ルート分岐3/ラスプ(1)

※背後注意


 ふ、と意識が浮上する。いつの間にか眠っていたのだと自覚すると同時に煌々とした光が覚醒したての脳に差し込んでくる。窓の向こうで輝く金色の満月はまだ空の高い位置にあった。


「ん、あれ……?」


 眠りにつくまでの記憶がどうにも曖昧だと周囲を見回すと、ベッドのサイドボードに置かれた就寝前のミルクが目に入る。珍しくルカが運んできたものだ。


「ちょっとどういうことよ、主人に一服盛るだなんて何考えてるわけ?」


 あの腹黒執事が笑顔で持ってきた時点で警戒するべきだった。一口飲んだだけであの眠気は明らかにおかしい――って


 慌てて自分の全身を点検する。特に衣服が乱れているわけでもないし、痛いところも何かをされた形跡もない。その事を確認してからホーッと息をつく。いやね、さすがにね、ルカでもそんな卑劣な真似はしないよね。


 だけど睡眠薬的な何かを盛られたのは間違いない。朝になったら問いただしてやると、My調味料用の空き小瓶にどぽどぽと疑惑のミルクを移し変える。キュッと蓋をしたその時だった。


「!?」


 何の前触れもなく、階下で何かが暴れているような振動が突き上げて来た。すさまじい破壊音の合間に何やら獣のうなり声のようなものまで聞こえて来る。方角的には……ラスプの部屋の辺り?


 凍り付いたように動けずにその音を聞いていたのだけど、重たい何かが倒れるような音を最後にシンとそれきり静まり返ってしまう。


「ちょ、ちょっと何? 誰か居ないの?」


 事情を説明してくれと廊下に顔を出そうとするのだけど、ガチンという手ごたえと共に引っかかりを感じる。なに、これ、外から施錠されてる? 混乱した頭で状況にさっぱり追い付けない。


(とりあえず、様子見……)


 しばらく考えていた私は、バルコニーから下の様子を伺う事にした。ガラス戸をそっと開け、這いつくばりながらそーっと覗き込むと、ライムとラスプの部屋続きになっている三階のバルコニーが見える。特に何ともないみたいだけど――


「ひっ!!」


 油断した私の意識をひっぱたくように、ガシャンという音と共にラスプの部屋を突き破って何かが飛び出す。おそらく置き時計だと思う重めの物体は、ガラスの破片を巻き込みながら下の暗闇へと落ちて行った。


(なによぉ、なんなのよぉぉ~~)


 何で誰も出てこないわけ? 私、ホラー物ダメなんだってばぁ!!


 涙目になりながら震えていたのだけど、誰かのうめき声にハッと我に返る。あの声は……


(ラスプ?)


 割れたガラス戸の中から、よく聞き知った苦しそうな声が聞こえて来る。どうしよう、きっとケガしてるんだ。


 城の中に危険な魔物が侵入して暴れていたのかもしれない、そして応戦したラスプは負傷して苦しんでいる?


(行かなきゃ!)


 そう結論を出した私は助けに行くことを決めた。もう音はしないしきっと大丈夫!


 手すりを乗り越えて柵につかまりながら下へと飛び降りる。幸い足をひねることもなく着地に成功。


 念のためライムの部屋の方も覗いてみたけど、カーテンがきっちり引かれていて中の様子を窺い知ることはできなかった。軽くコンコンと叩いても反応なし。隣であれだけハデな音がしていて起きないはずないから、本当に居ないのかも。


 不在の理由は気になったけど、とにかくラスプの安否を確認しようとそちらに戻る。ギチャギチャに割れたガラスに気を付けながら中を覗き込んだ私は息を呑んだ。


 ベッドの向こう側に、倒れている足が見える。


「ラスプ!」


 慌てて鍵のかかっていない扉を開けて中に駆け込みベッドを回り込む。全身をズタズタに引き裂かれた彼は、うずくまるようにして壁とベッドの隙間に倒れていた。


「生きてる!? 何があったの? 誰がこんなひどい事……っ」

「……アキラ?」


 何かうめいた彼をひっくり返して息があることにホッとする。だけど突然響いた冷たく重い音に動きが止まる。


「え――」


 身体の下敷きになり見えていなかった彼の右手首には、太くて頑丈な拘束具が嵌められていた。そこから伸びる鎖をたどっていけば柱に何重にも巻きつけられていて、まるで繋がれているような


