第95話 琥珀色の想い

 三回戦前日。翌日が試合ということもあって、早めに練習を切り上げたため、いつもよりも早い帰宅となった。


 軽く体を動かし、早めの晩御飯を済ませる。その後には妹のまつり練習に付き合わさせられたが、それを考慮して自分で体を動かしたのは軽めにしてあった。


 流石に練習をすれば腹が減るので、いつも母親が軽く食べられるおにぎりを作ってくれる。それを頬張ってから部屋で少しだけダラダラと時間を過ごした。


 まだ八時だ。しかしやることもないため、もう風呂に入って寝ようかと考えていた頃、意外な人物から着信があった。


 携帯には『立花琥珀』と表示されている。


「……どうした?」


 応答の押し、戸惑いながら電話に出る。琥珀とは中学一年生の頃からの仲なので、連絡先は知っていたが、頻繁に連絡を取ることはない。電話をしたことなんて一度や二度あったかどうかくらいだろう。


『……あ、巧。今大丈夫だった?』


「ああ、大丈夫だけど。何かあった?」


 何もなければ電話なんてかけてくるような人ではない。電話の向こうで琥珀は弱々しい声を出している。深い仲ではないとはいえ、長い付き合いでもこんな琥珀の声は聞いたことがない。


『うん、あったんだけど。あれ?』


 突然不思議そうな声を出す琥珀。その声を聞いて巧も不思議に思った。


「何?」


『いや、ちょっと誰かに話を聞いて欲しかったんだけど、なんで巧に電話かけたのか自分でもわからなくなっちゃって』


 そんなことを言われても巧だってわからない。ただ、誰かに話をしたくて巧を無意識に選んでいたようだ。


「なんだそれ。まあ、暇すぎて寝ようかなって思ってたくらいだから、二時間くらいなら話も付き合うよ」


『流石にそんなに長くなくても良いけどさ……』


 冗談を言う巧に、琥珀も失笑している。


『じゃあ、お言葉に甘えて話すけどさ。今日の光陵の試合結果知ってる?』


 光陵が所属する徳島県は、明鈴が所属する三重県と同日に大会が始まったが、学校数の問題で途中から日程はズレている。今日に準々決勝に当たる三回戦があり、一日空けて準決勝、さらに一日空けて決勝となっていた。


「夕方に神代さんから電話来たよ。勝ったんだってな」


『そっか。……うん、勝ったよ。でも燈子さんから聞いてるなら、私の内容も知ってるよね?』


「ああ、知ってる」


 神代先生からは琥珀のことも聞いていた。だから勝ったことに対して簡単におめでとうとも言えなかった。


『めちゃくちゃに打たれたし、全く打てなかったよ』


 琥珀は弱々しくその事を語る。打たれるというのは分析されればあり得ることだろう。そして打たれ慣れていないため、メンタル面が影響して打撃の方にも影響を及ぼしたのだろう。


 試合結果は、琥珀が打たれたものの、周りが打ち返したおかげでなんとか勝利を収めることができた。


 九対五。それだけ見れば余裕の勝利にも見えるが、琥珀は先に五点を失点し、その後に打線が奮起して逆転したという結果だった。


 琥珀は同世代でナンバーワンの選手だ。ピッチャーとしてもバッターとしても最高峰の選手だ。もちろんそれぞれの能力で見れば上はいるだろうが、総合力ではナンバーワンだ。中学時代に総合力ナンバーワンと言われていた夜空ともし同級生であれば、夜空はセカンドでナンバーワンに成り下がっていただろう。琥珀はそれくらいの選手だ。


 巧の記憶では、試合で敗戦投手(ピッチャーが自分の投球でリードを許してそのまま同点や逆転ができずにチームが負ける)になったのは、日本代表戦くらいのものだった。それだけ、琥珀は負けることも打たれることもない選手だ。


『天狗になってたつもりはないよ。一年生で一番の選手って言われてても、夜空さんとかにはもちろん敵わないし、練習を積んできた二、三年生には勝てないことだってあるのもわかってる。負けたくないけど、上級生にも負けないなんて言えるほどだと思ってない』


