第111話 一年生の意地 vs伊賀皇桜学園

 早瀬、的場と三振に切った初回、続く打者は三番の鳩羽だった。


 鳩羽はショートという守備の要でもあるにかかわらず、四番に座る和氣と遜色のない打撃力を誇る選手だ。


 イメージとしては、パワーヒッター型が和氣で、アベレージヒッター型なのが鳩羽という感じだ。それでいて、和氣には劣るものの長打を期待できる選手でもある。


 そんな怖い打者に対しても、伊澄は怖気付く様子はない。


 初球、内角高めのストレートに鳩羽は合わせるものの、バックネットに直撃するファウルとなる。


 力負けしていない。いや、コースをいっぱいに突くことで相手を打ちづらくし、その結果力で押せているのだろう。単純な力ではなく、技術による力だ。


 二球目、ワインドアップから放たれたボールは低めにワンバウンドし、司のミットに収まる。内角低めを攻めようとしたが、指に引っかかりコントロールが狂ったのだろう。


 伊澄はコントロールがいいピッチャーだが、失投がないわけではない。もちろんストライクが決まれば、その予定通りに司のリードが生きてくるが、勝負球でもないボールのため配球の組み直しはまだできる範疇だ。


 三球目、伊澄の指先から放たれたボールは浮いた球、外角高めへのやや甘めの球だ。


 そんな球を鳩羽が見逃すわけもなく、鳩羽はバットを思い切り振り切った。


 軽快な金属音とともに、打球は高々と上がる。しかし、その打球も途中で勢いを失くし、センターの由真がややレフトよりに後退して足を止めると、そのグラブに収まった。


「アウト!」


 審判のそのコールを聞き、守備に出ていた選手たちがベンチに帰ってくる。


 甘めの球を投げた伊澄や、やや甘めに球が入って目の前で快音を鳴らされた司、二人は嫌に冷静にベンチに戻ってきていた。


「司。……狙った?」


「狙った」


 司は巧の問いかけに答えると、ニヤリと笑いながらそう答えた。


 先ほど鳩羽が打った球、バックスクリーンには球速は105km/hと表示されていた。


 それまでの球は、すべて100キロに満たない球速だったが、100キロどころか100キロ台中盤の球速を記録したのは、的場と鳩羽への決め球の二球だけだった。


 内側へ二球続けた後の外角への普通のストレート。そのストレートが力強いものであれば、それまでのストレートとのギャップと、単純に鳩羽が力負けしたこともあり、思ったより打球が伸びなかったということだろう。


 しかし、全力投球できるのは一試合で多くて二十から三十球。先発で球数を投げるとなればもっと少ないかもしれない。


 そんな伊澄が投じられる数少ない全力投球も、司はサインで操縦しているということだ。


 打ち取れなかった場合のことを考えると、一打席当たり一球も投げられない全力投球だ。後半に余力を残すことを考えれば、平均すると一イニングで二、三球投げられる全力投球も、できれば前半では温存しておきたい。しかし、初回から全力投球を惜しげもなく二球も使用した配球だった。


「まずは立ち上がりを抑えて、明鈴ムードに持っていきたい。……そうじゃない?」


「ああ、司の言う通りだ」


 立ち上がりは不安定ということもある。準備して試合に臨んだとしても、試合と試合前のウォーミングアップや日々の練習は違うものだ。そして学校のグラウンドや球場のブルペンは、球場のマウンドとは違う。土の硬さなどもそうだが、なにより試合という独特の空気がある。そして試合が始まったばかりで、これからどのように試合が動くのかという緊張や不安もある。


 そのため、立ち上がりは不安定なピッチャーは多い。


 球場のマウンドは回が進むごとに慣れるが、試合の空気感や緊張感、不安は抑えたことで和らぐ。司は初回から全力投球を交えながらも、上位打線を抑えたという達成感で伊澄の気持ちを整えたということだ。


