第3話

『やっと終わったか…。』

パソコンから流れてくる感動的なサウンドを流したまま、男は深いため息をつくと後ろのソファーに座る私の足にもたれ掛かってきた。

「クリアおめでとうございます、これで全部のシナリオを見ましたね。」

『…一体この女は結局どの男を想っているのか分からなかった。』

私の膝に軽く頭を乗せ、そっと手を添える男。

短く切りそろえられた淡紅色の髪がサラリと耳から落ち、男の美しい輪郭を隠す。髪をバッサリと切ったので、今までは長い髪のせいであまり視界に入ることの無かった首から肩の男性特有のゴツゴツとした骨格が露わになり、ついその見慣れない横顔に見入ってしまう。

(……もっと可愛くなる予定だったんだけどなぁ。)

男の長い髪を思い切って真ん中分けのミディアムウルフカットにしたのだが、我ながら上手くいきすぎてどこぞの韓流アイドルのようになってしまった。

『何を見ている。』

ぼーっと男の横顔を見つめていると、いつの間にか男は瞳だけを動かしてこちらを見上げていた。温かい浅緑色の瞳の中に、微かに氷の様な鋭い光が残っている。

「別になんでも。」

『…………月を見よう。』

無心に男の瞳を見つめる私を、男も数秒見つめると、パッと立ち上がり、リビングの電気を消して閉めていたカーテンをサッと開けた。

部屋を照らす光が月明かりだけになったが、男の着る白い着物は冷たく、淡紅色の髪は温かく、薄暗い部屋の中で浮いて見えた。

『………命にやり直しなど無い、命の片割れは唯一無二だ。コレのように複数は無い。片割れと再会するには途方もない時間と命を要する。生まれ変わり、間違いを重ねれば重ねるほどソレは遠のき、虚しさだけが募っていく。』

(……ゲームの話か?)

窓辺に立ち、ほんのりと輝く未完成な月を見上げ、男は静かな声で言った。

「間違い?」

『間違った片割れと交わることだ。』

「なるほど。」

(相当、ルートってシステムが気にくわないのね…。)

ここ5日間、私がこの男にやらせていたのは私が愛してやまない恋愛シュミレーションゲームだった。攻略対象は全部で5人、それぞれ友情エンド、恋愛エンド、大恋愛エンドの3種類のシナリオが存在し、更に恋愛エンドと大恋愛エンドには複数のバッドエンドが用意されている。このゲームでは攻略対象全てと恋愛が出来る訳だが、この男はそれが気にくわないらしい。

「まぁ…神様の気持ちも分からなくはないけどね?でもこれはあくまでエンターテインメントだから。女の子の、たくさんのイケメンにモテて、優しくされて、大事にされて、守られて…そんな夢を1個にギュッと収めたのがこのゲームだから!文句言いっこなし!私だってね、分かってるよ?現実に自分の命を犠牲にしてでも私を守ってくれようとしてくれる人なんていないって、だけど、だからこそときめくの!あり得ないからこそ良いことだってあるんだよ。」

うんうんと自分の言葉にうなずいていると、男は少し俯いて美しい唇を微かに動かした。

「え、なんですか?」

男の声が聞き取れなかった私はソファーから身を乗り出して耳に手を当てるが、男は私の声を無視し、再び月へと視線を戻す。

(なんだぁ?)

返事をしてくれない男に、内心首を傾げながら私は水色の豚猫のぬいぐるみを抱き直し、パソコンを閉じた。

この5日間、やり慣れないゲームに翻弄される男の姿を見て楽しんでいたが、それも終わってしまった。私は次に何がしたいか…自分に何が出来るか考えていた。

今の私は男の言う通り、月の出ている夜の間しか起きていられない。月が沈み始めると自然と瞼が重くなり、パタリと眠ってしまう。元々性格と職業柄もあり、家から一ヶ月間出ないということは今までにもいくらかあったが、こう行動できる時間も人の半分となるとなんだか急に自分が可哀想に思えてくる。

