第4話
美嶋春姫はこの日、ついにこの不安定で脆い自分を殺す決心がつき、明日の朝一番には稽古が控えているにも関わらず、誰にも何も告げずにこの山に来た。
この山の頂上には神社があり、その神社には‟命と引き換えになんでも願いを叶えてくれる”という強力な神がいるという。どれくらい前だかは定かではないが、実際にその神社の辺りでは凄惨な女性の遺体が発見され、神社にはいくつもの人骨が保管されていたという話がある。その保管されていた人骨は全て自殺志願者のものではないかと言われている。
しかし彼には、命を代償にしてでも叶えたい願いがある訳でもない。
彼の絶望は、そもそもそこから来ていた。
山を登り終えると、深い森林の奥に色褪せた鳥居が見えた。
少し空を見上げれば星の細かい輝きが目を癒すが、目の前に佇む明らかに廃れた神社はまるで別世界のように重い暗闇に沈んでいるように見えた。
美嶋春姫はその重々しさに足を止め、鳥居をくぐるのを諦めた。
いくら後は死ぬだけと言えど、彼も死に場所は選びたかった。いや、彼が考えていたのは‟死に場所”ではなく‟死に心地”だったのかもしれない。
もともとかなりのロマンチストな彼は、死に場所を探しながらひたすらに自分の死に顔と、死ぬシチュエーションを何パターンも思い浮かべていた。
死ぬ間際に何が見たいか、何より、死んでも尚、彼が発見された時、自分の死に様で見た人々に衝撃を与えたいと強く思っていた。
彼の考える「衝撃」とは、残酷で凄惨なものではなく、美しく神秘的なもののことだった為、先程の神社ではあまりにも‟美しさ”が欠けていたのだ。「神社」という面では神秘的という条件はクリアしていただけに彼は歩きながら溜息を付いた。
そうしてあてもなく歩いていると、そこには一際大きな木が聳え立っていた。
その木の根元に転がってみると、山の頂上というだけあって美しい星空が広がっていた。
(……これで花でも付けていたら文句もないのに。)
美嶋春姫は心でそう呟いた後、だんだんと死に様に拘ることが馬鹿らしくなってきてしまった。
どうせ自分はもう死ぬのだ、どれだけ死に様に拘り最後の爪痕を残そうとしたところで彼自身が世間のリアクションを目に出来るわけでも無い。
(なんて馬鹿なんだろう、どこまでも俺はエンターテインメントを刷り込まれてしまっているじゃないか…。)
もう、なんでもいい…。
彼がそう思ってずっと隠し持っていた拳銃を自分のこめかみに当てた時、ふいにザァーと強い風が吹いたかと思うと、目の前には新月の夜の闇を切り取ったかのような艶やかで長い黒髪に、黒曜石の様な一見真っ黒に見えて月明かりでちらちらと暗緑色に輝く瞳。鼻筋からその首筋まで洗練された線を描く輪郭。黒い着物に身を包み、赤い羽織を羽織った恐ろしいほど美しい男が立っていた。
『お前にはまだ役目が残っている、死ぬのは許さない。』
艶やかで低く、しかし穏やかで澄んだ心地のいい声が美嶋春姫の闇に落ちた瞳に光を取り戻させた。
この浮世離れした佇まいのこの男こそが願いを叶えてるという神であると、彼は直感した。
「僕の…役目って…?」
月明かりを背に佇む男が夜のそよ風に艶やかなその黒髪をなびかせ、ふと夜空を見上げると、威厳のある鋭い真っ黒な瞳を柔らかく揺らし、鮮やかで上品な唇を微かに開き微笑むと『すぐに分かる。』と言って美嶋春姫を振り返った。
その男の微笑みはどこまでも儚く、切なげで、しかしどこかとても楽しげにも見えた。
男の美しさに呆けていると、次にザァーと強い風が吹き、目を開けた時にはすっかり男の姿は消えてしまっていた。
(役目?)
