第110話 怪物の卵 vs伊賀皇桜学園

 ジリジリと照りつける太陽。そして熱気を持ったスタンドで響く応援の声。一塁側では、伊賀皇桜学園の応援に駆けつけた吹奏楽部までいる。


 対して明鈴高校の応援は、選手たちの保護者や応援に駆けつけてくれた先生、あとは昔から明鈴高校を応援してくれている地元の人やOBくらいだろうか。もちろんそういった人たちは、皇桜の応援側にもいる。


 応援の熱は明らかに皇桜の方が上だ。しかし、選手たちにとって、応援の量などは関係なく、ただ目の前の対戦相手にだけ集中していた。


 ベンチで集まった選手たちに、巧は声をかけた。


「ここが俺たちの鬼門だ」


 準々決勝。その対戦相手が皇桜だ。


 練習試合で負け、そのリベンジともなるこの試合、次に進むためというのもそうだが、各チーム疲労が溜まるトーナメントで初めて対戦する強豪校だ。


 県大会もこの試合を含めてあと三戦、この試合に勝てても次も大会を勝ち抜いてきた強いチームと戦うこととなる。


 この試合でどう戦っていくのかが、今後も続く大会をどう戦うかのターニングポイントとなる試合だった。


「……周りの評価から見れば確かに格上の相手だ。だけど相手も同じ高校生だ。簡単に勝てる相手じゃないけど、勝てない相手じゃない」


 どれだけ実力差があろうとも、試合は終わるまで結果はわからない。最終回のツーアウトだろうと、最後のアウトが決まるまでは試合は続いている。


 それに、明鈴には強豪校にも匹敵する実力を持った選手は多い。


 夜空や珠姫だってそう、由真だって決して強豪校にいてもおかしくない選手だ。


 伊澄や陽依のように、中学時代には強豪校からスカウトを受けるような選手だった。確かに三年生と比べれば見劣りはするが、強豪校に入っていれば今のように試合に出られることだって減っていたかもしれない。


 着実に実力はつけている。


 だからこそ、巧は自信を持って選手を送り出せた。


「勝ってこい。頼んだぞ」


 その一言で選手たちはグラウンドへと駆け出した。


 両チームの選手がグラウンドに出揃う。


「礼!」


 審判の号令とともに、試合が今開始された。




 明鈴高校は後攻。まずは守備のために各自ポジションに着いた。


 スコアボードに並ぶスターティングメンバーは、明鈴は前日に発表した通り、


 一番センター佐久間由真

 二番サード藤峰七海

 三番セカンド大星夜空

 四番ファースト本田珠姫

 五番レフト諏訪亜澄

 六番ピッチャー瀬川伊澄

 七番キャッチャー神崎司

 八番ライト姉崎陽依

 九番ショート黒瀬白雪


 となっている。


 そして、皇桜も巧がある程度予想した通りで、


 一番センター早瀬真奈果

 二番セカンド的場恒星

 三番ショート鳩羽昴

 四番ファースト和氣美波

 五番レフト柳生加奈

 六番サード本堂美蘭

 七番ライト太田結々子

 八番ピッチャー竜崎流花

 九番キャッチャー鬼頭薫


 という布陣だ。


 先発ピッチャーが竜崎というのは予想通りだが、キャッチャーに鬼頭というのは、全く予想していなかったとはいえ予想外だった。


 今まで鬼頭の出場はなく、基本的に正捕手の吉高が出場しながら、点差ができた二回戦の途中から二番手キャッチャーの園田がマスクを被っていた。


 そして、今までは湯浅が一年生の中で主に出場していたため、一年生の出場は一人だと踏んでいた。今後のことを考えて、一年生同士でバッテリーを組ませたのだろうか。


 他に、ライトとレフトは想定内とはいえ、一番想定外であった組み合わせの出場だった。


 一番予想していたのは、ライトでレギュラーの溝脇と控えの光本という三年生二人だ。とはいえ、打力もある柳生を控えに置いておくのはもったいないとも思っていたため、柳生を出すのであれば溝脇か光本だと考えていた。


 しかし、結果はレギュラーとはいえ二年生の太田と柳生という、ギリギリ想定内の範囲の組み合わせのスタメン起用だった。


 ただ、控えメンバーがピッチャーの竜崎とキャッチャーの鬼頭だけというのは、ほぼ全力に近い皇桜の姿だ。


 ほぼ全力に近いというだけで、完全にレギュラーメンバーではないということは全力というわけではない。付け入る隙があるとすれば、まずはそこだ。


「勝負は前半戦、だな」


 動きたいのは後半だが、もし柳生が登板するとなればチャンスはさらに作りづらくなる。


 前半から勝負を仕掛け、限られたチャンスを掴む。リードを握って逃げ切るという方法が、現状では一番勝利に近い道筋だろう。


 もちろん、初回から代打や代走は考えていない。ただ、女子野球での先発交代の目安となる五回……いや、そこまで皇桜が先発を引っ張らない可能性もあるため、四回か、早くて三回だ。


 打者が一巡して球筋も見れているタイミングだ。そして、一巡目で球数を増やせれば疲れが見え始めてもおかしくはない。そこが明鈴にとってのターニングポイントとなるだろう。


