第114話 一年生 vs伊賀皇桜学園

『八番ピッチャー竜崎流花さん。背番号18』


 ツーアウトランナー一塁。この状況で伊澄が相対するのは、同じ一年生で同じく先発を務める竜崎だ。


 二回表の初対決、初回はお互いに意識して三者凡退に抑えたように、この打席でもお互い意識しているのが伝わってくる。


 この対決は、二人ともが一年生だということもあるが、それ以上に同じキャッチャー……神崎司と元々組んでいたピッチャーと現実組んでいるピッチャー同士の対決とも言える。


 そして、三年間を共にした司と竜崎との対決でもあった。


 竜崎はどのような打撃をするのか。司はどのようなリードをし、伊澄はどのような投球を繰り広げるのか。そんな対決を見ることを、巧は微かに楽しみにしていた。




 伊澄の放つ初球、この対決の開戦は外角低めへのストレートで始まった。流花はそれに応戦するが、僅かに振り遅れただけの一塁線へのファウルとなった。


 98キロのストレートは、伊澄の全力には遠く及ばない。しかし、カーブを待っていたのだろうか、流花はそんなストレートにも振り遅れた。


 振り遅れたのは誤差だ。もう少しでも早ければフェアゾーンに入っていただろう。となれば球速差があまりにも激しいスローカーブを待っていたという可能性は低い。普通のカーブでももう少し振り遅れる。


 つまり、狙っているのは速めのカーブだ。……そう見せかけておいて、別の球を狙っている可能性もある。ただ、深読みしすぎると自滅するのが目に見えているので、私は一度頭をリセットした。


 二球目、流花の狙い球を絞るために可能性の低いスローカーブのサインを送る。その前に警戒しているという意思表示をするため、一球だけ一塁へ牽制球だ。


 そして二球目のスローカーブは内角に構える。多少甘くなっても良い。伊澄の投じた球は、まるでデッドボールになるようなコースから一気に内角に決まる。


「ストライク!」


 余裕を持った甘めのスローカーブのため、当然判定はストライクだ。


 その球に流花はやや避けるような仕草をした。スローカーブを意識していれば、この変化を予想して避けようとはしないだろう。スローカーブは狙っていない。私はそう確信した。


 狙っていないなら、スローカーブで攻めれば打ち取れるだろう。ただ、皇桜からすれば先制した上でツーアウト一塁という状況に、狙い球を外されての凡打や三振はダメージが少ないように思える。


 何気ないこの場面でも、相手からすれば少しでも痛手になるように、私はそれを考えながらリードをする。それが私の役割だ。


 ツーストライクと追い込んだ三球目、流花の打ち気を逸らすためと、私自身考える余裕を持たせるために一球外角に外したストレートだ。大きく外すわけでもなく、際どいコースにミットを構える。


 伊澄はセットポジションから投じた球は、構えたミットからやや内に入る球だ。流花はピクリと反応するが、その球は見逃した。


「……ボール」


 審判は若干考える間を置いた後にコールをする。ストライクと取られれば三振だが、逆にそれは好都合だ。


 四球目、伊澄はサインに対して首を横に振った。別のサインを出しても首を横に振る。理由はおおよそ予想はついているが、まだだと言わんばかりに求めているであろうサインを出さずにいると、伊澄は渋々首を縦に振った。


 伊澄が投じた四球目に、流花は反応した。バットが金属音を奏でるが、打球はバックネットに当たるファウルとなる。真後ろではないため、タイミングはややズレただけでほとんど合っているということだ。


 出したサインはスラーブだった。ストレートと比較するとやや遅めではあるが、伊澄の持つ変化球の中では早めの球だ。


 そして次の球、私の出したサインに伊澄は即答で首を縦に振った。心なしか目が輝いているようにも見える。


 セットポジションからの五球目、投球動作に入った瞬間、ファーストランナーの本堂さんが走った。しかし、伊澄も私も一切目もくれなかった。


 伊澄の指先からボールが放たれる。待ってましたと言わんばかりにバットを振るう流花。


 私のミットには……投球の収まる心地の良い革の音が響いた。


「ストライク! バッターアウト!」


 流花の狙い球はパワーカーブだった。そして、伊澄はそのパワーカーブで押さえ込みたかった。私も狙い球で抑えることで、相手に警戒させることを考え、決め球はパワーカーブと考えていた。