「うわっ!?」


 いきなり肩を掴まれて引き倒される。床に押し付けられるようにうつ伏せになった私は、後ろ手にまとめ上げられ手首に鎖を一周ジャラリと巻きつけられてしまった。


 何をするのかと身体をひねろうとすると、またがったラスプが膝で私の背中を抑え込む。苦しさでぐえっとなった瞬間、上から冷たい声が降って来た。


「発情中の狼人間に近づくとか、とんだ好き者だな」

「なっ、なに……!」


 なんとか首だけで振り返ると、いつもとは全く違う瞳にぶつかる。どこか切羽詰まったように熱を含んだ赤いまなざし。その影に見え隠れする欲望に気づいてぞくりと肌が粟立つ。


 はつ、じょうちゅう? 狼で満月だから? 一気にサァァと血の気が引いていく。


「わ、たしはただっ、あなたが魔物に襲われてるかと思って……っ」


 彼の肩は鋭い爪で割かれたかのようにざっくりと切れて血が滲んでいる。肩口から胸に向かって引き下ろされた裂傷は、着ている服も引き裂き布地の隙間から逞しい胸板が覗いている。


「魔物? 魔物…… あぁ」


 気だるそうに髪をかき上げたラスプは、自分の手を――毛が生えググッと一気に巨大化した手を自分の傷口にピタリとあててみせた。見慣れた顔の鼻先が伸びてゆき、顔面が毛で覆われていく。大きな口からこぼれた歯がギラリと光る。初めて見せる半獣の姿で彼は皮肉っぽく笑った。


「魔物はオレだよ」

「まさか、自分で?」

「ごちゃごちゃうるせぇな……」

「っ、」


 少しだけ声に苛立ちを混ぜたラスプは鋭い爪のついた獣の手で私の頭を抑え込む。


 ヂャリと鎖の音がして、右のふとももを指でツゥと撫で上げられる感覚が走る。ひっかけられた夜着の裾が下着のラインまでたくしあげられ、ひやりと冷たい空気にさらされた。


 魔物はグッと耳元まで口を寄せたかと思うと、ビリビリと鼓膜が痺れるような低い声で囁いた。



「お望み通り突き殺してやるよ」



 ***



 とろけそうな色をした見事な満月の明かりが地上に光を落とす。


 ランタンの灯りが要らないほど見通しの良い道を歩く三つの影があった。一番小さな影が来た道を振り返りながら不安そうに声を漏らす。


「ホントに大丈夫かな~??」


 頭の上に手首を乗せた少年は、巨大なシルエットになっているハーツイーズ城を遠くに見やる。先ほどから足取りが重たい彼を安心させるように、前を歩く男は優しく言った。


「出る前に確認しましたがよく眠っていたので大丈夫でしょう。鍵もかけておきましたし、万が一目が覚めても窓から出るだなんて女性はしないと思いますから」

「眠っていれば、あの騒音も気にならないよね。俺も次からそうしようかな」


 月の光を受け若干金髪になっている死神も同意する。それでも不安そうにしていたライムを促すように彼は声をかけた。


「ほら、村で一晩飲み明かすんでしょ。置いてくよ~」

「あ~っ、待ってよグリ兄ぃ、ルカ兄ぃ~!!」



 ***



「やっ、待っ……ラスプ!!」


 正気に戻ってくれと呼びかけるのだけど、いきなり耳を舐められてビクンと反応してしまう。ラスプは耳の輪郭をたどるようになぞった後、わざとらしく水音を立てては執拗に舐め続けた。


「んっ、ぅ、っ」


 いやらしい音がダイレクトに耳の中で反響して死ぬほど恥ずかしくなる。な、んで、わたし、こんな……!


「……っ……っ!」


 必死に堪えていると、ふいに刺激が止まった。助かったと息を吐こうとした瞬間、舌の代わりに熱い吐息が滑り込んでくる。


「おい、誰が我慢して良いなんて言った」

「~~~ッ!!!」

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