美嶋春姫が唐突に現れた美しい男の残した言葉を思い出していると、頭上からバキバキと枝が折れる音と「ああああああああぁぁぁあぁ、ばかぁぁぁああああああぁあぁあ‼」という女の声が聞こえてきた。
「⁉」
美嶋春姫は驚いて頭上を見上げると、木に生い茂る若葉の中から淡紅色の桜の花びらと共にこちらへと舞い降りてくる人影があった。
その人影は長い黒髪をだらんと前に垂れ下がらせ、なにかぶつぶつと言いながらどこからかポタポタと液体を垂れ流している。
そしてゆっくりと地面に降り立ち、降りて来た人物はゆっくりとした動作で木の幹を確かめる様に手で伝いながら立ち上がり、前に垂れ下がったその長い黒髪を片手で一気に搔き上げた。
「あ…………。」
大きな木に阻まれ、微かに射しこめる月明かりに浮き上がったのは、大きな黒目がちな目を三日月型に歪め、にたぁと不気味に口角を吊り上げた口の端からはツーっと何か液体が伝い、滴り落ちている女の顔だった。
もともと座り込んでいた美嶋春姫はその体制のまま地面に尻を引きずり、後ろへ下がったが、女と目が合った途端に動けなくなり、気が付けば芝居で磨き上げられた声量を存分に発揮し、思いっきり叫んでいた。
「うわあああぁぁぁあああああああ!!!!!!」
悲鳴を上げられて初めて、私は自分の口の端に赤い血が伝っていることに気が付き、急いでゴシゴシと口元を袖で拭った。
「ははは、いやぁ~良い夜ですねぇ~。あ⁉もしかしてあなたも天体観測に来たんですか?それならこの木!この木の上なんか凄い見やすいですよ~。」
(マ、ジ、でなんでもっと自然に出合わせてくれないかなぁ!だから嫌われるんだよ!)
私はなんとか空から落ちてきたことを誤魔化したくて、必死に身振り手振りで話すが、目の前の男はやはり警戒しているらしく、お尻で地面を滑るようにしてじりじりと後ずさっていく。
「は、はぁ…。」
このままではそもそも会話がどうのという場合ではない。
私は今、推しに真っ当な人間として見られていない。
完全に怪しい‼
あの男のせいでっ‼
(ていうか、この人なんでこんな森っぽい所にいるんだ?)
空から唐突に落とされた為、自分が一体どこにいるのかも全く把握できていなかったが、まさか会いに来た相手がこんな森の中にいるとは思わなかった。
(……まぁいいや、とにかくこのなんとも気まずい空気を打破しなくては。えーと、警戒してる人に手っ取り早く警戒心を解かせるには…。)
十分テンパった頭で、元々ボキャブラリーの少ない中で私が選んだ言葉は…。
「だ、大丈夫ですよぉ~そんなに警戒しなくても。わ、わ、私はただ天体観測しに来ただけで、怪しい者ではな、ないので。ところであなたはどうしてここに?」
推し俳優を目の前にして無意識に荒くなる鼻息を最大限抑えながら、ゆっくりと男に歩み寄るが、男はさらに顔を険しくして、私が近寄る度に後ろへと後退していく。
「じ、自分はたまたま…通りかかって…。」
「そうなんですかぁ~じゃあ、ここで出会ったのも何かの縁ですし、す、少しお話しませんか?んふふ…。」
「い、いえ…もう帰りますので…。」
「そ、そんなこと言わずに是非…うひひ…。」
予想以上に警戒心の強い推しを少しでも安心させようと私はそっと微笑む。
が、私の微笑みを見た瞬間、推しは急に顔色を変えて即座に立ち上がり走り出した。
「ちょっ!どこ行くんですかぁああああぁぁぁ!!!」
「ついて来るなぁぁあああああああ!!!」
「んなことできる訳ねーだろっ‼こっちは命かけてんだよ!!!」
「何にだよ!!!」
「アンタとの数分の会話にだよぉおおお!!!」
「意味わからん、来るなぁああああああ‼」
「それは無理、つか逃げるなぁぁあぁあああああああ!!!」と、お互いに叫びながら美嶋春姫は逃げ、私は追いかけるという形で月と星の光だけの暗い森の中を走り続けていると、美嶋春姫の前方に先程入るのを諦めた神社の鳥居が見えて来た。
色褪せた古い鳥居に向かってそのまま駆け込み、雑草が生い茂る中を搔き分けて社の中へと隠れた。