 琥珀はしっかりと自己分析ができている。いくら同級生と比べて実力があっても、上級生と並べば同レベル以上の選手なんて当たり前のようにいる。


「そこまでわかってるなら何に悩んでるんだ?」


 自分のことを理解していて、打たれた理由もわかっている。


 打たれた理由がわからずに相談とかならわかるが、それは自己解決している。そして琥珀は、打たれたのが悔しくて弱音や愚痴を溢すような人間ではない。


 巧は、琥珀が自分に電話をかけて来た理由がますますわからなくなった。


『いや、悩んでるんじゃないんだけどさ……』


 琥珀は最初に話を聞いて欲しいとは言ったが、悩みがあるとは言っていない。巧はてっきり悩みを聞いて欲しいという意味に捉えていた。


 しかし、琥珀はそうでないと言う。


 それならなんだろうか、と疑問に思っていると、琥珀は続けて言った。


『打たれたからチームメイトに何か言われるのかなって思ってたら、フォローしてくれて』


「それは良かったな」


 打たれた上でチームメイトに責められればさらに辛い思いをする。何度も同じミスを繰り返したり、ふざけた行動をしていれば責められてもおかしくはないが、全員が真剣にプレーしているからこそ、ピッチャーが打たれれば野手が支えるだけのことだった。


『なんか、嬉しくて。色々わかんなくなっちゃって』


 わからなくなって巧に電話をかけた、ということらしい。


 琥珀の言葉は拙く、幼い子供が何かを必死に伝えようとしているようなものだった。


 それ琥珀の言葉をまとめると、つまり『打たれたのにチームメイトが優しくしてくれたのが嬉しかった』ということのようだ。


 普通であれば当たり前のように思えることだ。それでもそれは琥珀にとって当たり前のことではなかった。


 中学時代のことはある程度知っている。『天才』と呼ばれ、頼られて来た。同級生や後輩からは過度な期待を寄せられ、上級生からは『自分よりも上手い後輩』と期待もありながら疎まれていた。


 そのことから、勝手に期待するくせに、失敗すればすぐ手のひらを返す人ばかりだったと琥珀かライト話は聞いている。


 優しくされることに慣れていない。そんな琥珀は光陵のチームメイトからの優しさでパニックになっていたようだ。


 わからない。


 それは、チームメイトが優しくしてくれた理由を問うものではない。ただただ、優しくされたことで今まで知ることのなかった未知の感情に触れたから感じた感情だろう。


「今まで琥珀って、チームメイトのことどう思ってたんだ?」


 この『わからない』感情を理解するためには琥珀の考え方や人生観が関わってくるだろう。そう思い、巧は尋ねた。


『どうだろう……。ただグラウンドに一緒に立つ人、かな? なんか難しい』


 琥珀自身よくわかっていない様子だ。巧は聞き方を変えてみる。


「チームメイトのことを信頼してた?」


 その言葉に琥珀は、沈黙した。しばらく考えたあと、ようやく答えだ絞り出した。


『中学までは、自分が活躍して、それだけで勝つのが普通だったから、誰にも期待とかしたことはなかったかな。期待されるだけで、自分たちは何もしないから』


 答えはそこにあった。


 野球は九人でするものだ。正確には控えや監督もいるので、それ以上の人数だが、試合に出て戦うのは九人だ。


 その九人で野球をする。至極当然のことだが、琥珀は一人で野球をしていたのだ。


 本来、ピッチャーが抑えながらも、打たれてしまえば守備が待っており、フライやライナーは一人で完結するが、連携でアウトを取るものだ。そして点を取られればチームで点を取り返す。


 野球とはそういうスポーツだ。


「野球ってさ、一人一人が一人でやるものじゃないんだよ。一人一人がチームでやるのが野球だ」


 例えば、バッティングだって全員が全員ホームランを狙っても勝てない。うまくいけば勝てるかもしれないが、ヒットを狙って次のバッターを信頼し、ヒットやバント、進塁打などで自分だけで点を取るのが一番の勝ち方だ。


「多分琥珀は、初めてチームメイトが助けてくれたんじゃないか? だから、自分だけでやっていた野球を、みんなでやったことで、今までの野球とは違うものだったんじゃないかなと、俺は思うよ」


