第54話 喧嘩と仲直り

「あのさ、由真……」


 陽依、白雪、司を残して始まったアップ。ランニングの途中で三人も合流したが、そのランニングが終わった後、夜空は由真に話しかけていた。


「……なによ」


 無視をしないだけ話をするつもりはある、と言った由真だが、気まずさが残っているためぶっきらぼうに返事をする。


「今までのことなんだけどさ……」


 そう夜空が発しようとしていた言葉を、由真は途中で遮った。


「謝ったら許さないから」


 申し訳なさそうに言葉を紡ぐ夜空の表情を察し、それ以上由真は言わせなかった。謝れば終わる話ではない。それに、謝って欲しくなかった。


「他の三年生のことは夜空の言い過ぎはあるけど全部が全部間違ってるわけじゃない。私のことだって、夜空が悪いところもあるけど私だって悪い」


 由真は自分の悪いところも自覚していた。由真の退部は、夜空の発言と由真自身が自信をなくしたため起こった結果だ。


「私も謝らない。だけど夜空にも謝って欲しくない」


 お互い謝ればスッキリとするだろう。しかし、どちらも悪いし、どちらも悪くない。謝るということは自分の意志を曲げたということでもある。


「ちょ、ちょっと、喧嘩はやめよ?」


「別に喧嘩じゃないし」


 珠姫が間に入り止めようとする。それでも由真の言葉は止まらない。


「これだけは言わせて欲しい。……元々、私と夜空は仲良しこよしってわけじゃないでしょ。仲良くしてはい終わりってのも気持ち悪い。喧嘩するくらいで良いんだよ」


 由真が言い終わると、夜空も由真も黙ったままだ。ただその沈黙の中、珠姫は引っ掛かった部分があり、口を開いた。


「喧嘩って認めてるじゃん」


「うっさいなーもー!」


 喧嘩じゃないと言いながら喧嘩するくらいで良いと言った矛盾を指摘され、由真は顔を真っ赤にする。夜空もそれに笑いを抑えきれなかった。


「あははは、分かったよ。それでいいよ、うん。とりあえずキャッチボールしようよ、由真」


「嫌だね。それにキャッチボールの前にストレッチでしょ。それにキャッチボールは由衣とするわよ」


「なんか巻き込まれた……。私マネージャーだし、私入ったら奇数になるから。お姉ちゃん、他の人としてよ……」


 夜空と由真の様子を遠目から見ていただけで巻き込まれた由衣は姉の由真を冷たくあしらう。珠姫の一言でテンパっていた由真は、さらにこのことで耳まで真っ赤になっていた。


「もう誰でもいいよ……」


「私としよ、ね?」


 珠姫に気を遣われ、結果的に落ち着いた。しかし、久しぶりに部に顔を出して早々恥をかいた由真はご機嫌斜めだった。




「なあなあ光さん」


 夜空たちの様子を遠くで眺めていた陽依は近くにいた二年生、光に声をかける。


「ん? どーしたの?」


「佐久間さんっていっつもあんな感じなんですか?」


「そうだねー。普段クールだけど結構墓穴掘ったりしてちょっとドジな人だよ」


 一年生は妹の由衣を除けば由真と顔を合わせるのがこの日が初めてだ。スタメン発表前の態度からして、クールというかぶっきらぼうというか、落ち着いたような少し怖いイメージを持つだろう。


 しかし事実は異なっている。


「怖そうだけど良い人だよ。むしろ夜空さんがキレた時とか間に入ってくれたし」


「あー」


 陽依も中学時代を思い出して身震いする。高校で再開してからは落ち着いているが、中学時代も気の抜けたプレーをすると怒られたこともある。その度に今は男子野球部キャプテンの大地が止めに入っていた。


 基本的には優しい上に間違っていない。体力温存のために適度に手を抜くことはある意味全力のプレーということで許させるが、めんどくさいややる気がないなどの怠慢やサボりのプレーとなればとことん怒られる。


 他人に厳しいがそれ以上に自分に厳しいというのが大星夜空という人物だ。それ故に敵を作りやすく、現二年生にも厳しく当たっていたのだろうというのは想像に難くない。


 しかし、それでも今の夜空と二年生が良好な関係を築けているのは由真の功績も大きそうだ。


「なんか、夜空さんも佐久間さんも不器用やなぁ」


「確かにね。でもそんな夜空さんだからみんなついていくし、由真さんが復帰するのも誰も反対しないんだよ」


 どちらも正しく良い先輩。二年生の誰もがそう思っている。光はそれを代弁していた。


「正式に佐久間さんが入部したら、賑やかになりそうですね」


「楽しくなりそうだね」


 初めて顔を合わせた由真に、陽依はすでに好意的な印象を抱いていた。




「よーし、準備いいか?」


「バッチリだよ」


 アップや試合前のノックが終わり、選手の体は程よく温まっている。六月中旬となると、少し動いただけでも汗が滴る。


 明鈴高校は後攻だ。野球は後攻有利だ。相手の出方や試合展開に応じて動くこともできるため、そのように言われている。しかし、攻撃も守備も同じ回数だ、有利ではあるが必勝ではない。ただ、有利な状況で試合に臨めるというだけでも気持ち的には楽だ。


