第42話 三年生と二年生⑥ 裏の裏とその裏

 鈴里のファインプレーで攻守交代となり、五回裏、先頭打者の土屋護がライト前にヒットを放ち、流れに乗ろうかというところ、その後の三人が凡退となり、掴みかけた流れを手放す形となった。


 しかし、その後の六回表、三年生チームの攻撃は三者凡退に終わる。珠姫は空振り三振、景は平凡なライトフライ、巧はフェンス際のレフトフライとなった。


 そして六回裏、三年生チームは守備位置の交代を行う。


「さて、これでどこまでやれるか」


 ピッチャーの夜空は続投だ。セカンドに入っている巧とキャッチャーの景がポジションを入れ替え、ファーストの珠姫がレフト、レフトの秀がライト、ライトの智佳がファーストとポジションを入れ替える。


 巧は自分自身キャッチャーの経験がないため不安もあるが、本来が外野手でサブとして内野を守る景にキャッチャー以外のポジションを守らせたいということでこのように入れ替えを行った。


 また、智佳も同様で本職のファーストを守らせたい。珠姫は以前は主にファーストだが、ピッチャーや外野も守っていた。そのため動きとしては問題ないだろうが、元々左投げの珠姫が今は右投げをしているというところで送球面はやや不安が残るところではある。


 智佳や景の本来のパフォーマンスのため、今後夜空をピッチャー起用するための練習、そして珠姫の外野起用という新たな挑戦、様々な理由を兼ねてこの回思い切ってポジション変更を行った。


 これが吉と出るか凶と出るか、それはやってみないとわからない。


 回始まりの投球練習を行う。規定数である三球目を投げ終えると、巧は二塁へ送球する。この一連の行動が回始まりに行うものだ。


「六回! 締まっていくぞ!」


 巧が叫ぶと、それに合わせて全員が返事をする。


 息は合っている。やはり三年生チームの状態はいい。


 巧はすぐに自分がどのようにリードしていくか、という思考に切り替える。


 打席には二番の明石雪穂だ。足も打撃もそこそこといった印象だ。守備はセカンドもライトもこなしているため、守備型の選手かもしれない。


 それで二番に入っているとなれば、バントが得意なのかもしれないという予想がつく。足のことを考えてセーフティバントはない可能性が高いが、警戒しておくに越したことはない。


 初球は難しい球で攻めていく。内角低めのストレート。構えたところにスパッと決まりストライクだ。


「ナイスボール!」


 良いボールだ。しかし、少し勢いが落ちている気がする。


 二球目、外角低めへのカーブだ。やはりイニングを重ねている分疲れが見えており、投球はベース付近でワンバウンドする。


 三球目、内角高めのストレートを要求する。夜空の指先からボールが放たれる。


 甘い。


 構えたミットよりもやや真ん中に入る。そして雪穂はその球を見逃さなかった。


 打球に合わせてバットを合わせる。しかし、高めの球に打球は打ち上がった。


「ショート!」


 フラリと上がった打球に、ショートの晴は落下地点でグローブを出す。


「アウト!」


 甘く入った球に一瞬ヒヤッとしたが、高く打ち上がった打球は平凡なショートフライだ。


 助かった。


 球威はまだ十分だが、コントロールがやや落ちている。決まるところもあれば、外れることも増えている。


 そして次は村中亜里沙だ。


 初球からコーナーを突く配球に徹する。しかし、内角低めのカーブは外れてボールだ。


 二球目の外角低めのストレートは構えたところに来たが、ライトへの大きなファウルとなる。


 甘く入って打たれれば痛手になりかねない。そう思いやはりコーナーを攻めるものの、コントロールは乱れてフォアボールとなった。


 次は四番の諏訪亜澄。長打が魅力的な打者なため、用心しなければ今の二点差もひっくり返る可能性だってある。


 そう思い、内へ外へ高低差を使って攻めていくものの、三球目の外角低めのストレートにうまく合わせられ、ライト横に運ばれる。


 亜澄は一塁で止まったものの、一塁ランナーの亜里沙は三塁まで到達した。


 ワンアウトランナー一、三塁。あっさりとチャンスを作られてしまった。そしてバッターはなおも厄介な光陵高校打線の馬場美鶴だ。


「すいません、タイムお願いします」


 巧はすかさずタイムを取り、マウンドに駆け寄る。この場面でも夜空のメンタル的には大丈夫だと思っているが、今後の投球の方針の打ち合わせと夜空の状態を確認しておきたいためだ。


