15.ゆ、勇者ァァァー!!

 ポカンとした表情で振り返った彼女の顔が、見る見る内に真っ赤に染まっていく。


「な、何をしますの!? 返しなさい!」

「ダメ、返したら押すでしょ」

「当たり前ですっ、このわたくしに恥を掻かせたのですからあんな役立たず処分決定ですわ!!」

「っ!」


 爪でバリッと引っかかれるけど扇子だけは死守する。考える前に身体が動いていた。この行動で起こるトラブルは予想できたけど、それでも見過ごせなかった。


「返しなさいよこのっ!」


 次第に蹴りが入ってきて思わずうずくまる。ここからどうすれば……っ


 自分の無鉄砲さを少しだけ後悔した時、どこからか聞き覚えのある声が響いた。



「そこに居るのはベルデモール嬢ではありませんか?」



 ドッと胸を突かれたようだった。この世界では絶対に聞けないと思っていた深みのある落ち着いた声。期待で暴れだす心臓を押さえながら少しずつ顔を上げる。少し離れたところで栗毛の馬から降りた人物がブーツをカツカツと鳴らしながら近寄ってくる所だった。


「何かトラブルでも?」


 明るいアッシュグレーの髪に若草色の切れ長な瞳。腰には装飾の施された剣を佩き、騎士様のような紺を基調とした制服に身を包んでいる。髪と目の色こそ違ったけど見間違うはずがない、次の日曜いっしょに出かける約束をした彼は、不思議そうな顔でこちらに視線を向けた。


「立谷せんぱ……」

「え?」


 目の前の情報を脳が処理しきれず言葉がノドをつっかえる。代わりとばかりに目から涙がドバーっと出てきてしまった。


「あ、あ、あ゛―――!」

「なっ、どうしたんだ君!」


 慌てた様子で立谷先輩(?)が駆け寄って来るのだけど、直前でベルデモール嬢と呼ばれたお嬢様がズイッと割り込んできた。


「エリック様! この無礼者をひっとらえて下さいまし! 生意気にもこのわたくしに歯向かったのでございますわっ」

「歯向かう?」


 まだうずくまって震えている猫を指差したベルデモール嬢は、怒りが収まらないとでも言いたげに靴をコツコツと鳴らした。


「我が家の奴隷が粗相をしたので始末しようと。そこをこの庶民が割り込んで止めたのです!」


 お嬢様、猫、そして私が必死に抱きしめている起爆スイッチを順番に見ていた立谷先輩――いや、エリック様はフーッと重たいため息をつく。しばらくして差し出された手は、私を立ちあがらせるものではなかった。


「その扇子はベルデモール嬢の物だ、一度こちらに預けて貰おうか」


 頭をガンと殴りつけられた気分だった。だって、お嬢様は始末するって言った、それをこの人も聞いてたはずなのに。無言で首をひたすら振るしかできない。なんで、なんで立谷先輩と同じ顔でそんな酷い、こと


「貴族家の隷属に手を出したらどうなるかぐらい君にもわかるだろう、さぁ渡すんだ」


 もうここまで来たら意地でも渡すものかと睨み付けていると、通りの向こうから馬が駆けてきた。ひらりと飛び降りたのはエリック様と同じような制服を着た男の人で、彼はビシッと敬礼したかと思うと今の私には聞き捨てならないセリフを言った。


「隊長! 魔法部隊から報告っス、魔族共をまとめて消し炭にできるかもしれない構築が完成したので一度お目に入れたいとのことで!」


 うん? 魔族?


「これで魔王城への侵攻も秒読み段階まで入ってきたっスね! あぁ、勇者の力を間近で見ることができるだなんて自分はなんて幸せ者なんでしょか!」


 ……。お、おぅけい、何だか今とんでもない単語がとび出た気がしたけど気のせい――


「エリック様!」

「お願いします、必ずヤツらを根絶やしにして来てくださいね!」


 何とか冷静を保とうとしていたのに、周りの街の人たちが一斉に囃し立てる。ま、まさかとは思うけど、立谷先輩似のこの人は


「勇者様! エリック・グロウリア様バンザイ!」


(ゆ、勇者ァァァー!!)


 待った待った待った! 確かに勇者の存在を確かめたいとは言ったけど、ここで接触する予定はないよ!? フツー勇者と魔王の邂逅って魔王の城に勇者が来るものでしょう!?


 街中! ここ商店街のど真ん中だから!


「そういえば聞いた? 一度倒したはずの魔王が復活したらしいわよ」

「いやだわ……きっと恐ろしい見た目のバケモノなんでしょうね」

「でもきっとエリック様が退治してくれるから大丈夫よ」


 斜め後ろ辺りからおばさま達のひそひそ声が聞こえてくる。


 うん、あの、私だ。今その勇者さんと五十センチくらいの距離に居るモブっぽい女が魔王(仮)です期待を裏切るようでスミマセン。


(あああぁぁあああ!!)


 どどどどうしよう、もしバレたらこの場で斬り捨てられる? 先輩と同じ顔をしたこの勇者様に?


 どう、して


「あのな、そういった機密事項は内密に……やれやれ、参ったな」


 周囲が湧きたつ中、はにかんだように笑うその表情が尚更先輩そっくりで涙がにじんでしまう。思い出したようにこちらに視線を向けた彼と目が合った瞬間、無意識の内にその一言が零れ落ちていた。


「先輩に殺されるなんて、やだ……」


 辺りは騒がしいはずなのに、私たちの周りだけ一瞬時が止まったかのようだった。


「え――」


 ハッとして口を抑える。わっ、私、今なんて!?


「違うんですっ、今のはそのっ!」

「……ちょっと来てくれないか、聞きたい事があるんだ」


 真剣な眼をしたエリック様が私の手首を掴む。のああああ!!

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