第96話 VS中峰高校 三回戦開始

 三回戦が始まる。


 蒸し暑いこの球場、一回戦よりも二回戦、二回戦よりも三回戦の方が暑い。当たり前だが、徐々に真夏に近付いていくため、日に日に気温は高くなっていく。


「準備はいいか?」


 巧の声に、選手が返事をする。全員の状態は良さそうだ。


 昨日と一昨日は選手の状態を確認しながら連携の精度を高めるためだけの軽めの練習だった。


 トーナメントの試合間のため、体を休ませるたいが、全く練習しないとなればそれだけで体は鈍る。負荷をかけすぎない軽めの負荷をかけただけの練習だ。


 直前の今から足掻いたところで、その練習で得られる経験値というメリットよりも、練習によって蓄積される疲労のデメリットの方が大きい。


 日々の努力のものをいう。勉強と似たようなものだ。


 ベンチに荷物を運び込み、試合の準備を始める。体は元々ある程度温めてあるため、十分に出来上がっていた。試合前の決められた時間内のノックを行う。


 メンバー表も交換し、先攻後攻を決める。明鈴の先攻で試合が始まる。


「じゃあ、監督から一言」


 夜空が巧に言葉を求める。毎回似たような言葉しか出ないため、今回は試合に対する意気込みではなく、注意点だけを伝えた。


「そうだな……。暑くなってきているし、水分補給はしっかり摂っていこう。全力を出し切るために、体調管理をしっかりとしよう」


 巧の言葉に、みんなは意外と真剣に聞き入った。


 追い詰められて覚醒するなんてことはあるが、今更実力以上のものを出すことは難しい。それなら、全力で戦えるように環境を整えてあげることが一番価値につながることだった。


「よし、この試合も頼んだぞ。勝ってこい」


 そう言い、選手を見送った。


 選手が整列し、挨拶する。そして試合は始まった。




 一回表、明鈴の攻撃は一番の珠姫からだ。


 四番として十分すぎる結果を残している珠姫を一番として起用する。そのことに相手も動揺している。中峰高校としては、自分たちの対策として多少打順を動かしてくることは予想していただろう。しかし、一番動かさないであろう四番本田珠姫という常識を覆したことに、驚きを隠せていない。


 巧の狙い通りだ。


『一回表、明鈴高校の攻撃は、一番ファースト本田珠姫さん。背番号3』


 場内アナウンスとともに珠姫が打席に入る。バットを構え、一拍置いたタイミングで審判が開始のコールをした。


 どのように攻めてくるか、巧は二択の予想をしていた。明らかに敬遠してくるか、勝負するように見せかけて歩かせるか、だ。


 中峰高校は前者を選択した。


「ボール。フォアボール」


 四球ともバットの届かないところにボールを投げ込み、珠姫を歩かせる。予想していた結果ではあった。


「……徹底して歩かせるつもりか」


 どうせ塁に出られる。もしかしたらホームランを打たれる。そう思っているのだろう。


 それなら、素直に歩かせておけば、無駄に球を消費することもなく、二塁以降に行かれることなんてない。


 しかし、巧としても、もちろんそんなことはさせない。


『二番センター佐久間由真さん。背番号17』


 本来の切り込み隊長である由真が打席に入る。由真の持ち味は盗塁ができるその足だ。ランナー一、二塁となっても盗塁はできず、由真の持ち味は活かせない。


 巧はサインを送った。


 そのサインを見て、由真はバットを横に構えた。バントの構えだ。


 相手バッテリーがサインを交わし、ピッチャーが頷く。


 相手ピッチャー、柳岡がセットポジションから投じた初球。ボールが指先から放たれた瞬間、ファーストランナーの珠姫が走った。


 投球は緩い打ちごろのストライクゾーンへ確実に入れていくボールだ。どうぞバントをしてくださいというようなものだった。


 しかし、由真はバットを引き、スイングする。


 由真は空振る。ただ、キャッチャーは二塁に送球できず、珠姫は余裕で二塁を陥れた。


「あー、ミスったなぁ……」


 巧は苦笑いをしていた。


「どうしたの?」


 スコアを取る美雪先生が巧の呟きに反応する。


「いや、盗塁のサイン出したんですけど、バスターエンドランの方が良かったなと」


 バスターは、バントの構えからヒッティングに切り替える打法のことだ。


 由真の考えとして、バントの構えをすることで警戒させ、盗塁をしやすくさせようとしたのだろう。


 そして、相手としては由真が塁に出ることは厄介だと思い、素直にバントをさせて由真をアウトにさせたかったというところだろうか。そのため、バントを防ぐような投球ではなく、バントをさせる緩い球だった。


 その球は明らかにストライクとなる球だったため、由真はどうせストライクになるならと、盗塁を補助するためにスイングをした。


 先ほどのプレーの流れはそういうことだ。


 ただ、打ちごろの球を投げてくれたのであれば、バスターエンドラン……珠姫が進塁を狙いながら由真はバスターで転がしてヒットさえ狙えた。そうすれば一気に一、三塁の状況も作れたかもしれない。


 由真は忠実にサインを実行した。これは巧の考えが足りなかっただけだ。もちろん相手が緩い球を投げる保証もないため、一概に間違えたサインとも言えないが。


 意識は試合に戻る。今度のサインは『自由に打て』だ。


 由真は今までの二試合で六打数一安打とあまり打てていない。しかし、部に復帰するまでの間はクラブチームで野球をしていた。そこでの経験を生かし、打開してくれるだろうというという期待があった。