 マウンドに向かうと、夜空は肩で息をしている。すでに体力は限界に近いのだろう。


「まだ投げれるか?」


「投げれるか投げれないかじゃなくて、投げないといけないでしょ」


 自分で招いたピンチ、そこはキッチリと抑えないといけないと言いたいようだ。


 元々この回からは秀に投げさせようと思っていた。ただ、初回以降ゼロを並べている夜空に対してまだ投げれるという期待と、今後の明鈴高校が大会で勝ち上がっていくために夜空の登板は必要不可欠なものだ。


 まだ巧が監督となってから夜空が登板する機会はそこまで多くない。そのため、少しでも長いイニングでの夜空の状態を見ておきたいという気持ちもあっての采配だった。


「ま、無理なら私がいつでも代わってやるよ」


 秀が夜空の背中を叩き、そう鼓舞する。対して夜空は「まだ全然いけるから!」と言い返す。


「とりあえず、球威自体はまだあるから、多少甘くなっても力で勝負して行こう。ストライクは多少甘くても球威で押し切れるし、ボール球を要求した時は大きく外れてもいいから」


 あわよくば際どいボール球で凡打や三振を狙っていきたいが、コースを意識させるだけでも十分だ。ストライクも逆にハッキリする分、見逃した場合に判定に困らない。巧は最後に「ど真ん中だけはやめてくれよ」とだけ付け加えて自分のポジションに戻った。


 巧はマスクを被り直すとバッターの方に集中を切り替える。


 バッターの美鶴は怖さはあるが、一発はそこまでないタイプだ。万が一にもホームランの可能性があるため、それを避けるためにも低めを中心に攻めていく。


 初球はまず外角低めのカーブだ。これは大きく外れてボールとなる。


 二球目、内角低めにストレートを要求する。夜空の投球はやや真ん中寄りに入ったものの、心地の良いキャッチャーミットの音が鳴る良いボールだ。


「ストライク!」


 これは文句なしだ。際どいコースでない分、判定は基本的に思った通りとなるため精神衛生良い。それにキャッチャー経験のない巧にはフレーミング技術も拙いため、ただ捕るだけでいい。


「ナイスボール!」


 巧は声をかけて返球する。夜空はまだまだやれる、そう思わせるためにも音の鳴りやすいキャッチングをし、その心地の良い音によって夜空の気持ちを鼓舞する。それが今の巧の役目だ。


 三球目、外角低めに要求したストレート。このボールもやはりやや甘く入ったため、ツーストライクと追い込まれる前に美鶴は手を出してくる。


 打球は三塁線、ファウルゾーンだ。いい当たりだったが、タイミングがやや遅れ、球威に押されているといったところだろう。カウントはワンボールツーストライクと追い込んだ。


 そして四球目、今度は内角高めにストレートを要求した。夜空の投球は、巧の構えたミットに向かって走るコースギリギリのストレートだ。


 ツーストライクと追い込まれている美鶴はこの際どいコースに手を出さざるを得ない。振っていったバットはその白球を捉える。打球は嫌な音を立ててグラウンドに高々と舞い上がった。


「……レフト!」


 力なく上がった打球はレフトの珠姫目掛けた飛球する。定位置よりやや斜め前、珠姫は難なく落下地点に入った。


 上がっていた打球は勢いを落とし、やがて落下する。そこには珠姫がいる。そして三塁ランナーの亜里沙はその打球の行方を見守っていた。


 打球は珠姫のグラブに収まる。瞬間、三塁ランナーの亜里沙が三塁を蹴った。


「バックホーム!」


 珠姫も捕球直前、少し後ろに下がって前に出ながら捕球し、バックホーム体勢を取っていた。そのため、捕球の勢いを利用し、そのままバックホームをする。


 ショートの晴はその珠姫とホームでミットを構える巧の間に入る。ただ、珠姫の送球は悪くなく、バックホーム送球をスルーした。


 亜里沙がホームに突入する。まだ送球は巧の手元に届かない。


 やがて、亜里沙がホームに滑り込むのを一拍待ってから送球はやっと巧の手元に届いた。


「セーフ」


 余裕の走塁。主審の神代先生は念のためコールをしたが、判定は一目瞭然だ。


 巧はすかさず一塁に送球する。送球を逸れるのを期待して少し出ていたランナーの亜澄を牽制する。しっかりとそれを見ていた亜澄は戸惑うことなく一塁へと戻った。


 やはり普通に送球できるとはいえ、利き手ではない手で投げる珠姫の送球は鋭いものではない。しかし、バックホームまでの体勢は十分なものだった。


 これで一点差。口には出さなかったが、この一点は仕方ないと巧は割り切っていたため、そこまでの落胆はない。


「ツーアウト、ツーアウト!」


 ワンアウトランナー一、三塁の状況から一点を返されたとはいえ、これでツーアウトランナー一塁。連打でチャンスが継続されれば状況的に好ましくはないが、アウトカウントを一つ増やすことには成功している。


