第57話 自信とキャッチャー
一回はお互いに一点ずつ取り合う展開だった。不安定な立ち上がりから伊澄・柳生両投手は本来の投球を取り戻し、二回、三回と互いに零点、無安打で抑えている。
互いに二回以降は打たせて取るピッチングを意識しているのか、球数はやや抑えめとなっている。しかし、三回終了時点で球数は伊澄が四十五球、対して柳生は三十七球と差が開き始めている。このままいけば先に力尽きるのは、おそらく伊澄だ。
迎えた四回表、皇桜学園の攻撃は二番の瀬尾からだ。もう打席も二巡目に入っている、三回表の早瀬は打ち取れたが、二巡目ともなると一巡目に球筋を見ているため対応してくるかもしれない。
伊澄は初球から大きなカーブで攻めていく。瀬尾はこれを見送りストライクだ。
二球目、内角低めへの落ちるカーブ。これには瀬尾のバットは動くが、変化についていこうとするスイングで空振りとなる。
二球で追い込んだ。
三球目、伊澄はワインドアップからスリークォーター投法、ややサイド気味から投げたボールは外側に大胆に外れたボールだ。
バッターの瀬尾は完全に見送ろうと脱力している。しかし、外に外れたはずの投球は、ちょうどホームとマウンドの中間辺りからグググっと変化していき、横に滑るように食い込む。
「ストライク! バッターアウト!」
この試合初めて見せた変化球に瀬尾は唖然としている。
伊澄は普通のカーブ、大きなカーブ、落ちるドロップカーブを使っているが、小さく曲がるカーブ、通常よりもさらにスロー遅いカーブ、そして今回投げた横に滑るスラーブは投げていなかった。
打順も二巡目。しかし、まだまだ球筋は見極めさせない。
続く三番の来栖には先ほど見せたスラーブを一球目、二球目と見せていく。二球目には変化についてこれず、当てただけの打球はファースト手前に転がり、丁寧に打球を処理した珠姫がゆっくりと一塁ベースを踏み、たった五球でツーアウトとなった。
「ナイスピッチング!」
巧は伊澄に称賛の言葉を送る。そして、そのピッチングを引き出した司にも、だ。
そしてツーアウトランナーなし、ここで登場するのは四番に座る和氣。後続に繋げることも一人で点を取ることもできるバッターだけにツーアウトでも油断は禁物だ。
どうやって伊澄と司が戦っていくのか、見ものだ。
ああ、暑い。
夏が近づくに連れて上がってくる気温は、確実に体力を奪っていた。
ずっと座ってピッチャーが投げたボールをただ捕っているだけ。キャッチャーは楽だ。そんなことを言われたことがある。
そんなことを言うのは野球を知らない人だけだ。野球を知っている人だけがわかる、下手すると一番キツイポジション、それがキャッチャーだ。
中腰の姿勢で体を小さくし、ボールを待つ。毎回返球するたびに立ち上がり、またボールを待つために座るというスクワットのような動作。プロでは一人が一年間通して出ることよりも複数人の選手が併用されながら出場することが多い。それだけ負担の多いポジションだ、
身体的な負担も多いが、バッターをどう打ち取ろうかという駆け引き、精神をすり減らしながら頭をフル回転させる。すごいピッチャーとバッテリーを組めば、抑えれればピッチャーのおかげ、打たれればキャッチャーの責任、良いところだって多くない。
それでも、キャッチャーに拘りたい。バッターを翻弄し、すごいピッチャーを自分の思い通りにリードして試合を勝利に導く快感は、地味で損な役割も全て忘れさせてくれる。
今打席に立つのは、強豪校である皇桜学園のレギュラー、和氣さん。
一打席目は二塁手前でタッチアウトとなったが、センターオーバーのタイムリーヒットを打たれている。外角低めのカーブを捉えた当たりだった。
外角が得意なのか? 変化球が得意なのかもしれない。もしくは、全てのコースに対応できるのかもしれない。
考えただけでは結論は出ない。攻めていくだけだ。
初球。前回とは違い内角低めを攻める。真ん中付近から滑るスラーブに和氣さんのバットは反応する。一塁側ベンチへ転がる詰まったファウルだ。しかし、ボール球とも取れる微妙な投球にもしっかりと合わせてきた。どこに投げさせればいいんだ……。
