ルート分岐3/ラスプ(2)

 ぞくぞくぞくっと、背筋を電流にも似た刺激が走り抜ける。やだ、やだ、その声、だめ、だめだよ


 薄く笑った狼人間は、ふっと息を吹きかけた後、傲慢な命令を下した。


「声、聞かせろよ」

「ぁ……あーっ、あーっ!」


 なにこれ、あたま、ふわふわする




 もうゆるしてと懇願しても耳ばかり責められて、ようやく離してくれた時、私はぐったりと力尽きていた。


 身体を返されて仰向けになる。覆い被さるように両手を押さえつけたラスプは、こちらを見下ろしながら鼻で笑った。


「えっろ」

「……」


 なに、いってるんだろう。あたまぼんやりしてよくわかんないや。


 首すじに顔をうずめられ、ひやりと尖った牙の先を当てられる。


「このまま食いちぎってやろうか」

「やぁぁぁ……」


 クッと歯が食い込む恐怖と、れろぉと舐め上げられる舌で視界が歪んだ。


 食べられる、食べられてしまう。あぁ、きっと今にもガブリと息の根を止められて――


 震えは止まらないのに、心臓がドキドキしていて全身が熱い。こんなの、絶対だめなのに、どうして


「期待してるクセに」

「ちが、違う……っ、わたしそんなぁっ」


 ぼろぼろと涙を流していると、私の泣き顔を見ていた魔物はすぅっと表情を消した。そのまま目じりに溜まった涙を舐め取られる。


「ひぅっ!」

「……甘」


 次は何をされるのかとビクビクしていたのだけど、彼はそれきり俯いてしまった。前髪が顔にかかり表情が見えなくなる。


 シンとした静寂が降り、窓から射し込む月の光が部屋の中に陰影を作り出す。長いのか短いのかわからない時間が過ぎた後、彼はぽつりと呟いた。


「オレは、誰も好きになんかならない。自分のテリトリーに入ってきた獲物を狩っただけ、それだけなんだ。これにはそれ以上の意味なんてなくて」


 未だ出血の止まらない肩の傷口からぽたりと雫が落ちて来て、私の白い夜着に赤い華を咲かせる。


 こちらを押さえつけていた手を離し、少し身を引いた彼は前髪をくしゃりと掴んだ。


「いったい誰が赦すんだ、オレにはそんな資格なんか……」


 その声があんまりにも苦しげで、私は上半身を起こしながらそっと呼びかける。


「ラスプ?」

「ちがう、オレはラスプなんて名前じゃない、本当の名なんてとっくに」

「ラスプ」

「ちがうんだ、本当は」


 彼の悲痛な声が胸に刺さる。


「誰かを好きになるなんてありえない……こんな感情、間違いだ」


 この人は、自分の心に自らナイフを突き立てている。ズタズタになるまで、何度も何度も。


 心を殺してしまう理由はわからない、だけど


「!!!」


 乗り出してそっと彼のマズルに手をあてる。驚いたように見開かれた真紅の瞳は、泣いてこそいなかったけど傷ついたような色をしていた。舐めたらおいしそうだな、なんて場違いな考えが浮かぶ。



「誰かを好きになっちゃいけないなんて、そんなこと絶対にないよ」



 私だって、立谷先輩を好きになって良かったと思ってる。嬉しかった。たとえこの先未来に何か起こったとしても、この感情は間違いなんかじゃないって声を大にして言える。


 心を殺さないで、自分で自分を傷つけなくてもいいんだよ。そう小さく続け、顔を近づける。


「アキ――」


 言葉ごとふさぎ、隙間からそっと挿し入れる。中の液体がすぐに彼の喉を通り喉仏が上下する。ちゃんと呑み込んだのを確認してから私はそっと離れた。


「な、にを」

「これだけ暴れたんだもの、疲れたでしょ? 眠っていいよ」

「……」


 ルカの睡眠薬入りミルクの効果はてきめんで、みるみる内にラスプの目の焦点が合わなくなっていく。


 それでも重たいまぶたに何とか抗おうとしている彼はうわごとのように繰り返した。


「オレは、おまえのこと、なんか」

「はいはい、嫌いだって言うんでしょ?」


 そのおざなりな返しにムッとしたようで、急にこちらの腕を掴んで引き寄せる。


「わっ」


 正面から抱え込まれる形になった私は、背骨が折れるほど力強く抱きしめられ恐怖する。も、もう寝るよね!? 睡眠薬効いてるんでしょ!? ねぇ! 死ぬ~~!


「オレは、お前が――」

「え?」


 最後に耳元を掠めた言葉を最後に、彼の身体がシュゥゥと変化していく。


 気付いた時には、深い寝息を立てる赤いオオカミが私にもたれ掛かるように横たわっていた。それを確かめた瞬間、へなへなと崩れ落ちる。


 一時はどうなることかと思ったけど睡眠薬が効いてくれてよかった。勝手に盛ったのは別としてルカに感謝しなきゃ。


(さっきの、って)


 ふと、ラスプ言いかけた言葉が頭の中でリピートされカァッと頬が熱くなる。あの後に続くはずだった言葉って――い、いや、話の流れ的に『大嫌い』かもしれないしね! うん! きっとそう。

 そう結論付けた私は、膝の上で安らかに眠るオオカミを見下ろし、そのしなやかで触り心地のよい毛並みを撫でてみた。


(いつか、話してくれる日がくるのかな?)


