第55話 エース対最強

 一回表、皇桜学園のスコアボードには『1』の数字が並ぶ。しかし、広がりかけたピンチも、由真の好プレーによって止めた形となった。


 そして、その由真は打席前で相手の投球練習を眺めている。


「夜空的にはどうなの? 由真さんの打撃」


 今までは珠姫と二年生、後は由衣の話しか聞いていないため、由真の能力についてはやや判断に困るところだった。


 妹の由衣はマネージャーとはいえ、野球はほぼ素人のため、具体的なことまでは聞けていない。二年生についても、上級生はすごく見えたりすることもあるので、参考程度にしかならない。そうなると同じ目線から見ている人の意見は珠姫からしか聞いていない。


「うーん、そうだなぁ……」


 夜空はしばらく考えてから口を開いた。


「そもそも、うちの打撃があんまり良くないからね。その中では打てる方だけど」


 去年に卒業した卒業生の実力はわからないが、現二、三年生は確かに打力としては物足りない。徐々に力は付けているが、ヒットを打てる七海も、長打が期待できる亜澄も実力は夜空には遠く及ばない。


「去年の時点で今の七海くらいは打ててたけど、ホームランはライトが浅い明鈴のグラウンドでも二、三本くらいかな」


 そう聞くとそこそこ打てる方だが守備型の選手だということが伺える。


 ライト方向に強い打球が打てる左打者の由真がそれだけのホームラン数だ。右打者でレフト方向に飛ばしやすい亜澄も確か五本も打っていないくらいだっちゃはずだ。そして夜空は確か三十本ほど、この間の打力の差は大きい。


 やがて相手の投球練習が終わり、由真が打席に入る。注目の初打席だ。


 相手は春季大会や秋の大会でもエースとして背番号1を背負った柳生だ。そんな柳生にどれだけ対応できるか、見ものだ。


 初球、内角低めを抉るストレートは見逃し、ストライクだ。


 二球目、三球目と際どい変化球に対していずれも由真は見送り、ボールとなる。選球眼は悪くなさそうだ。


 そして四球目、外角低めのストレート。由真はそのボールを逆らわずに左方向へ綺麗な流し打ちだ。打球は三塁線ギリギリ、ファウルかフェアか際どいところだ。


 打球はベースに当たり、軌道を変えて宙を舞う。


「フェア!」


 打球を処理したサードの来栖はすでにバッターランナーの由真が一塁付近まで到達していたのを確認し、慌てて送球の体勢に移るものの、ボールを握り損ねて落とした。


「危なっ」


 サードの打球反応が良く、ベースに当たる前に処理されていれば平凡なサードゴロだった。打球がベースに当たるという運も味方につけた内野安打だ。


「さて、私も準備しないと。……巧くん、いきなり動いてく?」


「そうだな、動きたいところだけど。……サイン伝えるの忘れてた」


「はぁ?」


 うっかりでは済まされない失態だ。由真とはサインプレーの確認をしていなかった。


 監督から選手に出す打撃指示はチームによって異なる。オーソドックスなものでは帽子や口元、胸、肩、腕のように触った箇所によってサインが決められており、『◯番目に触ったところ』や『キーとなる部位を触った後に触ったところ』というようにチームにしかわからないサインを使う。


 相手に解読されないように定期的にサインは変えるため、巧が監督となった際に一度変えている。もちろん由真がサインを知る由もない。


「すいません、タイムお願いします!」


 二番の七海が打席に入る前に急遽巧はタイムを取る。次の打席ではサインを伝えればいいが、問題は現状だ。


「鈴里、ランナーコーチ代わってきてくれないか?」


「了解!」


 一塁や三塁には打球や送球を判断してランナーを次の塁に回したり、止めたりするランナーコーチがいる。一塁は光、三塁は棗が現在担当しているが、このランナーコーチを代えるという体でサインを直接伝えるしかない。