訳が分からない、いきなり木から人が落ちてきたというだけでも異常事態なのに、落ちてきた人物は口から血を滴らせているし、変な風に笑うし、それよりなにより怪しくない人は「怪しい者じゃない。」とか言わない‼絶対言わない‼故に、アイツはヤバいヤツだ‼恐らく怪しい薬か何かで気がおかしくなってるに違いない、関わってはいけない。美嶋春姫はそう確信していた。
(絶対に見つかってはいけない‼)
そう改めて美嶋春姫が心の中で誓ったのも束の間、次の瞬間無情にも社の戸が開き、「みぃ~つけたぁ~。」と不敵な笑みを浮かべる髪の長い女の青白い顔がにゅっと覗いてきた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
美嶋春姫は慌てて立ち上がろうとするが、なぜか急に自分に掛かる重力だけが何十倍にもなったかのように体を地面へと押し付けられた。
「ぐぅ…。」
「えへへ、えへへへ…美嶋さんて意外とおっちょこちょいなんですね。わざわざ逃げ場の無いところに逃げ込むなんて…へへ…えへへへ。」
女は地面に這いつくばる美嶋春姫を見下ろしながら怪しい声を出して笑うと、「もう逃げませんか?」と美嶋春姫の傍にしゃがみ込んで言った。
「うぅ…。」
「お願いですから私のお願いを聞いてください。もう私には時間がないんです。」
女の切実な言葉に、美嶋春姫はピクリと眉を動かした。
「頷いてくれれば、今すぐ動けるようにします。でも、また走り出そうとしたらまた同じことになります。少しだけ、少しだけでいいので私に付き合ってください。」
ついさっきまでの下品な笑い声を出すわけでも無く、真面目な申し出に美嶋春姫は仕方なく顔だけを動かして頷いた。するとパッと体は軽くなり、すんなりと立ち上がることが出来た。
「ここから出ましょう、なんだか頭痛がします。」
片手で額を押さえる女に促されるまま、美嶋春姫は女と共に鳥居を抜け、また月明かりの射す森の中を並んで歩き始める。
東に傾きかけた月を心配そうに見上げる女の姿が美嶋春姫の目には、本当に時間に追われているように見えた。
「大丈夫ですか?」
美嶋春姫自身、今日に限って誰かにこんな言葉を使うとは思っていなかったが、月明かりに照らされた、不安そうともとれる女の横顔に思わず口をついて出た。
そして言われた女の方も女の方で、彼の言葉に驚き、大きな瞳を一瞬見開いて彼の顔を見上げてパチクリと瞬いて、フッと微笑んだ。
その微笑みはさっきまでの不適で怪しく、下品な笑顔ではなく、ごく自然に零れた笑顔だった。
「ごめんなさい、まだ大丈夫です。でも確かに時間はないので不躾ですが単刀直入に言います。」
「は、はい…。」
「美嶋春姫さん、私はあなたのファンです!歌もダンスも大好きです、特に美嶋さんの‟黒百合”が大好きです。何回もDVD見てます!これからも頑張ってください!」
女は早口で一息に言うと、ふぅ…と息をつき、片手で胸を押さえた。
照れくさそうに俯くその緩んだ表情が、女の内面の幼さを垣間見せる。
「君は…俺が誰だか分かって追いかけて来たの、かい?」
驚きで言葉がスムーズに出てこなかったが、彼の中で腑に落ちた点があった。
「はい…すいません。実はイベントとかも何回か行ってるんですけど、どうしてもなかなか上手く話せなくて…でも伝えられて良かった!」
満足そうに微笑む女に釣られて美嶋春姫も思わず微笑み返した。
「そうだったんだ、ありがとう。」
そうして話している内に、二人は最初に出会った大きな桜の木の下に戻ってきた。
何を言う訳も無く、女が足を止め、月を見上げながら木にもたれて座ると、彼もその隣に座った。
「ところで、君はどうして俺がここにいるって知ってたんだい?ほんとうに天体観測していたの?」
美嶋春姫の言葉に私はギクリとした。
言えるはずがない、神様に運んできて貰っただなんて。
言ったらまた怪しまれてしまう。
「あ…………えっと…いや、ほんとに天体観測してたんですよ。そしたら、美嶋さんが来たことに気が付いて、それでテンパって木から落ちたんです…。」
(……くぅ~、どうだ?ちょっと厳しいか?)