 この人の何が自分を責めさせているんだろう。でも無理に聞くのはよそう、心の傷っていうのは他人がそんなに簡単に触れていいものじゃないから。


「……ふぁ」


 緊張の糸が切れたのか、ここにきて急に睡魔が襲い来る。大あくびをした私は目の前のもふもふに倒れこむようにして意識を飛ばしたのだった。



 ***



「去勢」


 翌朝の大広間は、笑顔で腕を組むルカの目の前でラスプが正座させられると言う光景から始まった。


 耳を完全に寝かせ、尻尾が「ぶわぶわ」になっている狼青年は威圧感に押しつぶされまいと気丈にも口を開く。


「あ、あのな?」

「去勢 or 打ち首」

「究極の二択すぎやしませんか……」

「ぷっ、くく……玉無しぷーさん……」

「聞こえてんだよクソ死神!!」


 ダンッと立ち上がったラスプは、広間に入ってきた私に気付いたのかビクッとすくむ。振り返ったルカが気の毒そうな顔をしながら口を開いた。


「災難でしたね主様。浴槽でしっかり汚れを落として来ましたか? 一晩ケモノくさい駄犬に寄り添って眠るだなんてさぞ臭いが染み付いてしまったことでしょう」

「駄犬て」

「言われた通りお風呂入ってきたけど……」

「そうですか、ではそちらの床に正座」

「させるんだ!?」


 思わずツッコミを入れるも、気付くと足を折りたたんで正座の体勢に移行していた。ハッ、体が勝手に!?


 ため息をついて腕を組むルカに見下ろされお説教が始まった。これじゃどっちが主人だか分からない。


「まったく、何て危険な真似をするんですか。あの状態のラスプに近づくなど自殺行為ですよ」

「説明してくれれば良かったじゃない! それを騙すように睡眠薬なんか飲ませてさぁ、私だけじゃなくてルカにも責任はあると思う!」


 どうにも納得いかなくて食って掛かる。そうよ、最初から全部話してくれれば私だってもうちょっと慎重になったわよ!


 だけどスゥっと目を細めたバンパイアは、私の鼻先をちょんちょんと触りながら諭すように言った。


「言ったところでどうなります? きっとあなたは『ラスプを縛り付けるなんてひどい!』など非効率的かつ無意味極まりない感情論を持ち出すことでしょう。それを説得しているうちに夜になりますよ、なら始めから眠らせて今回だけはやり過ごそうと考えてしまうのも自然な流れだと思いませんか?」

「え、う、っと」

「それに私の予定でいくと貴女は朝まで何も知らずに熟睡する予定だったんです。そのためにわざわざきっちり計算に計算を重ね睡眠薬を仕込んだというのに主様と来たら一口飲んで倒れるとかどれだけ耐性ないんですか、そのせいで夜中に目が覚めてしまったのを私のせいにされてもお門違いと言うものです、迷惑を被ったのはむしろこちらですよ。さぁ、ごめんなさいは?」

「え、その、えっと」

「『ルカ様の配慮にも関わらず、ご期待に沿えなくて』?」

「ご、ごめんなさい?」

「わかればよろしい」

「!!! ちょっと、違うでしょこらぁ!!」


 なんなんだこの誘導尋問は!?


 思わず憤慨していると、トトトと寄ってきたライムが耳打ちするようにコソッと教えてくれた。


「あのね、ぷー兄ぃがあんな状態になっちゃうのをアキラ様に教えるのはまだ早いんじゃないかって、ルカ兄ぃはそう考えたんだよ」

「まだ早い?」

「そう、もしかしたらビックリしてキライになっちゃうかもしれないでしょ? だからぷー兄ぃのタメにも、アキラ様のタメにも、もう少し時間を置いてからの方が良いって」


 まぁ、確かに「今晩発情してあなたを襲ってしまうかもしれないので近寄らないで下さい」なんて自分から言うのは恥ずかしい、できればそうなってしまう事自体隠したいかもしれない。


 そっぽを向きながらも、しっかり耳をたてて聞いているラスプにも届くよう、私はハッキリと口にした。


「でも、仲間なんだから嫌いになんてなるわけないよ、これからは隠さないで教えて欲しい」


 その言葉にルカは苦笑してライムはニッと笑う。ま、今回はお互いに悪かったって事で収めよう。


「ところでひとつ気になったんだけどさ」


 それまで半分眠りかけていたグリが、少しだけ険しい顔つきで発言する。次の一言でみんながゴクリと息を呑んだのがわかった。


「睡眠薬、どうやって飲ませたの?」

「どう……って」


 張り詰めていく空気の中、私は空になってしまった小瓶を取り出して、その時の様子を再現してみせる。


「ちょっと怖かったけど、こう、手で口をこじあけて、隙間からガッと瓶を突っ込んで流し込んだけど?」


 すると一気にみんなの表情がゆるむ。なんで、あの状況でそれ以外にどうやれと。


「よかった~、ホントに何もされてない?」


 膝に飛びついてきたライムを受け止めながら考える。まぁ押さえつけられたりはしたけど


「平気だよ、最初は痛かったけど、最後は優しくしてくれたから」


 ピシッと空気が固まる。え、なにごと。


 ゆらりと陽炎のように移動し始めたルカとグリが、ラスプの方へ少しずつ近づいていく。


「待っ……目がマジすぎるぞお前ら!!」

「ぷー兄ぃサイテー」

「主様、次の建造物は断頭台にしましょう、えぇ早急に」

「そんなの待つより、俺がこの場で切断した方が早くない?」

「では駄犬、決断の時ですよ。首か、下か」

「その剪定鋏をどうするつもりだ!置け! アキラおい!誤解だろ!? 未遂だったんだろ!? 何が?って顔してんじゃねぇよ!!」


 えーと、よくわかんないけど、とりあえず


「おなかすいた」

「ばかやろーっ!!」

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