第109話 恋と憧れ

 ミーティングが終わり、巧は帰宅をする。


 スタメン発表の後にもミーティングは続いた。皇桜の投手陣の癖……というよりもストレートの球威や変化球のキレや変化量だ。


 ストレートと変化球によっては多少フォームにズレが生じるが、流石に強豪校のベンチ入りしているだけあって読み取るほどの差異はない。徹底的に洗い出せば見つかるかもしれないが、そこまでしている余裕もない。あくまでも選手の情報だ。


 そこから、野手陣の特徴……打撃や走塁、守備もそうだ。掴んでいる情報を徹底的に分析した。元々、巧が分析していた情報に加え、試合でのシーンを流しながら、選手たちが気付いたことも意見し合っていた。


 もちろん、そこまで詳細にしていれば時間もかかる。翌日に控えた試合のことや、体力的にも精神的にも疲弊している選手たちを早めに休ませたいという気持ちもあるため、可能な限り早めの解散をした。


 ただ、ミーティングが終わったのは、日が落ち始めた頃だった。


 巧も試合のために早めに晩飯を食べて風呂に入る。寝るには少し早い時間ではあるが、早すぎる時間でもない。


 翌朝も試合が十時で、準備や移動のために一度七時頃に学校に行かないといけないため、起きるのは五時半頃となる。


 現在は九時頃。少し時間を潰しつつ早めの就寝を考えながらも、翌日の試合への緊張をほぐすため、リラックスするために温めたミルクを持って部屋に戻る。そして机の上に置いてあった携帯を手に取ると、不在着信の通知が表示されていた。


 携帯には『三好夜狐』の名前が表示されており、つい十分前頃の着信だった。


「……なんかあったか?」


 夜狐が所属する鳳凰寺院学園は、この都道府県予選で既に敗退している。


 多少の用事であればメッセージで済ませはずだ。夜狐も、明鈴が勝ち進んでいて、明日にも試合があるということは知っているはず。


 何か重要な用事があるのかと思い、巧は折り返し夜狐に電話をかけた。


 コールが鳴り響く。十分もあれば別のことをしていてもおかしくないため、もう携帯を見ていないのだろうかと思い、巧は通話終了しようとしたところ、コール音がプツリと切れた。


『もしもーし』


 携帯のスピーカー越しに夜狐の声が聞こえる。


「どうした?」


 巧は開口一番、用件を尋ねた。


 何かしらあったと踏んでのことだ。


『いやぁ、話したいことあったから衝動的に電話かけたんやけど、時間とか大丈夫? よぉ考えたら明日試合やったなぁって』


 夜狐の声は覇気がないわけでもないため、琥珀のように思い悩んだということではなさそうだ。琥珀のこともあったため、少し心配をしていたが、その心配は杞憂に終わる。


「まだちょっとなら大丈夫だよ。風呂上がったばっかだから一時間くらいなら」


 風呂上がりに火照った体だと寝付きにくい。早めに寝るつもりではあるが、まだ時間的には余裕だ。


 しかし、少し気になったことがあったため、巧は言葉を続けた。


「……なんか試合のたびに誰かから連絡来る気がするんだけど、なんか示し合わせてる?」


 二回戦の前はなかったが、初戦の前には神代先生、三回戦の前には琥珀から電話がかかってきており、今日も夜狐だ。


『いや、他の人とかは知らんけど。立場的に話しやすいんやない? 前まで選手やってて、今は監督で、うちら一年生からすれば同級生やし、二、三年生でも歳近いし。監督として意見聞きたいとかやったらまず巧やろ。うちは、鳳凰の人やなくて伊奈梨さんのこと知ってる人って思ったから巧にかけたん』


 夜狐の言葉には一理あった。確かに監督でありながら友人として話せるのは巧だけだ。


 そして、疑問に思った、夜狐が巧に電話をかけた理由を聞かずとも答えてくれた。


「なるほどな。……まあ、とりあえず話聞こうか。白坂さんがなんかあったのか?」


 夜狐の口から、『白坂伊奈梨』の名前が出てきた。それだけでおおよその予想はついたが、確信を持てないため巧は夜狐に話を促した。


『……伊奈梨さん。戻ってきたんよ』


 白坂伊奈梨。鳳凰寺院学園のまごうことなきエースだ。


 鳳凰寺院学園の今年の夏は、十九人での夏になっていた。


 というのも、去年の秋から今年の春にかけて、監督と選手間で一悶着あった後に迎えた夏で、ほとんどの選手が退部ないし、野球部に籍を置いたまま部に来なくなり、実質的に休部状態にあった。


 元々強豪だった鳳凰も、たった一年で弱小へと成り下がっていた。


 そして、その強豪でありながらも、一年生からエースとして活躍した伊奈梨は、夜狐や楓が入部する三月に退部しており、地元のクラブチームに所属していたと聞いている。


 他の一、二、三年生も、休部状態になった原因となる監督が退任したタイミングで多少戻ってきていたが、それでも全員ではなく、新入部員の一年生を含めて六十人程度いた野球部が、二十人強まで減少していた。


