第1話 社畜の日記
毎日外に出してもらえるとはいえ、一人暮らしの男の家だ。大した広さもないし、そもそもうちのご主人は、社畜と呼ばれる生命体であるようで、一日のうち家で活動しているのはほんの数時間程度である。
さらに言えば、一週間を総合しても、大した数字にはならない。
そして、そんな生活をしているような人間の部屋には当然ながら、娯楽も乏しい。世の中のペットは一体何を考えて過ごしているのだろうか……。
几帳面なことに、ご主人は物の配置を決めていた。そして、テレビのリモコンは低いテーブルに置いてあり、なんとか登れる位置だった。だから最近は、適当な番組を選別して時間を潰していた。
だが、毎日見ていれば、どれも同じようなものばかりだし、ニュースだってろくな話がない。だんだんと、飽きてきて結局睡眠時間が増えるばかりの日々となっていた。
俺がここにいる理由、あるいは意識が存在している必然とはいったい何なのか――それとも、フィクションとは違う、現実だからこそ、どこにも意味などないのだろうか。
ある日、ご主人はいつも机の上にきちんと片付けているノートを、床に落としていた。気づかなかったのか、あるいは急いでいたのかわからないが、毎日帰ってくると、開いて何かを書いているノートである。
日記帳、自作小説、あるいはポエム――娯楽として楽しむことは期待できるのではないだろうか。
俺はそっとそのノートを開いた――。
六月二十七日
大人になれば――労働に勤しむようになれば、親の偉大さを理解するという。
勿論それまでの生きてきた道の中で、感謝や尊敬の念は常に持っていたつもりではあるし、口には出さなくとも、それが大数ではあるように思う。
だが、社会に所属してみれば、それがリアルとなって感じ取るようになる。
社会人になるということ、集団や組織の中に入るということがどういうことか――そんなことは数か月もしないで理解はできていた。
灰色は全部白。黒も役職が上の人間が白だと言えば白。返答は『はい』か『YES』。
理不尽で、不条理で、そして非合理だ。
だがその不満を口にすれば、これが『当たり前』だと――間違っているのはお前だと――それは甘えだと、そう言われる。
そんな場所に生きていながら、『普通』に過ごすことがどれだけ難しいか……。
それこそ、『普通』の基準は家庭環境に大きく依存するだろうし、決してそう呼べるような家庭ばかりではないのだろうが、少なくとも自分は親から暴力や虐待を受けた記憶はないのだ。
費やす金は膨大で――でも、そのことを理解していなくて――時には反抗的な態度を取る――その何も知らないクソガキに、犯罪に関わるようなことをせずに、育てていく。
それが親の責任と言ってしまえば、その通りなのだろう。
報道される虐待はあくまでも氷山の一角ではあり、今でも露見していない多くの被害者――あるいは自らが被害者であるとすら認識できていない者も多く存在しているとは思うが、しかしそれでもルールと倫理を守っている家庭もかなり多いはずだ。
生きることは難しい。
犯罪行為をすれば、楽ではないか。
壊せば解消される――。
盗めば手に入る――。
騙せば利益が得られる――。
脅せば奪える――。
集団に埋もれることにメリットなんてない。
外れることにデメリットがあるだけだ……。
七月三日
毎日毎日、会社に向かうための道で、自分自身が、通勤ラッシュという概念の
そしてふと思い出すのだ――昔やったゲームのことを。
何度話しかけても同じ返事を返す、同じ場所をずっと歩き続ける――俯瞰してみれば、自分たちも彼らと何も変わらないのではないか。
同じ道を歩き、同じような作業を続け、同じような言葉で責められる。自分も、上司も、部下も、同期も、顧客も、皆ただのNPCなのだ。
当時はゲームの中に入りたいなどと考えてはいたが、今はもうゲームなんてすっかりしなくなった。ゲームをしなくなった頃に、まるでゲームの登場人物のようになれるとは、皮肉な話だ。
ゲーム世界に憧れる多くの人々へ――よかったな、現実はRPGの世界だった。
ただ主人公にはなれないだけで……。
八月十三日
死にたいと思ったことはないが、生きたいと思ったこともない。
ならばなぜ生きている……?
答えは簡単――死なないから。ただそれだけだ。
油断すれば、『あっち』に吸い込まれそうになる。
駅のホームに立てば、自然と重心が点字ブロックの向こう側へ向く。
歩道を歩いていれば、国道を制限速度を遥かに超えた速度で走る車の方へ、足が動きそうになる。
高い場所にくれば、そのまま重力に従って落下加速に入りたい。
でも、死にたいとは思ってないのだ。
それに、実際の行動に移さないのは、色んな人に迷惑がかかると理解しているから。
だから、きっとそのことが考えられなくなった時に、自分は解放の道を選ぶことになるのだろう。
こんなにも世界は死ねる要素に溢れているのに。
生きる要素は欠片もない。
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