38.なんということでしょう

 かぽーん……


 白く煙る視界の向こうで、湯から上半身を出した鎧が一行を出迎える。


 かぽーん……


 タイルに反響する音の合間に、洗面器を浮かせて走り回る手首の足音がトペトペと響く。


 かぽーん……


 かすかな水音がさざめく中、鎧の上のネズミが「チュウ」と鳴いた。


『湯に浸かり、心の芯まで蕩かせて、わかったことが一つある』


 フルアーマーさんの深みのある声も良い感じにエコーが掛かっている。彼はザパァッと立ち上がったかと思うと湯船の中で仁王立ちをした。


『銭湯サイコー!! 皆の衆、存分に疲れを癒してゆくべし!!』

「何作ってるかと思えば、銭湯かよ!」

『あ、服はちゃんと脱いでからな?』

「鎧のまま浸かってるやつに言われたくねぇッ!!」


 ラスプの鋭いツッコミが冴え渡る。しかし一日足らずで完成するとは思わなかった。



 なんということでしょう、あんなに殺伐としていたトラップ部屋が匠の技により暖かみの溢れる銭湯に!


 深すぎた水責めの穴には途中で板を張り、ちょうど良い高さに。


 豊富な湯量は、近くを流れる川から引き入れた水を、隣のボイラー室で沸かし流し込むことで実現。


 湯船の底には排水溝があり、排出されたお湯は外の洗濯場へと流れる仕組みになっている。



「匠は文字通り、こんなにも暖かい仕打ちを……」

「誰に向かって解説してるんですか、主様」


 呆れたような声のルカが隣の部屋への扉を開ける。ボイラー室では一匹の火トカゲがボンボンと燃えてお湯を沸かしていた。


「普通サラマンダーをこんな使い方します? あぁチロさん、お久しぶりです。すみませんね、このブッ飛んだ魔王のせいで」


 サラマンダー族に知り合いが居るルカのコネを使い、このお城にきてもらったのだ。釜の下からのんびりと顔を上げた火トカゲは、ふぁぁと可愛くあくびをした。


「で、こっちは自由に使える洗濯場になってるんだ」


 ボイラー室の窓から乗り出すように顔を出したグリの言う通り、下の洗い場で待機していた村の奥さんたちがこちらに向かって笑顔で手を振る。


 彼女たちはこの銭湯の話を聞くや否や、いつも冷たい川で洗っていた汚れ物を張り切って持ってきた。すでに村人やゴブリン間で有料で洗ってあげる取り決めも行われてるんだとか。


「一つ施設がオープンするだけで、新たな雇用がいくつも生まれるのね」

「ですが料金を取るつもりは無いのでしょう? プラスどころかマイナスですよ」


 んん、それを言われるとちょっと苦しいんだけど……


「まぁいいじゃない、掛かってるのは薪くらいだし、それもフルアーマーさんが調達してきてくれるしね。それにほら、公共浴場を作ることで国全体が清潔志向になるのはいい事だと思うの」


 先に村人たちが入っている男湯の方から「っかぁぁぁ~~!!疲れが抜けるぅぅ~」と、何とも言えないうめき声が大量に聞こえてくる。そうそう、これで疲れを癒してもらって、また明日から畑仕事頑張ってもらうのよ。これで生産能率が上がるなら安いもんだ!


「さぁ~って、私も汚れを落としてこよーっと」

「ご自身が入りたかっただけでは?」

「マサカー」


 いやみをスルリとかわして、女湯の脱衣所まで来る。すでに村の女の人や女ゴブリンが脱いでいるところで、私を見て気軽に声をかけてきてくれる。


「あら、魔王様も入るんですか?」

「うん、も~ドロドロだからねー」

「しかし魔王ちゃんは細っこいだなぁ~、ちゃんと喰ってるっぺか?」

「そりゃもう、食べれる時に食べてるっすよ!」


 ビッと親指を立てると笑いが巻き起こる。これだ、この距離感がいいのだ。服を脱いだらゴブリンも人間も魔王もない。日本古来よりの「裸のお付き合い」ってやつは異世界でも通じるらしい。


「そうだ、図書室もあるんでお風呂上りにでも見ていってくださいね。レシピ本とかもありましたよ」

「あら本当ですか? それじゃあ子供たちも連れて後でお邪魔してみようかしら」


 そんな会話をしながら汚れを落として湯船に浸かる。っくぅぅ~~沁みる~~~!! 一人でのんびり入るお風呂も悪くないけど、やっぱり大きいお風呂は気持ち良いね。


 後から入ってきた手首ちゃんを洗ってあげて、男湯の方の騒音に笑いつつ(ラスプの悲鳴が聞こえたけど何やってるんだろう)もう一度湯船に浸かって疲れを癒す。


 はぁぁ~しあわせ、明日もがんばろ……


 ***


 同時刻、首都カイベルクの表通りからは一本外れた通り、今にも崩れ落ちそうな年季の入ったアパートの一室でその男は眠りこけていた。


 くすんだ色気のないソファから伸びた長い手足、ヨレた襟元のシャツにスラックス、十人が十人「だらしない」と評価を下しそうな男だ。顔に乗せられた本から、少なくとも陽のある内から一度も覚醒していない事が伺える。


 放っておけば朝まで起きないであろう彼の快眠を邪魔したのは、開け放たれた窓から飛び込んできたコウモリの羽音だった。


「んあ?」


 胸元にポトリと手紙を落とされ、男はもぞりと動き出す。すばやく出て行ったコウモリをぼんやりと目で追いながら、仰々しい封蝋のされた手紙を開け中の手紙を引っ張り出した。


 几帳面な字面を追っていた男の口元が少しずつ弧を描いていく。まるで狩りをする野生動物が獲物を見つけた時のように目をぎらつかせながら立ち上がる。


「こいつぁおもしろい、話のタネにでも行ってみるか」


 クククッと笑った男は旅の支度を始める。行き先は手紙の送り元――ハーツイーズ城。

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