第112話 強豪の四番 vs伊賀皇桜学園

 初回は点が動かなかった。お互いがピッチャーは上々の立ち上がりで迎えた二回表、打席は皇桜の四番、和氣からだ。


 和氣は珠姫の元チームメイト。珠姫は復活してからの打撃は凄まじいが、好調の波に乗っている。そんな今の珠姫と和氣を比較しても仕方がないため中学時代の話にはなるが、バッターとしては珠姫が格段に上だった。


 それは、珠姫が日本代表に選ばれるような選手で、和氣は選ばれなかったと言えば、周囲の評価は珠姫が上だと言っているようなものだ。


 事実、ミート力に関しては珠姫の方が圧倒的に上だった。しかし、長打力に関して言えば珠姫がやや勝る程度で大差はない。


 そんな和氣がそのバッティングを強豪である皇桜で研鑽し続けたことを考えると、例えば珠姫が三年間極端な好調や不調がなければ、和氣の方が上だと見られていた可能性が高い。


 その和氣が打席に入ると、巧は一気に緊張感に襲われた。


 しかし、マウンド上に立つ伊澄は、どんな相手だろうと関係はないとでもいうように、至って平常心だ。……ポーカーフェイスな伊澄なので顔に出ていないだけかもしれないが。


 伊澄は指先にロジンを付けた後、ボールの感触を確かめる。


 そして初球を投じる動作に入る。


 ワインドアップからややサイド気味のスリークォーター投法から放たれたボールは、初回に引き続きやはりストレートだ。


 外角低めいっぱいの際どいコース。司の構えるミットへとドンピシャで白球を放つ。


 誰もが見逃すような初球からの際どいコースのその球は、司のミットに収まらなかった。


 外角低めのボールに逆らわずに和氣はバットを振り抜くと、軽快な金属音とともに打球はレフトスタンドに消える。


「ファウル! ファウル!」


 審判は慌てたようにジェスチャーをしながら、ファウルのコールをする。


 ギリギリファウルゾーンに入ったようだ。


 あまりにも綺麗な弾丸性のライナー、鋭い打球に誰もが目を奪われる。その打球は目で追うのがやっとで、観客は歓声どころか打球に見惚れている。


 そんな打球を放った和氣は不満げな表情を浮かべる。確実に捉えるつもりだったのだろう。


 巧は和氣の迷いのないスイングをまで確信した。ストレートが来るということを和氣は確信していたということに。


 今までストレートばかりを見せてきた。変化球を混ぜながらであれば簡単には打ちづらいコースだが、ストレートが来るということと、パワーがあるため高めの球を投げづらいということを考えれば、低めに来ることは予想できる。


 内外はどうやって見分けたのかは和氣にしかわからないが、おおよそボールを放った位置……リリースポイントによる判断だろう。


 できるだけストレートで押したかった伊澄と司のバッテリーに対する、警告にもなったファウルだ。


 和氣は一振りで『ストレートだけでは通用しない』と示した。


 そんな中でも、伊澄と司は冷静なままだ。


「今の打球、ヒヤッとしたね」


 いつものように隣でスコアを取る美雪先生は、胸を撫で下ろしながら巧に話しかける。


 巧も同じ感想ではあったが、伊澄と司の表情を見て、全く違う感想を述べた。


「あれはわざとかもしれないですよ」


 巧の言葉に美雪先生はよくわからないといった表情を浮かべたため、そのまま言葉を続ける。


「和氣は外角低めが得意なんですけど……」


 これはミーティングで話したことなのだが、巧は改めて説明をする。


「得意なので、多少のボール球なら食いついてくるんですよ。でもボール球なら……」


「フェアゾーンに飛ばないってこと?」


 巧の説明の途中、美雪先生は理解したようにそう言った。しかし、半分正解だが、半分は間違えでもあったため、巧はそれを訂正する。


「それが、フェアゾーンに飛ぶことはあるんですよ。ただ、今回の和氣のバッティングを見た限り、来るとわかっていて狙ったように見えるんですよね。それでファウルになったってことは、伊澄の球威が和氣の想像以上だったんだと思います」