 明鈴のサインは『キー』となるのが耳で、その後に触ったところのサインを適用すると決めてある。しかし、鈴里には盗塁のサインが手首ということだけを伝えてもらった。サインの途中に一度でも手首を触れば盗塁だ。この状況で出すサインは盗塁とエンドランのみ、バントであっても七海に伝われば最悪問題ない。とにかく盗塁のサインだけ伝われば現状問題はない。


 タイムが終わり、無事ランナーコーチ」交代も済んだ。そして七海が打席に入る。


「プレイ!」


 初球、外角へ外したボールだ。七海は見送り、判定はボール。由真もリードを広く取っているが走らない。


 タイムを取ったことによって盗塁を考えているのはおそらく皇桜にバレているであろう。だから初球からは狙わない。


 二球目、これは確実に入れてきてストライク。ワンボールワンストライクとなった。


 そして三球目に巧は動いた。サインはエンドラン、ストライクであれば当てに行き、ボールであれば見逃すランエンドヒットだ。もちろんサイン中に手首を触った。


 外角への変化球、際どい球を七海は見送った。


「ボール」


 相手キャッチャーも二塁へ送球する。


「セーフ!」


 由真の盗塁は緩い変化球だったこともあり悠々とセーフだ。ストレートが二球続いてそろそろ変化球を混ぜたいところだと考えるだろう、と考えていたため作戦はドンピシャでハマった結果となった。普通に盗塁のサインでも良かったが、ストライクとなって追い込まれれば七海の打席が不利となる。そのためのランエンドヒットだった。


「ナイス盗塁!」


 ベンチの選手は盗塁を成功させた由真に声をかける。一点は先制されたが、ノーアウトでチャンスを作った。先制された時の状況と同じだ。


「このまま勢い乗れよ」


 巧は小さく呟く。何度も何度もチャンスは訪れるものではない。いかに多くチャンスを作り、そのチャンスをモノにするかが試合で勝つ方法だ。


 しかし、相手バッテリーも一筋縄ではいかない。由真が二塁へ進んだことで盗塁の可能性がグンと下がった。力強い四球目のストレートを打ち損ねてファウル、四球目はバットを避けるようなスプリットで空振り三振だ。


「ワンナウトー!」


 相手キャッチャーが声かけをする。


 ワンアウトだがランナーは二塁、一打同点のチャンスだ。


 そして打席には夜空。サインは『自由に打て』だ。バントはもちろんないし、エンドランも三塁アウトになる可能性を考えると積極的に採用する策ではない。打たせることが最善だ。


 強豪のエースと、過去とはいえ全国ナンバーワン選手が対峙している。監督ということを抜きで、一野球ファンとして見れば楽しみな対決だ。


 全力で抑えるという気迫の柳生、絶対打つという夜空、初回からクライマックスのような戦いだ。


 注目の初球、柳生が選択したのは……外角低めのストレート。コーナーを突くようなストレートに夜空も反応する。足を踏み込み、腰からバットの先に力を伝えるような力強いスイングだ。


 そしてバットは柳生の投球を捉えた。


「センター!」


 軽快な金属音、そこから放たれたのは二遊間を破る鋭い打球だ。


 前進しながら打球に合わせてセンターの早瀬は捕球する。勢いをそのままにバックホームだ。


「ストップ! ストップ!」


 セカンドランナーの由真は三塁を回るかどうかというところ。三塁を蹴ろうとする直前、三塁ランナーコーチの棗が止めたため、オーバーランしただけで止まった。


 早瀬のバックホームも、セカンドが中継に入り止める。一塁を大きく回った夜空もそれを見て慌てて一塁に戻った。


「ナイスバッティング!」


 巧は思わず叫んでいた。際どく難しく力強いストレートを綺麗にセンター前に弾き返した打撃、素晴らしく心地の良い打球だ。


 これでワンアウトランナー一塁三塁とチャンスが広がる。


 そしてここで打席に入るのは、『元最強打者』で『現最弱打者』である本田珠姫だ。

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