 春季大会の後半は一年生も入学しているため参加できる。その試合でも琥珀の活躍で勝っていた。夏の大会の一、二回戦もそうだ。


 光陵の選手たちは琥珀を信頼して期待している。それでも中学までとは違うのは、琥珀がダメな時はみんなで琥珀を支えているということだ。


『私、どうすれば良いと思う?』


「何をだ?」


『私、みんなと距離取ってたから、みんなに嫌われてるんじゃないかなって思って。……人との関わり方がわからない』


 それは今までの環境が琥珀をそうさせていたのだろう。


 ただ、答えはハッキリとしていた。


「自分で考えて思ったようにすればいいと思うよ。みんな弱くない。神代さんが認めた選手たちなんだ。琥珀が守ってあげないといけないほど弱い人たちじゃないよ」


 みんな強い。それは合宿の時に見ているだけでもわかった。それに、琥珀を嫌っているわけでもないだろう。自分から関わることをしない琥珀に対して、どのように接して良いのかわからないといった様子だった。


『……そっか、みんな私と対等だよね。当たり前だけど』


 琥珀はチームメイトを見下していたわけではないだろう。しかし、今までが琥珀に頼りきりだった分、対等な立場というわけでもなく、自分がチームを勝たせなければいけないという気持ちがあったのかもしれない。


 だが、今はそういうわけじゃない。神代先生に聞いているが、光陵にはチームから孤立したいた選手も多い。


 三船魁のように元々実力がある選手や他にも目立たずに評価されなかった選手がいるチームだが、六道咲良のように左投なのに内野手、乙倉奏のように自分の感覚で常識とは外れた独特の守備をするような、チームから疎まれていた選手がいる。


 少なくとも光陵は、琥珀の気持ちを理解できるチームだ。


 琥珀はもう一人ではない。


『ありがとう、話聞いてくれて。結局相談することになっちゃったし』


「いいよ。俺は今選手じゃないけど、元々似たような立場だったわけだし」


 巧はチームメイトに恵まれていた。それでも、同世代でナンバーワンという肩書きは、同じ学年で考えれば巧と琥珀だけだ。お互いにしかわからない悩みも存在する。


「まあ、また何かあれば話聞くし、別に普段のどうでも良いことでも電話かけて来てもいいよ。忙しい時は無理だけどな」


『ありがとう。人と話すの慣れていないし、巧で練習させてもらおうかな』


 そう言ってお互いに笑い合った。


 それからしばらく、野球とは離れた関係のない話をしていた。こんなことを琥珀と話すのは初めてかもしれない。少しだけ、琥珀のことをわかったかもしれない。


 しばらく話してから電話を切った。時計は九時を回っていた。




 電話を切ってから私はベッドに飛び込んだ。足をバタバタさせながら枕に顔を埋め、声にならない声を上げる。


 恥ずかしさからそんな行動を取った。しかし、しばらくしているとその気持ちも落ち着いて、ため息を吐きながら携帯を眺めた。


 何故、巧に電話をかけたのかわからない。それでも一つだけハッキリしていることはある。


「やっぱり話しやすいな……」


 私はポツリと呟いた。


 人と話すことに慣れていない。周りの人も私を避けているのをわかっていたし、私も積極的に関わろうとしなかった。中学までは相談しようとしても、先生は『立花なら大丈夫』とまともに聞いてくれなかったし、同級生や先輩後輩はそもそも話すら聞いてくれなかった。


 唯一、私の話を聞いてくれて対等に話せるのは巧だけだった。だから無意識のうちに巧に電話をかけていたのだろう。


 信頼できる人、私は巧のことをそう思っている。


 中学生にもなれば、みんな恋愛に興味津々だ。私も興味がないと言えば嘘になる。野球が一番だけど。


 だけど、巧が好きなのかといえばそういうわけではないと思う。ドキドキしたりもしないし、くっついたりキスしたりデートしたりしたいということもない。


 私の初恋はまだ先だ。


 それでも、巧と付き合ったり結婚したりすれば楽しいだろうなと思うことはある。そして、もしそういう関係になったとしたら、ゆくゆくはキスをしたり……エッチなこともしたりするようになるだろう。別に自ら進んでしたいわけではないけれど、もしそういうことをすることを考えてみても、恥ずかしいけど特に抵抗はない。


 それくらいは信頼できる人だ。口には出さないけど、私はそう思っていた。


 でも、別に好きなわけじゃないから、もし巧が他の人と付き合っても嫉妬しないだろう。


 友達として一緒にいれれば、私はそれだけで十分だから。


「また話したいなぁ……」


 野球に対して、光陵のチームメイトに対して、……そして巧に対しても、今までとは違う感情が芽生えたことに私は気がつかなかった。



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