第59話 技術と実力

 四回裏、夜空、珠姫、亜澄のクリーンナップ三人が倒れ、三者凡退となった。


 ただ一つ、珠姫が凡退した時の打球、いつもの打ち損ねたものではなく、『普通の』センターフライだった。


 何故普通の打球が打てたのかわからない。そして、珠姫は打席から帰ってきてからどこか考え込んでいる様子だ。声をかけるのも憚られる。


 そして声をかけようか考えているうちに攻撃が終わり、守備へと移っていった。




 五回表は四人で終わる。皇桜学園の攻撃は六番から始まった。七番セカンドの大町にヒットが飛び出したものの、八番九番と抑えて得点は許さない。


 伊澄の球数は五回表を終えて六十六球。条件である五回は越えているため降板させても問題ないが、まだ球数としても投げれそうだ。次のピッチャー、棗に準備をさせながら様子を見ようと巧は考えている。


 対して皇桜側はピッチャーを代えてきた。球数も四十九球とそこまで多かったわけではないが、早めの交代でエース柳生を休ませ、こちらの様子を見ながら他の選手に経験を積ませたいという意図だろう。


 出てきたのはアンダースローの変則型のピッチャー、狩野だ。球速はそこまでないが、それでも秋大会では背番号10を、春季大会では背番号11を背負っていたため、二、三番手ピッチャーと言えよう。


 変則的な投球フォームから繰り出される変化球も厄介だが、ストレートでさえ厄介だ。


 通常、オーバースローやスリークォーター、サイドスローは上から下へ、キャッチャーの元にたどり着く頃にはボールは重力に従ってやや落ちる。しかし、アンダースローは一度上に上がってからまた下がる。


 地面スレスレから放たれるボールは一度浮き上がり、そして落ちる。何よりアンダースロー投法の選手はさほど多くない。対戦経験が少なければ、それだけでも打ちにくいものだ。


 その狩野との初対戦の打者は伊澄。この回はピッチャーという負担と、第二の一番打者という意図もあり打順を下げた伊澄から始まる。


「本当は陽依からの攻撃が良かったけどなぁ……」


 巧が理想として考えていた仮想一番打者は陽依だった。それは白雪を二番、司を三番としての機能を視野に入れてのことだった。ただ、試合途中の打席の流れなど意図して変えられるものではない。ピッチャー交代という良いタイミングだったため、ここから一番の攻撃が始まると切り替えて考えたいところだ。


 伊澄が右のバッターボックスに入る。仮想上位打線からその上位互換である本来の上位打線に入っていく攻撃、ここでチャンスを作っていきたい。


「伊澄! 一番のつもりで打ってけ」


 サインではなく声をかけ、それに伊澄が頷く。


 初球、ゆったりとしたストレートを見ていく。


「ストライク!」


 ここは確実に入れてくるだろうと踏んでいた。しかし、球筋の分からないアンダースローのボールに飛びついて凡退となれば目も当てられないため、これで良い。


 二球目、外角へ逃げていくカーブに、伊澄はこれも見逃した。


「ボール」


 僅かに外れたボール球。粘れば粘るほど多く球数が見られる。


「カーブだけなら伊澄ちゃんと同じくらい曲がってないかな?」


 美雪先生が隣でボソッと呟く。


 確かに伊澄の最大変化のカーブには劣るが、通常のカーブとは遜色のない変化にも見える。……最も、横から見ているため、確実に球筋を見ているわけではないが。


「ボールが浮いている分、大きく変化しているように見えるのもありますね」


 上から投げる他の投法だと球速が出る分ボールの落差は小さいが、球速の出ないアンダースローだと他の投法よりも大きく落ちる。ただデメリットとしては、その独特な投げ方から落ちる球を投げるには適していない。


 三球目も変化球。伊澄は当てていくが、やや振り遅れてファウルとなる。


 ストレートとは違い変化しているが、ストレートと遜色のないスピード。シンカー当たりだろう。


 四球目、また緩いボールだ。伊澄はこの球にバットを当てていく。


 しかし、ピッチャー前への平凡なゴロとなり、狩野は問題なく打球を処理して一塁へと送球した。


「アウト!」


 伊澄は悔しそうにしている。それもそのはずだ。自分自身がカーブボーラーだけにカーブで打ち取られるのは悔しい。


 それにしてもしっかりと見極めていたようにも見えたこの打席、打ち取られたということは相当打ちづらい球筋なのだろう。


「よっしゃ! やったるで!」


 陽依は意気揚々と打席に向かう。自分の立っている位置から逃げるように投げるアンダースローは右打者には手強い。しかし、左打席、もしくは陽依のように両打席で打てる打者であれば、ボールが見やすく比較的有利に戦える。


