(短編)社畜と犬

美里ミリ

第0話 プロローグ

 気が付けば、俺は犬になっていた。四本足で歩き、視界は低く、物の全てが大きく見える。言うなれば、転生したら犬だったということだ。


 下らない洒落の評価は置いておくにしても、それにしては不可解な点がある。


 確かに、最近は必ずしも人間に転生するものばかりではないし、場合によっては生物ですらなく、場合によっては概念になることすらあるのだから、その中で身近な生命となったことは納得しよう。


 しかし、そんな知識があることに対し、生前の記憶に関しては、自分がどういう人生を辿ったのか、どんな人間であったのか――何一つ覚えていないのだ。死んで、神様的な何かに、チート能力を頼んだ覚えもなければ、死の淵にいた記憶もないし、そもそも自分の名前も、家も、年齢も、職業も、何一つわからない。


 加えて、今俺がいるのは、剣と魔法のファンタジーでも、AIが支配する近未来SF世界でもなく、自動車が空気を汚し、人々が無意味に時間と資源を消費する――俺のよく知る世界だった。むしろ、犬になったせいで嗅覚が鋭くなったことと、高さが丁度良い場所となったことから、排気ガスへの嫌悪感は増し、喫煙者には殺意が沸いてくる程だ。


 現状としては、記憶がない以上、元人間面をするのもどうかとは思うが、しかし、すぐ目の前に落ちているスーパーのチラシだって読めるし、飼い主が見ているニュースの言葉だって理解できる――いや、実際犬は人の言葉が理解できている――とかそういう議論は抜きにして……。というか、その辺りの発想ができる時点で、もう人間であると認めてくれてもいいだろう。人権をここに宣言したい。犬だけれど……。


 俺の飼い主は、二十半ばくらいの男性で、いつも疲れた顔をしていた。どうやら一人暮らしのようだ。

 それでも、エサと散歩は毎日かかさずしてくれる。散歩に連れて行かないことも、虐待になるとかなんとか、聞いたことがあった気がする。だから客観的に見れば、いい飼い主なのだろう。


 ペットに話かけるようなタイプでもなく、名前も呼んでくれないから、俺の今の名前もわからない。

 ところで気になることが一つ。

 話しかけるタイプと同様の宗派として、ペットに服を着せるか否か、という派閥争いが世の中には存在する。


 ここで、思うわけだ。


 あれ?そういえば、俺、裸やんな。全裸やんな――と。


 流石に、人間を主張する身としては、すっぽんぽんなのは非常にまずいのではないか。

 とはいえ、犬用の服って人間に置き換えたら、上半身にTシャツ着てるだけのようなスタイルになるのでは……?イメージ的には、黄色い熊さんみたいになるよなぁ……。

 そっちの方が犯罪性は高い気がする……。


 だが、俺は生前どんな人間かわからない。つまり、めちゃくちゃ巨乳で、美人のえっろい女の子かもしれないということだ。

 えっろい体にTシャツはむしろサービス――。


 わかっている……。一人称については、まだ判断の保留はできたとは思うが、この発想をする時点で、確率はぐっと低くなっただろう……。


 一人称が『俺』の邪なことばかり考える、グラマラスおねえさん――ということも否定はしきれないが――まぁ基本的にはないだろうな。



 まぁそんな感じで――俺の新たな生活が始まった。

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