(はぁ…、最後の最後くらい、神様のチート能力使ってなんでも出来るとか思ってたけど、そもそも昼間起きてられないんじゃなにも出来ないなぁ…とほほ…。)

自分の寿命もあと半月というところで、私自身、密かにそれを自覚しつつあった。

半月前はむしろ今までにないくらい調子の良かった体が徐々に痛み始め、食に対する不快感や強い倦怠感を体が思い出し始めているのだ。

(……まぁ、どっちみちこんな調子じゃ外に出ても不安なだけだけどね。)

ふ~んと鼻から息を吹き出し、SNSで流れる推し俳優のイベント情報を眉を下げながら眺める。最後に何がしたいって、要は最後くらい推しを演じた推し俳優に会いに行きたかったのだ。今までにも何回か個人イベントに行ったことはあったが、毎回緊張のあまり口をパクパクするだけで何も言えず撃沈している。

(最後くらいはちゃんと当たり障りのない程度に感謝の言葉を言えたらいいなって思ってたんだけどなぁ…。)

しかしそう都合よく直近で開催されるイベントなどなく、どの情報も夏本番の時期のものばかりで、最新で更新された内容もある舞台の稽古が明日から始まるということくらいだった。

「はぁ…。」

私は溜息をついて立ち上がり、ガサゴソとキッチンをあさり始める。

その音を聞きつけてサッと男がキッチンまで来ると、私の手にしている物を素早く奪い取った。

「ああ!ちょっと!」

『これはダメだ。』

きつく眉を寄せた男は、私の頭を上から片手で押さえ、右手に持っている私から奪い取ったお徳用サイズのビーフジャーキーの袋をボウッと突然手のひらに湧いた青い炎で燃やしてしまった。

「ああ…!いいじゃないですか、少しくらい!」

『まともに食事もとれないのに、こんな刺激物をお前の体が受け入れる訳ないだろう。自分で自分を追い込んでどうする。』

(お母んかっっ!)

「へっ、それでも食べたいものは食べたいんだ!むしろ食べたいと思えるものが今はそれしかないんですよ!なのにあなたはそんな唯一の私の食料を…。」

私は特に怒ってはいなかったが、なんだか絡みたい気分だった為、男の前に立ちはだかり、体を奇妙にうねうねと動かしながら抗議をしようとしたが、私が言い終わる前に男の『子豚っ。』という声が私の言葉を遮った。

「は…い。」

急に怒らせてしまったと思い、私はすぐにうねうねの動きをやめ、トボトボとソファーに戻ろうと歩き出した。

『今、連れていく。』

「んあ?」

男の言葉の意味を理解する間もなく、間抜けな声を出して振り返った時にはもう遅かった。男はその逞しい腕で私を肩に担ぎ上げると、そのままベランダへと出てトンと軽く地面を蹴ると、私の視界は一瞬で夜空でいっぱいになった。

目の前に浮かぶ、ほのかに輝く月と、弱い光で見えずにいた呼び名も知らない星々に目を奪われていると、ふと落ちる感覚があり、下を見るとあちこちに人工的な光が灯る街並みがあった。

男は度々、高い建物の屋根や屋上を軽く蹴っては高く飛びを繰り返している為、私の弱った内臓が上下に揺さぶられる。

「うぅ…おえぇぇぇぇぇえええぇぇ。」

我慢できず、ついにだらだらと口から赤い液体を垂れ流す私に気付き、男が一旦足を止める。

『子豚、大丈夫か。』

(いや、こりゃあ無理だわ…。)

男はどこかのビルの屋上に私を一旦下ろし、口の端から垂れ流れる血液を白い着物の袖で拭う。

(や、やめろぉ…。)

私はそれ以上、男の上質な着物を汚したくない一心で腹底から押し寄せてくる熱い血液をギリギリのところでゴクリと飲み込んだ。

『子豚…、小屋に戻るか?』

夜の闇の中、ふんわりと柔らかい光を放っているかのように、男の姿だけがハッキリと浮いて見えた。

(こ、小屋って言うなぁ…私のマイホームを…。)