 初球、外へのスライダーに積極的に手を出していく。


「ファウル!」


 少し外側すぎたか、バットの先に当たりファウルゾーンに打球は転がる。


 二球目、狩野は地を這うようなギリギリの位置からボールを放つ。ボールは投げ上げるように進み、陽依の外角へ。


 緩いボール。まだか。まだか。待ちくたびれた陽依は来た球に対して思いっきりバットを振り抜いた。


「ファースト!」


 軽快な金属音と共に打球は一塁線へ。同時にボールがミットを叩いた音が響く。


「アウト!」


 ボールは和氣のファーストミットに収まる。


 定位置。微動だにしないまま和氣は打球をミットに収めた。


「あー、くっそ!」


 陽依はバットで地面を叩く。当たりは良かった。しかし、ボールが遅いことで待ちきれなく気がはやってしまった。


 それなりに球速のある伊澄は約百キロ程、皇桜エースの柳生は百十キロ出ているかどうかだ。それに対して狩野は七十〜八十キロ程だろうか。


 この球速はある意味大きな武器だ。特徴がなかったとしても速球投手から代わってリリーフとして登場すれば、それだけでも球速のギャップに悩まされる。それに加えて狩野はキレのある変化球という武器も持っているため、十分先発としても対応できるだろう。


 つまり、球速の遅いストレートでさえ厄介だが、さらに変化球を併せ持っているというところ、どこをとっても厄介だということだ。


 そしてツーアウトとなり、次は八番に入る白雪だ。ツーアウトとなっている今、打順はほぼ関係なくなっている。ただ、三番の起用の場合、初回にこの状況となる可能性は高い。


 巧個人としては二番強打者理論で白雪は強打の二番になってもらいたいという考えがある。しかし、役割としては三番や四番に入れるような打者を二番に置きたいため、三番の役割を意識して打席に入るのも似たようなものと考えている。


 この状況はある意味、成長のチャンスだ。


「しっかり振り抜いていけよー!」


 パワーのない白雪がしっかりとボールを捉えるためには振り抜くことが不可欠だ。どうも当てることを意識するあまり、そこが疎かになっているように感じていた。


 例えるなら走ることにおいて、ゴールで止まることを考えるのではなく、ゴール先まで駆け抜けることを意識することで最後まで全力で走ることができる。


 バッティングにおいても振り抜けばしっかりと振り抜くことで、最大限に力を発揮したバッティングができる。


 ツーアウトだ、当てるだけではなく思い切って振っていって欲しいという気持ちで声をかけた。白雪も巧の声に頷いた。


 初球から白雪はバットを思い切り振った。バットは空を切る。しかし、声をかけた通りのスイングができている。


「良いぞ、そのスイングだ」


 巧は声をかけながら手を叩く。パワーのない白雪はこのバッティングを意識し、力負けしないスイングを身につけて欲しい。


 二球目、地を這う投球フォームから繰り出されたボールは左打席に入っている白雪の胸元に食い込む。


 近い。


 そう感じた白雪は踏み込みスイングしかけていたバットを止める。


「ストライク!」


「えっ?」


 判定に疑問を持った白雪が振り返る。ボールは余裕を持ってミットに収まっていた。内角へのシンカー、近いと思った投球は変化し、ストライクゾーンを掠めていた。


 二球目で追い込まれている。際どいボールも捌いていかなければ見逃し三振もあり得る。白雪はゾーンを広く見積もりながらバットを構えた。


 次は何が来るのか。比較的遅い球には狙い球でも打ちにいきカットしていくことも可能だ。怖いのは変化球の変化についていけずに空振りとなることだ。


 三球目、地面をスレスレから浮き上がってくるボール。狩野の球の中では速い、この時点でストレートかシンカーに絞られる。


 ここしかない。


 外角への速い球に白雪はバットを振り抜く。


 そして、その振り抜いたバットはボールを捉えた。


「ショート!」


 打球はショート頭上。ショートの瀬尾は後退しながら頭上に上がるボールに飛びついた。


 瀬尾のグラブはボールに触れ……ない。


 打球はショート後方、レフト前に落ちる。白雪は一塁を回ったところで止まった。


「ナイスバッティング!」


 部員は声を上げる。ヒット自体が久しぶり、実に初回ぶりだ。初回に得点した由真、夜空のヒット以降、てんで当たっていなかった。


 打球としても最高。バットを振り抜いたこともそうだが、球速がない分、ボールに力負けせずにしっかりとレフト前に運ぶことができた。


 バットコントロールの上手い白雪、そしてパワーがないため程よい打球速度、どちらも組み合わさって生み出されたヒットだ。


 白雪は平静を装いつつもどこか驚いたような、ホッとしたような表情だ。


 しかし、巧としては驚くようなものではない。監督就任前から見定めていた通りバットコントロールは夜空や珠姫に次ぐ程の物を持っていると感じていた。


 ただ、技術はあってもパワーや実力が足りない。そこを今回のように球速が遅く、力負けしない相手であればヒットが生み出されるのは必然と言えよう。


 ツーアウトながら出塁した。チャンスではないが、ヒットが出ていない現状としてはチャンスに等しい。


 そして打席には、仮想上位打線の三番、四番に値する九番打者、神崎司が向かっていった。

 

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