 そして、戻ってきた部員の中でもエースである伊奈梨はおらず、そのエースである背番号の1番は、今年の夏に誰も背負っていなかった。


 今年のエースは背番号10の夜狐だった。


 監督が退任してもなお、復部を拒んだ伊奈梨が戻ってきた。これは確かに大ニュースではあるが、衝動的に電話をかけるほどのことなのかという疑問が浮かぶ。


 ただ、とりあえずはエースの復帰というだけで、喜ばしいことだ。


「よかったな」


 一言、巧が発す言葉はただそれだけだ。


 しかし、夜狐は違った。


『いやー、嬉しいは嬉しいけど、うちとしてはなんかなぁ……。微妙な気持ちなんよ』


 夜狐は素直に『嬉しい』と言いながらも、その気持ちを吐露した。ここが、夜狐が電話をかけてきた理由だろう。


「白坂さんが帰ってきて、何かあったとか?」


『なんかあったって言うか……』


 夜狐は一瞬言い澱む。しかし、決心したように『うん』というと、言葉を吐き切った。


『……楓が伊奈梨さんにべったりなんよぉ』


 夜狐の悲痛の叫びだ。


 つまり……、


「夜狐は白坂さんに嫉妬してる、と」


『あー、そうよ。嫉妬しとんのよ!』


 夜狐はヤケクソになっているようで、開き直っている。


 今まで代理エースとして正捕手の楓との会話が多かったところが、本来のエースが帰ってきたせいで少なくなったのだろう。……感覚としては友達を取られた気分か?


 そして、合宿の時に楓から聞いていたが、夜狐は伊奈梨に対抗心を燃やしている。そのこともこの嫉妬の原因だろう。


「そもそも、なんでそこまで白坂さんに対抗しようとしてるんだ? 」


 ピッチャー同士、エースの座を奪い合うという点では確かに対抗心があってもおかしくない。


 しかし、夜狐は意図的にポジションを被せて対抗しているため、目的がエースを奪い合うということではなさそうだ。


 巧は尋ねながら、せっかく温めて持ってきたのに一口も飲まずに冷めかけていたミルクに口をつける。


『楓はさ、伊奈梨さんに憧れて野球始めたんやけど、うちは楓に憧れて野球始めたんよ』


 楓自身から、伊奈梨に憧れて野球を始めたということは聞いている。本人の口から『特別』とまで出るほどだ。楓にとって伊奈梨と出会ったことが大きな出来事だったのだろう。


 そして、その楓に憧れて夜狐は野球を始めたというのは初耳だ。しかし、嫉妬するほど楓のことを特別視しているのであれば、憧れているというのはうなずける。


 夜狐そのまま続ける。


『……まあ、ぶっちゃけると楓のこと女の子として好きなんよ』


 夜狐の言葉に巧は思わずむせた。口に含んでいたミルクが気管に入って咳き込む。


『どうしたん!?』


「いや、ちょっと、飲み物が、気管に」


 巧はゴホゴホと咳き込み、少しの間会話が中断する。しばらくするとそれも落ち着き、巧の方から声をかけた。


「あー、すまん。もう大丈夫。……さっきのこと、まじ?」


『んー、半分マジかな? 恋愛なんてしたことないし、人に憧れるっていうのが初めてやから、正直わかんない。ただまあ、楓は美人やし、野球やっとるときはカッコいいから適当な男子よりはええなって思う』


 確かに楓は美人だ。いや、可愛いと綺麗の中間という感じだろう。年相応のあどけなさを残しながらも、どこか大人びている楓に、恋愛的な感情を持ち合わせていない巧でさえも緊張してしまうことがある。


 独特な落ち着いた雰囲気と優雅な佇まい。実際に京都では名家のお嬢様のようだ。


 そんなまるで違う世界に住んでいるような雰囲気を持つ楓に対して、同性である夜狐が他人とは違う感情を抱くことはうなずける。


『伊奈梨さん知ってたらわかると思うけど、並んでたら絵になるんよなぁ……』


「だから嫉妬してたと?」


『うん、まあそうやね』


 伊奈梨も少し釣り目で気が強そうで、一見するとクールな印象はあるが、フレンドリーで親しみやすい性格をしている。それであって見た目だけはクールでややボーイッシュながらも美人の部類だろう。


 巧は伊奈梨とあまり会話をしたことがないが、数回会った印象は、気さくで年上に思えないような話しやすさで、芯がしっかりとしているという印象を持っていた。


 しかし夜狐も、伊奈梨と比べるとやや幼さを残しながらもクールで美少女ではある。やや釣り目気味の眼差しも印象的だ。顔の系統としては伊奈梨と夜狐は似通った部分がある。


 楓と伊奈梨がお似合いだと言うのなら、楓と夜狐もお似合いだと言えよう。実際に初対面では長年の仲だと思えるほど、二人は気が合っていた。もちろん、鳳凰から合宿に参加したのが楓と夜狐だけなので、特別仲良く見えただけかもしれないが。