「あ、の…一体どこに向かっているのかだけ教えて頂けると…。」

焼けた喉でやっと声を出すと、男はそれだけで安心したように微笑む。

『お前がこのところ何度も繰り返し見ていた男の所だ。』

「えっ⁉それって私が今想像してる人と合ってる?それ違ってないよね⁉認識の相違が無いか、今すぐに私の思考読んでもらえますか⁉」

突然大きな声でしゃべりだした私に、男は浅緑色の瞳を瞬かせ、一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに『分かった。』と私をなだめる様に私の頭を優しく撫で、視線を若干おでこあたりにずらした。

「…………どうですか。」

『ああ、私もこの男だと思っていた。』

「やったぁ~、じゃぁ行きましょう!すぐ行きましょう!あ!でもお土産とか持ってった方が良いですかね?」

男にお姫様抱っこの形で支えられながら両手を上げてはしゃいでいると、男は前方に目を向け、一瞬目を細めると『いや、急いだ方が良いようだ。』と短く言った瞬間、男の体は桜の花びらとなって私の体を覆った。

私の目からすると急に花びらとなって消えてしまったようにしか見えなかった為、プチパニックを起こした私は「ちょっ⁉かみさまぁぁ‼」と叫ぶが、私を包む温かい桜の花びらが一瞬だけ微かに濃く光ったかと思うと、『ここにいる、騒ぐな。』と少し楽しそうな男の声が聞こえた。

花びらはまるで空中で起こった花嵐のように舞いながら私の体を包み、持ち上げる。さっきのように物理的に抱えられて走られるより、こちらの方が内臓に負担がかからなそうだ。


しばらくふよふよと夜空を漂っていると、唐突に『ここだ、下ろすぞ。』という男の声がして、私は目を見開いた。

「えっ⁉下ろすって⁉」

(まさかこのまま上から急に落下させられる訳じゃないよね⁉)


まさにそのまさかだった。

私の体を覆う花びらからスゥッと温度が引いて行くのを感じた瞬間、私は一部の花びらと共に、真っ逆さまに目下の闇に吸い込まれるように落ちていく。

「ええええええええええ~~⁉うそでしょうがぁぁぁあああああああああ‼」

上空に残った淡紅色の桜の花びらを掴もうと手を伸ばすが、届くはずも無く、体はどんどんと垂直に真下へと落ちていく。

落ちていくにつれて空気が独特の匂いを孕んだ辺りで、上空に漂う花びらが独りでに集まり、見慣れた美しい男の姿を作り出す。

「かっ…!かみさまぁぁ~~‼」

私を見下ろしている男の表情は分からないが、男に私の声は聞こえているらしく、ピクリと一瞬体を動かしたがすぐにパッとどこかへ消えてしまった。

「ああああああああぁぁぁあぁ、ばかぁぁぁああああああぁあぁあ‼」

叫んだ喉に再び内臓から込み上げてきた血液が絡む。

そして湿った木の匂いと、むわっとジメジメした空気に包まれたかと思うと、思いっきりバキバキと木々の枝を折りまくりながら私はどこかの森林の木に体が引っ掛かり、ようやく止まった。

「ふぅー…助かった…。」

ぷらーんと木に引っ掛かる私のすぐ傍をふわりとやけにゆっくりとした動きで桜の花びらが追い付き、私の体をゆっくりと持ち上げ、湿った緑の生い茂る地面に下ろした。

(……え、なんで最初からそれしてくれないの?)

強い疑問と不満を感じながらも、私は木の幹を頼りにヨロヨロと立ち上がり、長い髪のせいで不明瞭な視界をクリアにする為、片手で軽く髪を掻き上げると、私のすぐ目の前に見覚えのある男が恐怖に顔を強張らせ、尻もちを付いたような体制で地面に座り込んでいた。

「あ…………。」

目の前にいる人物が誰で、私がここに何をしに来たのかを思い出した時、目の前の男が悲鳴を上げた。

「うわあああぁぁぁあああああああ!!!!!!」

悲鳴を上げられて初めて、私は私の口の端からだらだらと赤い液体が滴り落ちていることに気付いたのだった。

















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