第58話 両立と甘え

「珠姫……あなた、いつまでそうしてるの?」


 一回裏、併殺崩れで出塁した際、ファーストを守る和氣美波がポツリとつぶやいた。


「なんのこと?」


 わからないわけではない。ただ、条件反射で聞き返していた。


「中学の頃、私はあなたに勝てなかった。ずっとあなたが四番、私はシニアの頃一度も公式戦で四番には座れなかった」


 私と美波は同じシニアだった。そして私が出ない時には美波は四番だったが、それでも私が出た時には決まって他の打順に回されていた。


「勝てないと思ってた。でも今のあなたはなんなの?」


 淡々と連ねている言葉。美波の声は徐々に怒気が孕んでいく。


「私を失望させないで」


 その言葉は私の心にズシンと重くのしかかった。


 何に失望しているのか、そんなことは聞かなくてもわかった。


 美波がずっと欲しかった四番の椅子。その椅子は中学時代、私が独占していたものだ。そして、その椅子を独占していた私が打てなくなった。


 怪我は仕方がない、イップスも体が言うことを聞かなくなるので仕方がないことだ。


 そういうことではない。ただ、打てないことに甘えている心に美波は失望したのだ。


 選手という立場では打てないことに言い訳ができない。マネージャー兼選手という肩書で、どこか自分自身に甘えていたのだ。


 打てなければマネージャーをすれば良い、打てれば選手でもいい、両立できるのであれば両方すればいい。ただ、私は両方をするということで、『打てなくてもいい』、そうどこかで思っていたのかもしれない。




 二打席目に入る。


 四回裏は先頭打者の夜空ちゃんがライトフライに倒れ、ワンアウトランナーなしだ。


 まだプレッシャーの少ない場面、それでも美波との会話が心の中で引っかかっていた。


 初球から私は打ちにいった。外角低めのストレートにスイングするものの空振り。初動は問題ないが、スイング途中にやはりバランスが崩れる。


 二球目、低めに外れた外角への変化球には手を出さない。ボールの見極めはできる、ただスイングができないだけ。


 三球目、合宿の時のことを思い出し、今度は思い切って目をつぶり、内角低めに狙いを定めてバットに全神経を集中させる。


 足の先、頭のてっぺん、そしてバットの先まで感覚はクリアだ。


 腰が回る。バットが回る。脇を締め、肘を畳んだ思い描いているスイングを目を瞑った私は生み出せる。


 しかし、バットを振り切っても金属音は聞こえない。聞こえるのはただボールがミットに収まった、ボールが乾いたグラブの革を叩きつけるの音だ。


 合宿の時は自信を持って狙い球を絞って振り抜いた。その結果、土屋さんが投げたボールはコントロールが大きく乱れず、振ったバットが運良くボールを捉えた結果だ。


 悔しい。


 バッターボックスの中、そしてまだ打席が終わっていないというのに目に涙が滲む。


 そうこうしている間に四球目が迫ってくる。


 内角への変化球。放たれた打球は高々と上がるセンターフライだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る