 そして、司の策略はもう一つあった。


「全球ストレートって、すごい賭けに出たな」


 そう、伊澄の得意であるカーブを一球も交えずに、一、二、三番を三者凡退に打ち取った。


「全力を凌がれたら使うつもりだったけどね。でも戦いやすくなったでしょ?」


「そうだな」


 戦いやすい。伊澄の最大の武器であるカーブを一度も見せない状態で打ち取れたということは、まだカーブを一度も見られていないということだ。


 当たり前のことでもあり、それはとても重要なことでもあった。


 厳密に言えば、練習試合で見られているし、前回までの試合で研究されている可能性は高い。しかし、練習試合は一月も前のことで、完璧にそのカーブの軌道を覚えているなんてことはほぼ不可能に近く、研究として動画で確認したところで実際に体感してみなければわからないことはある。


 流石に打者一巡をストレートだけで押し切ることはできないため、二回以降は使うだろうけど、一回の時点でまだ投げていないということは、二回以降で初めてカーブを見るということになる。


 そして伊澄の持つカーブは七種類もあり、簡単には絞り込めない。


 球を見続けて慣れるということを少しでも遅らせられたというのは、小さなことのようで、かなり大きなことだ。


「リードのことは聞いたら納得できるけど、俺が思いつくようなリードじゃない。本当にすごいよ、司は」


「そんなに褒めてもヒットは出ないよ」


「それは出してくれよ……」


 巧が素直に司を褒めると、その照れ隠しからなのか司は冗談で返してくる。


「まあ、投手陣の操縦は頼んだよ、明鈴の司令官」


「なにそのあだ名ー」


 司は苦笑いをしながら気恥ずかしそうな顔をする。センスのない異名かもしれないが、配球という面に関しては、明鈴の誰よりも司が秀でていた。




 巧と司が会話をしていると、攻守交代の準備は整う。


 三者凡退で抑えた後の攻撃、こちらも当然初回なので一番の由真の打席となる。


「とりあえず、塁に出よう」


「とりあえずって、簡単に言わないでよ。……頑張ってみるけど」


 出塁することは簡単ではない。当然巧もわかっている。


 しかし、序盤を優位に進めていきたい明鈴としては、出塁すれば嫌な選手である由真の出塁は必須とも言っていい。


 由真は足が速いため、盗塁を狙える。ファーストランナーとなれば、ヒット一本でホームまで還ることができる可能性だってある。


 そんな選手が塁にいれば、ピッチャーだって気にせずにはいられない。ランナーを気にしてバッターへの集中が少しでも切れれば、隙だって大きくなる。


 しかし、マウンド上の竜崎流花も、簡単に出塁は許してくれないだろう。


 初球から厳しい内角低めへと、ズバッと決まるストレートだ。球速は108km/h、全力にも見えないその投球は、すでに伊澄の球速を超えていた。


 二球目は外角、三球目は内角、低めのストライクゾーンからボールゾーンへと逃げるカーブに由真はかろうじて当てにいき、両方ともファウルとなった。


 四球目、仕上げと言わんばかりの高めのストレートに由真は手を出してしまい、空振りの三振に倒れた。


 言わずともわかる、初回を三者凡退に抑えた同学年の伊澄を意識した力強い投球だ。


 マウンド上の竜崎は、明鈴の正捕手である司の元チームメイトだ。中学時代は球速のあるストレートを武器にしており、変化球はカーブとチェンジアップだけの、実力があるとはいえ到底強豪校でベンチ入りできるような選手ではなかった。