 二球目、三球目と見送り、両方ともボール球だ。由真は様子を見ており、相手も様子を見ている。


 そして四球目、ピッチャーの柳岡がボールを放った瞬間、由真は動いた。


 投球に合わせてバットを横に構える、しかもそれはボールが手元に到達する直前、相手守備も反応に遅れる。そして、ボールは三塁線ギリギリに転がる。反応が遅れたサードではなく、キャッチャーが捕球してファーストに送球するものの、すでに由真は一塁に到達していた。


「ナイスバント!」


 ベンチの選手は口々に声をかける。


 結果的にノーアウトランナー一、二塁のチャンスを作ることに成功した。


 由真自身、自分が打てていないことは分かっていただろう。だからこそ、セーフティーバントという打開策で、ヒットをもぎ取った。


「良い傾向だ」


 自分の力で塁に出れないと、スランプに陥るだろう。フォアボールも良いが、自分で打って塁に出るということに大きな意味がある。由真の場合はバントだが、記録はヒット、大きな意味のヒットだった。


「夜空、続けよ」


「私だよ? 任せといてよ」


 夜空は自信満々で打席に向かっていった。


 不慮の事故とはいえ、白雪を負傷させた二回戦は塞ぎ込んでしまっていた。しかし、白雪が大丈夫だったこともあって、普段通りの夜空に戻った。


 それどころか、陽依の喝が効いたのと、陽依のプレーに引っ張られて中学時代のプレーを取り戻し、以前の……中学時代の自信満々の夜空に戻った気がする。それでいて、自己中心的な部分もあった中学時代とは違い、本来の動きを取り戻したことに加えて、キャプテンとしてチームを引っ張るという心も忘れていない。


 要は、高校に上がって鳴りを潜めていた『総合力ナンバーワン大星夜空』を取り戻しつつ、落ち着いている夜空も合わさってパワーアップしている。


 頼もしすぎて巧はニヤけてしまった。


 夜空の初球、ピッチャー柳岡はセットポジションから速い動作で腕を振り下ろす。そして、夜空はいきなりフルスイングだ。


 警戒な金属音。投球はキャッチャーのミットに収まらずに消える。


「ライトー!」


 キャッチャーの掛け声とともにライトが後退する。


 追って。追って。追って……。


「アウト!」


 打球はライトを守る近衛のミットに収まった。ライトのフェンス際、ギリギリのところだ。


 珠姫は捕球したことを確認して三塁を蹴り、悠々と本塁へ生還する。一塁にいた由真は少し塁から離れており、捕球したのを確認すると一塁へと戻る。流石にタッチアップはキツいか。


 これで初回ながら一点を先制した。試合運びとしては上々だ。


 打った本人、夜空はヘルメットを顔の前に持ち、コソコソと顔を隠しながらベンチへ戻ってくる。


「ナイス犠牲フライ」


 巧が声をかけると、夜空はびくりと体を震わせる。


「あ、あの、えっと……」


「どうした? 犠牲フライは十分じゃないか? 大口叩いてライトフライっていうの気にしてる?」


「……はい。ごめんなさい」


 責め立てるような巧の口調に、夜空は小さい声で呟いた。


 別に犠牲フライが悪いわけではない。フォアボールで出塁してチャンスを広げるか、ヒットを打ちながら先制し、チャンスを広げれば尚のこと良かっただろうが、犠牲フライは最低限の求める結果としては十分なものだ。


 しかし、自信満々で打席に向かっていったにも関わらず、出塁するわけでもヒットを放つわけでもなかった。そのことに恥ずかしさを感じているのだろう。


 巧は苦笑いをする。


「大口叩いて三振とかならぶっ飛ばしてたかもな」


 冗談めかして言ったのだが、夜空は過剰に体をびくつかせた。


「……冗談だよ。打って欲しかったけど、先制したんだ。十分すぎるよ」


「……ほんと?」


 夜空はそう言いながらヘルメットから顔を覗かせる。


 元々整った顔の夜空がそんな仕草をすれば、可愛いのは当たり前だ。


 ……美人ってか、小動物っぽいな。


 中身と外見が良い意味で一致していない。友人の春川透に『夜空先輩は美人』と言われたことをふと思い出しながら、そんなことを思った。


 しかし、そんな仕草だけで済むわけではなく、言っておくべきことは言わなければいけない。


「本当だよ。ただまあ、自信満々なのはいいけど、それでミスとかはやめてくれよ?」


「はい、気をつけます」


 夜空はそう言った後、ヘルメットを片付けに行った。


 自信があって調子良くいれるのはいいことだ。ただ、油断しすぎればミスにつながる。それを避けるために注意したかっただけだった。


「なんか、上下関係おかしくなってる気がするなぁ……」


 夜空の方が先輩で、巧は監督だ。そういう面を考えれはわ対等となるはずだが、夜空を諫める立場に回っている気がした。


 まあ、大地さんから、夜空の突っ走るところを抑える役目を任されているので、ある意味間違ってはないだろう。


 自信を取り戻しながらも、抑えるべきところは抑える。少なくとも春よりも、夜空は格段に成長していた。


 巧は自分の役目を全うするだけだった。

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