 三人とも考えは一致していた。しかし、勝ったのは私たちバッテリーだ。


 以前の練習試合で見せたパワーカーブは、ほぼ完成していたが、まだ完全な完成形ではなかった。それでもバットからボール一個半分……空振りを奪うには十分な変化量を持っていた。


 それから皇桜を抑えるために必要不可欠となると考え、パワーカーブをさらに磨いた。


 ストレートよりも若干遅い程度のパワーカーブは、以前よりも変化量が増し、更なる武器となった。


 流花は以前の球筋が見えていたのだろう。そのため、狙っていても空振りをした。予想以上の変化についてこれなかった。


 私たちの勝ちだ。




「ナイスピッチング」


 ベンチに戻ってくる伊澄を声をかける。それに応えるようにグローブを上げたため、巧は軽くハイタッチをした。


「司もナイスリード」


 その言葉に司は曖昧な表情を浮かべる。


「一点は取られちゃったからね。……でも流花は抑えたから、この回が勝負かな?」


 巧もただ試合を見ていたわけではない。司の言葉の意図は汲み取れた。


 タイミングが合わない球ではなく、タイミングの合う球……恐らく竜崎の狙い球を意図的な投げ、それで三振を奪ったのだろう。


 追加点が望みにくい場面ではあったが、狙い球を打てなかったということに少なからず竜崎にダメージが残り、その隙を叩いて一気に優勢にしようという算段ということだ。


「元チームメイトに容赦ないな」


「今の私は明鈴の選手だからね」


 司はそう言いながらベンチの中に入り、キャッチャー防具を外す。ずっと付けているというのは息苦しいからということと、四番の珠姫からの打順のため、七番の司はにも打順が回る可能性が高いからだ。


 元チームメイトだから戦いにくいということはなく、司はその対決を楽しんでいる様子だった。


 伊澄・司バッテリー対竜崎が終わったが、明鈴の攻撃では伊澄には確実に回る。そして一人でも塁に出れば司にも回る。


 一年生バッテリー同士の戦い。お互いに同学年同士の負けたくない戦いだ。この試合がどう転ぶのかという一つの分岐点かもしれない、巧はそう感じていた。


 竜崎を抑えたことによって調子付いている伊澄と司、その司に打席が回るかどうかの鍵を握るこの回の先頭打者、珠姫の打席だ。


 珠姫は今大会、打率と出塁率共に十割を記録している。その記録が継続されるかどうかの打席でもあった。


「珠姫、気楽にいこう」


 巧はどんな大会でも打率十割など経験したことがない。高校生はもちろん、中学生のピッチャーのレベルは強豪と弱小で差が大きいため、プロ野球に比べると高打率を残す選手はいる。


 しかし、天才と呼ばれていた巧でも、調子が良かった大会で良くて六割から七割だ。大体が四割から五割で、悪ければ三割を切ることもある。弱小と呼ばれるチームのピッチャーにも打ち取られることだってあった。


