5/14 ラスプ誕生日SS「手探りの距離感」
ハーツイーズ城の幹部達が住まう三階の廊下は暗い。とにかく暗い。節約するため廊下のところどころにあるロウソクがほぼ飾りと化しているせいだ。
不便極まりない照度ではあるが、この階層に住んでいる彼らは魔族なだけあって夜目の利く者が多く、わざわざ明かりを点けようと言った意見はこれまで出ることはなかった。
そういうわけで、明日の朝食の仕込みを終えた赤毛の青年も颯爽と暗闇の中を難なく歩いていく。
ところが後少しで幹部たちの部屋と言うところでふと足を止めた。前方数メートル先にうごめく何かが居る。
(侵入者か?)
いつでも飛びかかれるように体勢を低くした瞬間、すさまじい音が廊下に響き渡った。
「!?」
寝た子も飛び出して来そうなほどの騒音だったが、あいにく今夜は皆それぞれ用があり、空っぽの部屋から住人が飛び出してくることはなかった。
音の主は誰も聞いて居ないと判断したのだろう、大声で不満をぶちまけ始める。
「いったーい!! 誰よ、こんなところに箱なんて置いたのは!」
「……アキラ?」
呼びかけながら近寄ってみれば、散乱した木箱の中心で魔王が情けなくすっ転んでいる。彼女はハッとしたように顔を上げるが、視線を宙に彷徨わせこちらを捉えることができないようだった。
「その声、ラスプ? どこ?」
「どこって、目の前」
「見えないんだってば、ここ?」
ヒトの視力はそこまで弱いものなのかと、逆に関心して成り行きを見守る。あきらは声だけを頼りに両手を前に突き出し「あわあわ」と上下にせわしなく動かしていた。その必死さに思わず噴き出しそうになってしまう。
これは珍しいこともあるもんだと、目の前でしゃがんで観察する。しばらくすると彼女は眉をハの字に下げ、途方に暮れたような声を出した。
「ラスプ~どこ? もしかしてもう行っちゃった?」
泣き出しそうな表情に、一瞬「可愛い」と思ってしま――違う、何だ今のは、気の迷いだ。
慌ててその考えを頭から追い払った男は、ニヤリと笑って指を一本立てた。そのまま彼女の額を小突く。
「うりゃ」
「に゛ゃっ!?」
バタンと後ろに倒れたブザマな姿をケラケラと笑ってやる。跳ね上げるように上体を起こした魔王は今度こそとばかりに男の手首をガッチリと両手で掴まえた。
「何するのよっ、ここね? もう逃がさないんだからっ」
「別にオレは逃げも隠れもしてないけどな」
せせら笑うが、同時に疑問に思う。こんな見通しの利かない中を手探り状態で歩いてまで、彼女はいったい何をしに来たというのか。
この先にあるのは――ルカの部屋だけだ。
その事実に思い当たった瞬間、沸騰しかける湯のように弾み始めていた気分が、差し水でもしたようにすぅっと冷めていく。
「……どこへいくつもりだったんだ?」
「どこっていうか、その」
なんとも歯切れの悪い答えにじわりと胸中に苦いものが広がる。
あのいけ好かない吸血鬼は、この女を手のひらで転がし遊んでいる印象がどうにも拭えない。この前だって……
眉根を寄せた男は掴まれている手首を逆に掴み返し、軽々と彼女を立ち上がらせた。
「あ、ありが……と……?」
そのまま離さず、片手でまとめ上げた手首を壁に押し付けるように固定する。それでもなお、あどけない表情でこちらを見上げるあきらに少しだけ苛立ちが募った。
「なに、どうしたの?」
ポカンとしたままなのはこちらの表情が見えないからなのか、いや、相手が自分だから?
砂を噛むような思いが広がった。男として意識されていない事実に急激に腹が立っていく。
「お前、警戒心なさすぎ」
「へ」
空いている右手で彼女の顎をつかんで一方的に視線を合わせる。見開いた瞳の中に映りこむ自分の影は、どこかぼんやりとしていて
「言え、こんな真夜中に、誰に用があってここまで来た?」
どうしてそんなことを気にするのかと頭の中で冷静な自分が問いかける。
聞くな、聞いて後悔するのは自分だぞ
後悔? なぜ後悔など――
自問自答を繰り返す中、小さく開いた彼女の口からその名前が出た。
「ルカ――」
「っ、」
バクンと鼓動が跳ねる。カッと頭に血が上り、強制的に口を塞いでやろうかと無意識下で動きかけた瞬間、
「から聞いたんだけど、ラスプ誕生日なんだって?」
「……は?」
予想外の展開に思わず間の抜けた声が出てしまった。ゆるんだ拘束からあきらが抜け出し、手首をさすりながらこう続ける。
「通りかかったら日付が変わってたし、『おめでとう』って一番に言いにきたんだけど、あんまりここが真っ暗で立ち往生しちゃってさ」
アハハと照れ笑いをする彼女を前に立ち尽くす。
誕生日? すっかり忘れていた。確かに今日は自分が生まれた日だ。だが魔族に己が生まれた日を祝う習慣などない。
「……」
ここにきて自分がした事が恥ずかしくなってきた。
嫉妬に駆られて自分は、何を、した?
いや違う、嫉妬じゃない、ないから、こんなガキに、ないって言ってんだろクソがあああ!!!
男が内心叫んでいるのにはお構いなく、目を輝かせた魔王は拳を握り締め鼻息荒く尋ねてきた。
「ってことで、何か欲しいものある? 私にできることだったら何でもしてあげるよ!!」
ようやく暗闇に目が慣れてきたらしい彼女は、脱力してしゃがんだこちらをキラキラとした瞳で見下ろしている。もはやため息しか出て来なかった。頭を抱えて呻く。
「だからそういう紛らわしい発言はやめろ……」
「?」
ドヤ顔で疑問符を頭上に浮かべる魔王様には、当分敵わなそうだ。
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