「硬くなりすぎないように、でも公式戦のつもりで戦おう」


 巧はそう言って選手を送り出す。


 両チームの選手は整列し、挨拶を終えると明鈴は守備位置に就き、皇桜は攻撃の準備を始める。


 皇桜は春季大会でスタメンを張っていた選手を三人起用している。五番ピッチャーがエースの柳生、四番ファーストに和氣、一番センターに早瀬だ。そして、他もほとんどが春季大会でベンチ入りしていたメンバーだ。唯一レフトに一年生の湯浅という選手がいるが、夏の大会のベンチ入りを想定している選手かもしれない。


 そして、ファーストに入っている和氣は、珠姫と同じシニア出身の選手だ。ホームランも狙える上にヒットも量産する厄介な選手である。


「伊澄! 落ち着いていけよ!」


 巧はベンチから声をかける。それに反応して伊澄もゆっくりとうなずいた。


 落ち着いているように見えるがポーカーフェイスの伊澄は実際のところわからない。強豪との対戦にテンションが上がりすぎていなければいいが。


 一回表、皇桜学園の攻撃は一番の早瀬から始まる。


 伊澄・司バッテリーは初球から攻めていく。

 初球の外角低めのストレートは外れてボール。

 二球目のボールゾーンからストライクゾーンに入る外角低めへのカーブは見逃してストライク。

 三球目の外角低めへのストレートは外れてボール。

 四球目の外角低めへのストレートはファウル。

 五球目の内角低めに決めにいったカーブもファウルとなった。


 球数を投げさせられている。ただ、伊澄のボールはコーナーをしっかり突いているため、簡単には打たれない。


 しかし、六球目。内角への甘く入ったカーブをレフト前に弾き返されてしまった。


「いきなり出塁、か」


 積極的に盗塁を狙う早瀬には用心していかなければならない。それに一番が出塁したことで、四番五番のレギュラー陣にも打席が回る。


 そして、二番のショートを守る瀬尾が打席に入る。選手の特徴はわからないが、二番に入っているということはそれなりに打撃に信頼感がある選手だろう。


 初球に入る前に、一回、二回と一塁に牽制を入れる。足に自信のある早瀬のリードは大きいが、牽制を入れて『警戒しているよ』とアピールしてもなお、そのリードを縮める様子はない。


 初球、盗塁を警戒して外したストレート、ウエストボールだ。早瀬はここでは走ってこない。ボールカウントが一つ灯っただけだ。


 二球目、伊澄が足を上げた瞬間、ファーストランナーの早瀬が走った。


 伊澄はそのまま内角低めにストレートを投げ込み、バッターの瀬尾は空振りをする。ボールを捕る直前から司は送球の体勢に入っており、捕った瞬間、一直線に二塁に送球する。


 いい送球だ。


 二塁で送球を待つ、ショートの白雪。そして二塁に滑り込むランナーの早瀬。白雪はボールを受け取ると、そのままセカンドベース足元にタッチしに行く。


「……セーフ!」


 審判の判定に、司は悔しそうな表情を浮かべる。


 惜しかった。タイミングは完全にアウトだった。


 ただ、送球が逸れてしまった。いや、逸れたと言うには正確で、ただ足元にドンピシャではなく、白雪の胸元辺りへの送球だった。その胸元で受け取って足元にタッチしに行く動作の一瞬が、この盗塁の判定を分けた。


 司の肩が強いことはわかっていた。しかし、キャッチングや捕ってから送球までの速さはこれほどのものではなかった。


「いいとこ吸収したな」


 この技術は鳳凰寺院学園の白夜楓、そして光陵高校の三船魁のものだ。


 細かい動作で一見解りにくいところだが、確実に合宿で成長している。


「切り替え切り替え、バッター集中!」


 打たれて盗塁されて、ピッチャーもキャッチャーも動揺してしまう場面だ。しかし、ランナーを返さなければ失点はない。二塁でギリギリだったのだ、さらに三塁まで盗塁してくるほど神経も図太くないだろう。


