠慮無く年齢を聞きますか。本当に不躾ぶしつけですね。──今年で118歳になりますけど、それがどうかしました?」


「ひゃ、ひゃくじゅうはち……!?」


 クウは瞠目どうもくしてナリアを見る。


「あの"賢者様"が500年以上生きてるって君が言ったから、予想はしてたけどさ。もうちょっとで、君もギネス更新出来るよ、それ」


「ぎねす?」


「あ、いや……。"イルト語"には無い言葉なんだね。──何でもない。」


「気になりますね。何が言いたいんですか?」


「いや……気にしないで。約100歳差の女性と、これから同じ屋根の下で過ごす。そんな貴重な体験に動揺どうよう──感動しただけだから」


「……もう一度聞きますが、妙な事を考えてないでしょうね?」


 クウを見るナリアの眼光がするどくなった。


「今、100歳差と言いましたよね。──クウ。それはつまり、あなたはまだ18年程度しか生きてはいないという意味ですか? 外見は私と同年代に見えますけど」


「正確に言えば21歳と数か月、かな。もし、僕が死後すぐにこっちの世界に来たとしたら、だけどね」


「それは若い……というか、エルフ基準ではおさないですね。エルフなら読み書きを教わったり、初歩的な魔術を身につけたり、森で土塗つちまみれになりながら走り回る年頃です」


「……僕も、"人間"にもそんな時期はちゃんとあるよ。──僕も幼少期は健康体だったから、昔はそんな事してたなあ。──魔術は使えないけど」


 クウは自分の手を見つめ、一本一本指を動かす。病にせっていた時をまた思い出して、動く身体の新鮮さを再確認しているらしかった。


「ねえ、ナリア。僕をここに連れてきてくれたのは、単に僕が──"人間"が珍しかったから?」


「それもありますけど、助けが必要だと感じたからです。──もしクウが、あのまま当てもなく歩いて森の外に出ていたら、無事では済まなかった可能性がありますよ」


「え、どうして?」


「イルトを力と恐怖で支配している、"黒の騎士団"に遭遇する恐れがあったからです」

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