 しかし、高校入学後に武器となる変化球……スプリットと高速スライダーを身につけ、一年生ながら皇桜のベンチ入りを果たしている。


 そんな選手の球を、簡単に打てるわけがない。


 三振に倒れた由真に変わり、二番の七海が打席へと入る。


 七海はミート力に優れた選手のため、出塁に期待できる選手だ。


 しかし、初球の甘く入ったように見えて低めにストンと落ちるスプリットを引っ掛け、平凡なセカンドゴロに終わった。


 淡々と投球する竜崎を前に、すでに二つのアウトを奪われてしまう。


 ただ、ここで打席に入るのは夜空だ。


 同じチームの贔屓目ということもあるかもしれないが、夜空はこのグラウンドに立つ選手で総合力ナンバーワンだと巧は考えている。


 打撃力に関しては、両チームの四番に座る珠姫と和氣には劣るが、長打が狙える優れた選手だということには違いない。


 そんな夜空が打席に入れば、何か起こることを期待してしまう。


 ツーアウトとなったこの場面、夜空が打席に向かう前に、巧は一言「好きなように打ってこい」と伝えた。


 ツーアウトとなれば後続が一人でもアウトになれば得点には結びつかない。後に控えるのが珠姫のため、ツーベースヒットでも打てばわからないが、この状況的に欲しいのはホームランだ。


 しかし、皇桜が三者凡退でも明鈴はランナーを出したという事実だけで気持ち的には楽になれるため、主導権を握るためにも出塁することだけを巧は考えていた。


 そんな夜空に対して、竜崎の初球。指先から放たれた球は内角高めへの厳しいコースに決まるストレートだ。その厳しい球にも夜空は動じない。


 内角高めの球は、一番顔に近いコースだ。怖気付くことだってあるが、夜空はそんな様子を微塵も感じさせなかった。


 竜崎はワインドアップから放った二球目、緩い変化を描きながら内側へと食い込んでくるカーブ。その球にも夜空は微動だにしなかった。


「……ボール」


 内角からさらに内角へと食い込むボールだが、当たることすら怖くないという夜空の態度に、キャッチャーの鬼頭から舌打ちのようなものが聞こえた。


 内角を怖がらせたところで内角を意識したバッターに対して外角を投げる、という配球は有効だ。


 内角を意識するあまり外角への感覚が狂ったり、内角を打とうとするあまりに少しバッターボックスの外側に立てばバットが外角に届きづらくなる。


 そんなことを考えた配球の可能性が高いが、それは夜空の態度によって全て無と化した。


 そして迎えた三球目、竜崎がワインドアップから放った球は夜空の外角低めへと向かう。


 やや甘く、少し高く浮いた球。それを狙って夜空はバットを振る。


 絶好球!


 しかし、その球はホームベース手前で、まるでストンと気持ちのいい音が聞こえるかのように落ちた。


「スプリット!」


 巧は思わず声を上げる。


 強豪で一年生ながら先発を任され、体力の有り余っている竜崎が甘い球を投げるはずがなかった。


 竜崎の実力を侮っていた。


 しかし、その実力を侮ってしまっていたのは、夜空も同じだった。


 軽快な金属音とともに白球は掬い上げられ、ショート後方へ打球が飛んだ。


 甘い球が来ないということを、夜空は理解していた。そしてストレートとあまり変わらない球速からスプリットと高速スライダーの二択に絞り、初回から多くの変化球を見せたくないという心情を読んだのだろう。もしくは空振りを奪いやすいスプリットを狙っていたのかもしれない。


 打球はショート、レフト、センターの中間地点。


 これはヒットとなる。


 その打球を見た誰もが確信しただろう。しかし、その確信を裏切る選手がいた。


 ショートの鳩羽は後方へと走りながら勢いよくジャンプする。そして伸ばしたグラブに打球が収まった。


「……あ、アウトォ!」


 球場の誰もが唖然とし、コールした審判でさえ驚いている。


 ただ、皇桜の選手たちは、『鳩羽ならこれくらいやるだろう』とでも言うように平然としており、捕球した鳩羽も、さも当然のプレーかのようにベンチへと戻っていった。


「……わかってたけど、一筋縄ではいかないな」


 巧は落胆とともに、こんなプレーを平然とやってのける選手がいるチームとの対戦に、高揚感も覚えた。


 ……もしこのチームに勝てたら。


 そんなことさえも考えてしまう。このチームに勝てれば、いくら強豪だろうと、今後の試合への自信と繋がる。


 勝ちたい。


 強者と戦える喜びとともに、巧の心は勝利を渇望していた。


 初回はお互いに三者凡退。


 試合はまだまだ始まったばかりだ。

 

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