 ノーアウトランナー二塁と場面が変わってから三球目。果敢に攻めた内角のカーブにバッターの瀬尾は詰まらされ、セカンドの深いところだ。


「ちっ」


 セカンドランナーの早瀬は三塁へ進塁するが、この位置からは間に合わないと判断した夜空は舌打ちをして一塁に送球する。


「アウト!」


 瀬尾はアウトになったが、一塁手前まですでに到達していた。この選手も足があるのだろう。


 ワンアウトランナー三塁となった場面で、三番サードの来栖。内野ゴロや外野フライでも一点の可能性がある。


 しかし、伊澄の投球は凄かった。まだ初回というにも関わらず、さらに一段ギアを上げた投球を見せ、四球目には空振りの三振。得意のカーブでバッターを仕留めた。


「ツーアウト、ツーアウト!」


 ランナー三塁ながらツーアウトだ。司はアウトカウントの声かけをする。


 ここで四番の和氣が打席に入る。この打線で一番怖いバッターと言っても過言ではない。


 伊澄・司バッテリーは初球から慎重に攻めていく。まずは真ん中高め付近から外角低めに縦に割れながら曲がるカーブだ。これには和氣も手を出さず、ストライクのコールが響く。


 二球目、今度も外角低めのコースを突いたストレートだ。しかし、これはわずかに外れてカウントはワンボールワンストライクとなる。


「良いボールだね」


「全開すぎる気はしますけどね」


 一番の早瀬には球数を投げさせられた上、あっさりと打たれてしまった。そこからギアを上げて投げており、さらにはすでに十五球も消費しているため、早い段階での交代も視野に入れなければならない。


 この投球でどこまで持つのか、ということを考えていると、伊澄は次の三球目に移った。


 三球目、伊澄がセットポジションから放ったボールは外角へ外れた緩いボールだ。ボールはそこからググッと変化し、ストライクゾーンを捉えた。しかし、和氣のバットはそのボールを捉えていた。


「センター!」


 右中間センターよりへの打球。センターの由真はボールを追いながらも、外野フェンスから少し離れたところで足を止めた。


 大きなフライ。打球は由真を飛び越え、フェンスに直撃する。サードランナーの早瀬はそれを見て三塁を蹴る。悠々と生還し、一点だ。


 フェンスに直撃し、跳ね返ったクッションボールを由真は素早く処理する。打球の追い方、クッションボールへの対応、どちらを取っても文句の付けようがない長打の打球への対応だ。


 和氣はすでに一塁を蹴っている。クッションボールを素早く捕球した由真は、すぐに持ち替えて二塁へ送球する。


 由真と二塁で送球を待つ白雪との中継に夜空が入る。送球は低く、強いボールだ。夜空はそのボールがセカンドから逸れていないことを確認して捕球をしなかった。


 由真の送球がワンバウンドして白雪の元へ到達する。そして、バッターランナーの和氣もセカンドへ滑り込んだ。


 際どい判定だ。


「……アウト!」


 セカンドベースと和氣の足の間には、ボールをしっかりと持った白雪のグラブがあった。和氣はセカンドにすら到達させず、完全に殺した。


 捕球までの動作にしろ、捕球から送球までの動作にしろ、こういった細かなプレーで言えば明鈴の中では一番かもしれない。セカンドを本職とする夜空はまた違うプレーが求められるため、比較のしようがないが、明鈴の外野手で一番の守備力を誇る煌以上かもしれない。


 スリーアウトチェンジとなったため、明鈴の選手たちはベンチに引き上げてくる。由真は好プレーをしたにも関わらず、さも当然といった様子だ。


「佐久間さんナイスプレー!」


 突然言葉も交わしたことのない陽依に肩を叩かれながら声をかけられ、驚いた様子が目に映る。


「お、うん。それほどでも」


 反応に困った様子は見ていて少し面白い。


「ね、巧くん。うちのお姉ちゃんすごいでしょ?」


「そうだね。聞いてた以上だ」


 由衣からも話は聞いている。しかし、単純に打って守れて走れるという情報しか知らないし、二年生や珠姫からも去年までの話しか聞けない。実際この目で確かめてみて、部を辞めてから一年間、クラブチームでもしっかりと実力を付けたというのが伺える。


「由真さん、ナイスプレー。打席の方もよろしくお願いします」


「運が良かったのもあるけどね」


 確かにクッションボール、フェンスに跳ね返るボールは跳ね返り方という運にも左右される。しかし、どんな跳ね返り方をしても対応できるような位置で待ち、それを素早く処理するのは運ではなく実力だ。


「由真、ホームランでもいいよ」


 夜空は「はい」とヘルメットを渡しながらそんなことを言い始める。


「何言ってんの。私長打あんまりないから。夜空が打つからこの回は同点にはなるけどさ」


「取り返してよー」


「は? 無理」


 喧嘩というよりはジャレあっていると考えてもいいのだろうか。この様子を黙ったまま巧は見守っていた。


 ひとしきり言い合ったところで由真が打席に向かおうとする。


「由真さん」


 そんな由真を止め、巧は一言だけ言った。


「立ち上がり、崩していきましょう」


 由真は手をひらひらさせて返事をする。そして、打席に向かっていった。

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