 しかし、ここで不動の正捕手の魁が打席に入る。


 魁には小細工は効かない。キャッチャーを二試合ともするという守備面の負担からクリーンナップを外れているが、実力面では光陵のクリーンナップ陣と比較しても勝るとも劣らない。


 初球、外角低めの甘いストレート。魁はこれに反応していくものの、僅かにラインを割って三塁側へのファウルとなる。


 二球目は内角低めへのストレート。これは多少外れたボール球となったが、魁も僅かに反応している。


「オーケーオーケー!」


 外れても問題ない。多少外れたとはいえ、際どいボールだったため魁は反応している。気を張っている証拠だ。


 この打者は配球で仕留めるなんて考えていない。そんなことを考えたところで巧程度のリードでは読まれてしまうだろう。


 ここは力で押し切るのみだ。


 三球目、今度も低めに集めたストレートに魁は反応するものの、空振り。弱っている夜空を仕留めようというスイングだったが、それが空回りした形となった。


 そして四球目だ。低めを意識させてからの四球目、夜空の指先から放たれたボールは高い。外角高めへのストレート。しかし、それは巧が構えたミットから大きく外れ、明らかなボール球となった。


「まじかよ……」


 巧は声を漏らす。低めを意識させるだけさせての高めの球。多少外れるだけであれば空振りもあったが、大きく外れたためにスイングをする選択肢すらなかった。


「残念だね」


 魁は夜空を見ながらそう言った。低めを意識させてから高めで勝負する、巧の作戦を魁は読んでいた。


「まあ、こればっかりは仕方ないですよ」


 キャッチャーのリードだけでピッチャーが思い通りのボールを投げられるわけではない。逆にリード通りの投球をしてもピッチャーとバッターの力量次第では打たれることだってある。そんなことは重々承知の上だ。


 準備は整った。


 五球目、高めのストレート。多少際どいがこれは外れる。魁も完全に見極めていたように打つ姿勢を見せなかった。


「ナイスボール! いいぞ!」


 巧は絶えず夜空を鼓舞する。ここまで張っていた緊張の糸も、プツリと切れてしまえばそれで連打を浴びておしまいだ。


 六球目、ファウルでなければ泣いても笑っても終わりの勝負の一球。夜空は投球体勢からその神経を指先に張り巡らせる。そして、魁も打撃体勢から足を踏み込んだ。


「……なっ!」


 魁から声が漏れる。それもそうだ、投球はど真ん中に構える巧のミットを目掛けてやってくる。……ゆっくりと。


 フワッとした緩い球。そのボールに魁のタイミング、打撃体勢は完全に崩れていた。


 まだ手元に届かない。スイングをしていない魁には選択肢がまだある。このままバットを止めてスイングしない、無理やりにでもバットをボールに当てに行く。ど真ん中のこの球に前者の選択肢はなかった。


 崩れた打撃体勢からバットをボールに当てに行こうとするが、まだまだボールは届かない。魁の踏み込んだ足も、出したバットももう止まれない。


 あと数センチ、というところでバットは空を切り、ボールは巧のミットに『ぽすん』とやる気の失せるような音を立てて収まった。


「……ストライク! バッターアウト!」


 主審のコールを聞き、巧は夜空を指差して叫んだ。


「ナイスボール!」


 作戦通りだ。巧は心の中でガッツポーズする。


 ストレートばかり投げて力で押し切ることを意識させたことがまず一つ。そして四球目に高めに大きく外れたのも作戦だった。


 低めを意識させて高めで勝負なんて読まれてしまうだろう。そのわかりやすい作戦を敢行していたかのように見せかけるために、あえて巧は落胆していた。これが二つ目の作戦だ。


 この二つでバッテリー側が不利と見せかけた状態で緩い球、チェンジアップで仕留めた。もちろんそこまで読まれていればただの絶好球だっただろうが、無駄な小細工はできないと踏んでいた巧たちにはこの選択肢しかなかった。


 一点返されたものの、まだ一点のリードを保っている。


 あとお互いの攻撃は一回ずつ。それでこの試合の勝者が決まる。

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