「梨々香、光、いつでも行けるように準備だけしておいてくれ」


「はーい」


「了解っ!」


 自信を持って送り出しているスタメンだが、回る打順によっては交代も止む負えない。


 バッティングのサインもそうだが、ピッチャーの代え時や、代打代走の使い方と巧次第だ。最高のタイミングで送り出すことに、全力を注ごう。




 初回の投球練習が終わり、先頭打者の早瀬はまだかまだかと打席の前でバットを握って待ち構えている。


『一回の表、伊賀皇桜学園の攻撃は、一番センター早瀬真奈果さん、背番号8』


 球場に響き渡る場内アナウンスを言い終えた後、審判の「プレイ!」という掛け声がかかった。


 初球は何でいくか。


 伊澄がワインドアップから放った第一球、それは司の構えたミットにズバッと決まった。


「ストライク!」


 内角低め、やや甘めのストレートだ。


 甘めとはいえ、打ちごろではない。ストライクゾーンに余裕を持ちながらも、初回の先頭打者がいきなり初球から手を出すのはリスクが高い微妙なコースだ。


 球を見るために球数を投げさせながら出塁を狙うという、多くの役割を持つ先頭打者にとってはいきなり手を出したくはない、そんなストレートを伊澄は放った。


「ナイスボール」


 司はさも当然かのように淡々と声をかけ、返球する。これは良いボールではあるが、最高のボールではないと言うかのように。


 二球目、伊澄の指先から放たれたボールは、先ほどとほぼ同じコースへと直進する。そして、先ほどよりもやや際どい内角低めのストレートだ。


 しかし、今度は早瀬も反応するが、厳しいコースということもあり、かろうじてバットに当てるものの、すぐにバウンドしてバックネットに転がるファウルだ。


 少し厳しくなったコースを振り抜けなかったのか、ただ打ち損じたのかはわからないが、二球でツーストライクへと追い込んだという事実は変わらない。


 三球目はどうするか。まだ初回なので、巧は自分自身であればじっくりと攻めていくだろうと考える。しかし、先頭打者は出塁させなくないため、二球続けた内角低めにカーブのボール球を投げ、四球目で外角を攻めるだろう。


 しかし三球目。伊澄の放ったボールは、司の構えたミットからやや外れた程度でズバッと決まる。早瀬は手を出さない。外角高めへの際どいストレートだ。


「……ストライク! バッターアウト!」


 早瀬は『失敗した』という表情で天を仰ぐ。


 内角低めを二球続けた後に外角高めへのボールだ、真逆のボールに遠いと誤認したのだろう。


 粘りたい先頭打者、早瀬の思惑とは裏腹に、たった三球で見逃し三振を奪い取った。


 明鈴からすると、これ以上ないスタートだ。


『二番セカンド的場恒星さん、背番号4』


 早瀬の次の打者、的場が打席へと入る。


 的場は走攻守とバランスの取れた選手だ。しかし巧としては、そんな的場よりも夜空の方が高レベルの二塁手だと考えている。


 両者ともにバランスを取れた選手だが、夜空の方がやや勝る。逆を言えば、夜空よりもやや劣る選手が二番を打つということは、皇桜の選手層がそれだけ厚いということだ。


 そんな的場の打席、マウンド上の伊澄は初球から攻めた投球を繰り広げる。


 初球から外角低めへとストレートを決めると、二球目は内角低めへストレートを放ち、的場はそれをレフト方向へのファウルにする。そして三球目は内角高めへの外したストレートだ。


 的場は三球目の内角高めの球にややのけ反り、伊澄に睨みを効かせる。


 確かに内角高めのボール球というのは、体に近いボールとなるため危険が伴う。しかし、今回の球はそこまで危険なものではない。ただピッチャーを威圧させるためのようにも見える。


 伊澄はそんなことは素知らぬ顔をし、四球目へと移る。


 カウントがワンボールツーストライクとなった四球目、外角低めに針を通すような際どいボールだ。見逃せばボールかもしれないが、ストライクかもしれない微妙なところ、追い込まれている的場はそのボールを見逃すことはなく、カットしていくためにバットを振るう。


 追い込まれた状態とはいえ、コースいっぱいの難しい球を軽率に打ちにいくのは凡打となるリスクが高い。そのことを考えれば難しい球はファウルにし、次以降に甘く入った球を狙った方がヒットとなる可能性が高い。


 しかし、的場のバットは空を切った。


「ストライク! バッターアウト!」


 タイミングが合っていない。同じストレートなのに。


 巧はバックスクリーンに表示される球速に目を向けると、そこには106km/hと表示されていた。


 伊澄の球速は確かに上がっているという実感があった。中学時代では100km/hが最速で、今回の県大会一回戦でも103km/hが最高だった。


 実際に少し速くなってはいたが、練習の際での体感速度よりも球速が出ていなかったため、球速ではなく球にかかったスピンで速く感じているのだと思っていた。


「まだまだ余力を残してたってことか」


 一回戦はコールドの参考記録ながら、完全試合を達成している。しかし、ただ調子が上がらなかったのか、全力を見せなかっただけなのか、全力の投球ではなかったのだ。


 いずれにしても、伊澄の球速が上がったという事実は変わらない。それは単に数字の問題ではなく、ストレートとカーブの緩急差を組み合わせる伊澄の投球スタイルを考えると、大きな武器になるということだった。


「120キロでも出たら、とんでもない化け物になるぞ……」


 女子選手は、プロの平均が110キロだ。その平均をすでに越えて120キロにまで差し迫っている黒絵も相当なものではあるが、球速だけであれば打たれてしまう。


 球速があればもちろん良いが、それはそのストレートが生きる変化球があればのことだ。伊澄には130キロの球速はいらない。120キロが出れば、その球速だけでも七色のカーブが生き、カーブがあることでストレートも120キロ以上の価値となる。


 もし……、あくまでも可能性の話だが、伊澄の球速がさらに上がり、黒絵がすでに持っているチェンジアップ以外で空振りを奪えるほどの変化球を習得したのであれば、投手力においては強豪校をも上回るだろう。巧へそう確信していた。


 

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