 しかし……、


「俺は恋愛するなら男子じゃなくて女子だし、恋愛はそもそもしたことないからよくわからん。楓と白坂さんが仲良くてもただの友達かもしれないし、そもそも楓の恋愛対象が男子なのか女子なのかわからないからなんとも言えないけど、夜狐は夜狐のしたいようにすればいいんじゃないかな?」


 法律的に結婚はできないが、別に男子同士女子同士が恋愛をしてもいいと巧は思っている。


 恋愛したことがないとはいえ、巧の恋愛対象は女子なので自分には夜狐の感覚はわからないが、お互いに納得した上での結果であれば同性でもいいと考えている。


『……ちょっと引かれんのかなぁって思ってたけど、真面目に答えてくれんのは嬉しいわぁ。まあ、うちも恋愛対象は男子やけど、なんか楓は特別なんよな』


「俺にはわからないから大したことは言えないけど、友達の悩みだしな。ただ、人によっては嫌う人もいるし、特に理解のない女子に言ったら自分が恋愛対象になってると思って嫌がる人もいるから無闇に言わない方がいいかもしれないな」


『それはわかってるよ。やから男子の巧に言ったってのもあるし』


 消去法という理由もあるだろうが、それでも悩みを打ち明けてくれたということには嬉しさがある。


 嫉妬したというのは、友達という関係でもないわけではない。わざわざ恋愛的な意味があるということを自ら言わなくてもいいことだが、それをあえて言ったということは、この難しい恋愛に対して誰かに打ち明けたかったという理由もあるのだろうと巧は解釈していた。


『てか巧さぁ』


「ん? なんだ?」


『恋愛したことないって、彼女できたことないん? そこそこモテそうなのに』


「まあ、告白されたことはあるけど、俺自身じゃなくて野球できる俺を彼氏にしたいって感じしたから断ったな。……まず彼女どころか好きな人すら出来たことないけど」


 告白されたことはある。しかし、巧自身が好きというよりも野球で有名な人を彼氏にしたいだけのような感じなので、それがモテたということなのかは甚だ疑問だ。


 恋愛というよりも、アクセサリーのように扱われるようなもののため、告白されたところで巧の気持ちが揺れることはなかった。


「彼女作るとかよりも、野球のことしか考えていなかったし」


 野球を一番に考えているため、彼女がいたとしても疎かにしてしまうことがあるだろう。もちろん彼女の一大事であれば駆けつけるだろうが、野球の練習に時間を費やしているため、デートだって頻繁にできない。


 それに対して理解がある人や、相手も別のことに情熱を注いでいる人でなければ、どうせ続かないと巧は考えていた。


『へぇ……。うちも巧が監督やったら良かったなぁ』


 夜狐の言葉に巧は言葉を失う。


 ポツリと言った言葉かもしれないが、強豪だった鳳凰寺院学園が崩壊しかけたのは紛れもなく監督の問題だ。


 監督は男性で、気に入った選手を試合に使っていた。


 それは実力などではなく、容姿で判断していたようだ。そして自分の意見に従わない選手は排除する。


 パワハラでもあり、選手を選手としてではなく、異性として見るセクハラでもある。


 そんな事情があった鳳凰の選手だった夜狐の言葉は、巧にとってあまりにも重かった。


 そして、電話越しにそれに気付いたのか、夜狐は話題を逸らした。


『とりあえず、うちの気持ちとしては、野球部のことを考えると伊奈梨さんが戻ってきてくれて良かったなぁって思う反面、楓が伊奈梨さんにベッタリなんが気に食わんってことなんよ』


 最初の話題へと戻る。徐々に話が変わっていったが、元々はその話のために夜狐は電話をかけてきたのだ。


 結局のところこの話は解決方法はない。極論、伊奈梨が野球部からいなくなれば解決するが、夜狐はそれを望んでいるわけではない。


 ただただ、やり場のないその気持ちを、誰かに吐き出したかったということなのだろう。


「楓も白坂さんが戻ってきて舞い上がってるだろうし、落ち着くまでは仕方ないかもな」


『そうなんよなぁ……』


 同じところをぐるぐる回るだけの話だ。


 どうしようもないという結論に至ったため、夜狐のナックルの調子をしばらく話すと、十時を回る前に電話を終えた。


 色々と衝撃的な話はあったが、会話をすることで緊張もほぐれたのだろう、一気に眠気が押し寄せてきた。


 一人で考え込むよりも、誰かと会話をすることで緊張もほぐれる。試合の際に緊張している選手がいれば、下手な冗談で和ませようとすることもあるため、それと似たような効果が得られた。


 偶然ではあるが、リラックスできたことを心の中で夜狐に感謝しながら、巧は静かにベッドで横になり、そのまま就寝した。


 

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