今度ももう一度内角へ、次はストレートを要求する。しかし、そのサインに伊澄は首を横に振った。
それなら一球様子見だ。そう思って出したサインに伊澄は首を縦に振った。
伊澄が振りかぶり、ボールを放つ。先ほどと同じようなコースだ。しかし、今度はスラーブではなく普通のカーブ、横に滑るのではなく緩い軌道を描きながら曲がるカーブだ。
これには和氣さんも手を出さない。投球はワンバウンドし、ミットからこぼれ前に落ちる。
……ワンバウンドしたとはいえ要求通りのボールだ。予測できる範囲内だったため、しっかりとミットに収めたかったところだ。
内角に二球続けたところで今度は散らしていきたい。かと言って一打席目で打たれた外角を軽率に要求するほどの度胸とない。
そうなると、これか? 伊澄とサインを交わし、投球に移る。
三球目。振りかぶった伊澄が放ったボールは、内角高めの力強いストレートだ。
緩いボールを続けてからの速いボール。これには流石の和氣さんも反応が遅れる。
しかし……。
目の前まで来ていたボールは、嫌な金属音とともに目の前から消え去った。
「レフト!」
鋭い打球は三遊間を破り、レフト前まで運ばれる。
レフトには亜澄さん。基本はファーストで、レフトの守備は不慣れだが、確実に打球を処理した。
打った和氣さんは一塁を回ったところで止まる。
ツーアウトながらランナーを出してしまった。
ここで五番の柳生さん。柳生さんは中学時代から注目されていたため知っている。中学時代は長打力があるが、ミート力はあまりなかった。しかし、クリーンナップに入っているということは弱点も克服しているのだろう。ただ、一打席目は凡退している。
伊澄もピッチャー同士の対決ということで意識しているのが伝わる。ここは上手くリードしながら伊澄に任せてみるのもいい手だろう。
初球からサインが噛み合わなかったが、四回目のやり取りでやっと伊澄が首を縦に振った。サインを交わしたところで投球動作へと移る。選択したのはスラーブだ。
伊澄の放つボールは、まるですっぽ抜けかのように右打者である柳生さんの体に向かっていく。しかし、途中で軌道を変えストライクゾーンへと食い込んでいく。
「ストライク!」
良いボールだ。一見デッドボールコースのため、柳生さんは投球に仰反った。ただ、内角ということもあり、ピッチャーに対して危険なボールということには変わりない。
それでも伊澄がこのボールを選択したのは、一年生だからといって舐められたくないという意思表示だろう。
二球目、その前に一度牽制を入れる。ファーストランナーの和氣さんはリードが広いわけではなく、盗塁を積極的に狙ってくるタイプではなさそうだが、それでも一拍置くための牽制だった。
そして二球目、伊澄が望むのは躱す投球ではなく、真っ向勝負だ。
伊澄がセットポジションから放った二球目、構えたミットに向かって一直線だ。
外角高めのストレート。これが選択した球だ。
ただ、やはり柳生さんは反応してくる。軽快な金属音とともに鋭い打球が生み出される。
「セカンドッ!」
打球はライナーで二遊間、ややセカンド寄り。抜けるかどうかというところ。
「抜けろ!」
柳生さんは叫ぶ。ここでヒットとなれば皇桜側からすればチャンスが生み出される。
しかし、セカンドの夜空さんが横へ飛び込む。打球は夜空さんのグラブに吸い込まれた。
「……アウト!」
捕球したことを確認して、審判がゆっくりとコールする。明鈴側としてはピンチとならず、相手の攻撃を終わらせることに成功した。
「ナイスプレー!」
ベンチから巧くんが声をかけている。
守備に救われた。しかし、伊澄の投球も皇桜打線に負けていない。
初回以降、均衡は保っている。チャンスを掴み取れるかどうか。
もし、伊澄が打たれるようなことがあれば……。私はマイナス思考へと陥っていた。好投している伊澄が打たれるのなら、私の責任だ。
なんとか均衡を保ち、伊澄を援護しなければ。
私は動かないスコアボードに不安を感じながら、ベンチへと戻っていった。
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