 巧の説明に、美雪先生は「なるほどね」と納得がいったようだ。


 恐らく今の球は、伊澄の全力投球だ。


 それは和氣のバットコントロールを狂わせた要因の一つだと巧は考えている。


 外角低めであれば無理に引っ張るよりは、流し打ちした方が気持ちのいいバッティングとなる。そのためレフト方向を狙って打ったということは容易に想像がつく。


 しかし、伊澄の全力投球は球威とともに、球速も上がるため、和氣の理想のバッティングからやや振り遅れた結果、ファウルゾーンへと入ったのだろう。


 そして、その球を要求したのは司だ。


 ホームラン性の当たりを打たれてもなお、平然としているため、狙ってホームラン性のファウルを打たせたのだろう。


「度胸あるなぁ……」


 ストレートでストライクカウントを取りたいがために、あえて全力投球をさせつつ、特大ファウルを打たせたのだ。巧がピッチャーであれば、怖くてそんなことはできない。


 たかが一球だが、されど一球。変化球を見せることを一球遅らせたことで、打ち取りやすくなったことには変わりない。


 そのストライクカウント一つをどのように使って戦うのかという二球目、伊澄は指先から白球を放つ。


 緩い球速からゆったりとした軌道を描きながら変化するボールに、和氣はバットをピクリと動かしたが見送る。振ったところでタイミングが合わないと判断したのだろう。


「ストライク!」


 判定を聞くまでもなく、余裕を持ってストライクゾーンに決まったボールは、外角ボールゾーンから真ん中やや内角までコースを大きく縦断するスローカーブだった。


 初球のストレートは104キロを記録していたが、今のスローカーブは62キロと、42キロもの球速差がある。狙わなければ打てないし、狙っていたとしても速い球を見た後では容易に打てないボールだ。それをわかっていて、甘くなろうともストライクゾーンに入れていったのだろう。


 そして、二球で四番の和氣を追い込んでいる。


 ノーボールツーストライクの状況、守備側としては圧倒的に有利な状況だ。それに、まだストレートとスローカーブしか見せていないため、攻め方の選択肢は多彩でもある。


 そんな選択肢の多い三球目、伊澄の放ったボールはまたもや外角だ。外角へのボールは素直には曲がらず、縦に大きく割れながら曲がるような変化をする。


 しかし、和氣もかろうじてバットに当て、ファウルにする。ボール球にも思える際どいコースだったが、際どいコースであればストライクの可能性もあるため、とりあえずカットしたというところだろう。


 ノーボールツーストライクの変わらない状況で四球目を迎える。


 振りかぶる投球動作から伊澄の放つ四球目、またも外角だ。ただ、その球はやはり素直にミットに届くわけもなく、直前で途端に軌道を変えた。


 和氣のバットは……その球を捉えた。


 初球とは対照的に強引に引っ張った打球は一塁線へ。


「フェア!」


 ライト線ギリギリに打球が落ちると、あっという間に打球はフェンスまで到達した。


 しかし、ライトは守備に安定感のある陽依だ。打球反応が良く、フェンスに跳ね返った打球も澱みなく処理する。打球が強かったこともあり、和氣は二塁へと向かえずに一塁で止まった。


 打たれたのは外角から内角へと食い込んでくるスラーブだ。食い込んでくる変化球に反発するように、和氣はその球を引っ張った。


 打ち取るために試行錯誤したが、結果的に和氣の出塁を許してしまった。


 ただ、巧にとってはこれは想定内のことだ。


 和氣は県内でもトップクラスのバッターだ。全国と規模を広げればやや見劣りするが、三重県内で三本の指に入る強打者であることは間違いない。


 そんなバッターを簡単に抑えられるとは思っていない。そして、完全試合やノーヒットノーランでもしない限り一試合に何度かの出塁を許すことはあり、そもそも完全試合やノーヒットノーランは容易なことではない。


 もちろん完全試合やノーヒットノーランを達成できれば最高の結果だが、多くの試合はランナーどころか失点をする。そのため、ミスから起こる無駄な失点さえしなければ、それは仕方ない結果だと巧は考えていた。


 和氣に打たれたところで、後続を抑えれば問題ない。


「この後が、試合を左右する投球になるぞ、伊澄」


 巧はボソリと呟いた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る