私は内心で冷や汗をかきながら、気付かれないようにチラリと横目で彼の端正な横顔を盗み見る。
「そうなんだ、ここにはよく来るの?」
(ふぅ…良かった、大丈夫、まだ大丈夫だ自分。)
彼の特になにも気にしていなさそうな態度に私は胸をなでおろす。
「あ、え、いや…今日はたまたま未開の地をと思って…。」
「そうだよね、自殺の名所にしょっちゅう来るわけないもんね。」
そう言って軽く笑う美嶋春姫の言葉に私の体が一瞬動きを止める。
(自殺の名所?)
「ここって自殺の名所なんですか?」
「うん、ここら辺じゃ有名みたいだけど…君は知らかったのかな?未開の地だもんね。」
そう言って柔らかく微笑む美嶋春姫に私は自然を装って何気なく聞き返す。
「そういえば、美嶋さんはどうしてここに?まさか、一人肝試しとかしに来たわけじゃないですよね…?はは…。」
私が気まずそうに笑うと、彼は空を見上げ「うぅ~ん。」と唸ってから話し始めた。
「実は俺、今日ここで死のうとしてたんだ。君がこの木から落ちてくる直前まで。」
「ええっ⁉」
驚きの言葉をあまりにもフランクに言う彼に私は思わず、寄りかかっていた木の幹に強く頭をぶつけてしまった。
「大丈夫⁉」
「はい…大丈夫です…。それより、死なないでください‼」
頭を押さえる私を心配そうに覗き込んできた彼に私は飛び掛かり、首を絞めた。
「ちょっ…!言ってることとやってることがちがっ…。」
何故だか分からないが、私は口では‟死なないで”と言いながら、本能的に‟止めても無駄だ”と確信していて、気が付けば彼の首に手をかけていた。
(止めても無駄ならせめて!)
「ふんん~~~‼そんなに死にたいなら私がっ!せめて私が最後に…!あなたを愛するファン代表としてっ!ふん~~~‼」
そう言って鼻息荒く、頼りない自分の腕に力をこめるが美嶋春姫の逞しい首は私の小さな両手では捉えきれず、地面に寝転んだ状態の美嶋春姫は首をすぼめてクスクスと笑い声をあげる。
「ちょっ…くすぐったいから…!やめて…ふふ。」
「いいえ、やめません!わ、私もどうせあと二週間の命、どうせならアナタを殺して私も死にます‼」
「いやいや!話が飛躍してるから!お~ちついて、ほら、一回手を離して。」
美嶋春姫の体に前から馬乗りになって目を血走らせている私の細い腕を彼は掴み、首から手を離させると、次の瞬間軽々と私を持ち上げて、再び元の地面へと座り直させた。
「確かにここに来たときは死ぬつもりだったけど、今はもうそんな気ないから大丈夫。俺にはまだ確かに役目が残っているみたいだしね。」
「役目ですか?」
訝し気な顔で彼を見上げる私を、彼もまたジッと見つめてくる。
「うん、君だよ。」
「ん?はい、私が?」
「俺と結婚してください。」
「……………………………………………え。」
唐突な美嶋春姫の言葉に、私の脳が意味を理解する前に私の呼吸が止まった。
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