 それでも珠姫は十割だ。そんな未経験の境地に、巧はありきたりな言葉しか伝えられない。


「打ってくるよ」


 珠姫はそんなプレッシャーのかかる状況でも、笑顔でそう答えた。


 その珠姫が打席に入る。弱小校から中堅校の三年生で元天才バッター。ホームランプリンセスと呼ばれた珠姫と、強豪校に所属する一年生バッテリーの対決だ。


 初球、ワインドアップの大きな動作。そして竜崎の頭上よりも遥か上から放たれた白球は、地を這うようにキャッチャーである鬼頭のミットへと向かう。


 しかし、珠姫のバットはそれを阻み、軽快な金属音が響く。


「センター!」


 コンパクトなフォームから打球は放たれ、一瞬でショートの鳩羽の横を抜ける。


 低く速い打球。


 その打球は一気に外野フェンスへと到達した。


 打球はフェンスに当たり、ややレフト方向へと転がる。しかし、俊足の早瀬はすぐにその球を処理した。


 珠姫はその間に一塁を蹴っている。早瀬も二塁で刺そうとすぐさま送球するが、珠姫が二塁へとスライディングしたところでワンテンポ遅れて送球が到着した。


「ナイスバッティング!」


 明鈴ベンチは一気に盛り上がりを見せた。


 攻守交代の初球という、ピッチャーからすれば少し間の空いたタイミングを珠姫は狙い打った。竜崎は直前まで打席に立っていたため、なおのこと難しいところだ。


 ただ、打ったのは外角から内角へと変化する高速スライダーだ。恐らく相手バッテリーも初球打ちを警戒して難しい変化球でカウントを取りに珠姫取りにいったのだろう。


 しかし、それは珠姫には通用しなかった。


 点を取られたのなら取り返せばいい。マウンドで戦っていた伊澄への、珠姫からの大きな援護だ。もしかしたら和氣への対抗心もあったかもしれない。


 どちらにせよ、ノーアウトランナー二塁という絶好のチャンスを掴み取った。そして続く打者は長打を狙える亜澄だ。


「亜澄、意識は右方向な」


「了解」


 巧の声かけに返答し、亜澄は打席へと向かう。


 右方向……一、二塁方向であればゴロでも珠姫の進塁が狙える。外野フライでもある程度飛距離があればタッチアップが狙える状況だ。ライナーや内野フライ、浅い外野フライであればアウトを献上するだけとなるが、ゲッツーの可能性が低い状況ではまだ次に繋がることには変わりない。


 亜澄の打席、打たれたことで警戒したのか、外角への際どいスプリットだ。しかし、ボールゾーンからボールゾーンへと変化するだけのスプリットに、亜澄はピクリと反応しただけで見送った。


 わざわざ手を出す球ではない。


 そして二球目、竜崎の放った球はワンバウンドしてから鬼頭のミットへと収まる。


 真ん中から外角低めへと決まるはずの球を要求したのだろうが、それは大きく外れたため、鬼頭のミットも大きく動いた。


 ツーボールの場面、竜崎はサインに首を振っている。なかなかサインは決まらないが、四回目のサインで竜崎は首を縦に振った。


 大きく深呼吸をした後、セットポジションから竜崎はボールを放つ。


「ストライク!」


 亜澄は思わず見送った。ただの高めに浮いたストレートだったが、球威のあるストレートに手を出せなかったのだろう。


 一瞬崩れかけていた竜崎だったが、この球を投げてから目がギラついている。よほど投げたかったのか、スッキリしたような表情にも見える。


 やはり強豪でマウンドを任されるだけあってか、一球で立ち直って見せた。


 制球ガン無視で投げた球は、115キロを計測している。投げたい球を好きなように投げるということは、さぞかし気持ちが良いだろう。


 ただ、亜澄も負けていられない。四球目のチェンジアップに釣られながらも、なんとか踏ん張って当てにいき、ファウルにした。


 そして五球目、エンジンがかった竜崎の投球。高い位置から放たれたボールは、内角を抉るようなストレートだ。


 亜澄はそれに反応し、不恰好ながらバットに当てた。


「セカンド!」


 打球はピッチャー横を抜けるセカンド正面への弱いゴロだ。セカンドの的場はそれを捌いて一塁へと送球する。


 差し込まれた形となったが、亜澄もしっかりと対応した。そしてその間にセカンドランナーの珠姫は三塁へと進塁している。


 得点するには最大のチャンスだ。


 そして打席に向かう伊澄がコールされる。


『六番ピッチャー、瀬川伊澄さん。背番号1』


 ワンアウトランナー三塁。伊澄が打席に入り、バットを構える。


 またしてもピッチャー同士が開戦する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る